「第0話」でストーリー紹介、最終回前は再放送でおさらい
最近のテレビドラマにはスペシャル放送が多い。本放送とは別に時間を割り当て、ドラマのあらすじや登場人物を紹介する特番だ。このスペシャル放送は、以前は人気ドラマ終了後に撮影エピソードや出演者のインタビューを「おまけ」のように放送するケースがほとんどだった。しかし最近では放送開始前、または開始後にもスペシャル放送が入る。ドラマも予習・復習しながら見る時代というわけだ。
ケーブルテレビチャンネルtvNの『応答せよ1997』は、第1話(7月24日)の前日に「第0話」を放送、登場人物やストーリー展開などを事前に紹介した。同局の関係者は「このドラマは1回の放送時間が30分と短く、メーンキャスト6人が各回で順にストーリーの中心になるため、登場人物の性格を理解するのが重要だ。視聴者が本放送をより楽しめるよう、ガイド的な意味で第0話を放送した」と説明する。
15日にスタートするMBC『アラン使道伝』も、開始前にスペシャル番組を放送した。幽霊と人間の世界を描くドラマで、細かいあらすじを8日放送の『アラン使道伝を100倍楽しむ法』で紹介した。「幽霊も重力の影響を受ける」「幽霊の服装は死んだ時のままが原則だが、時間が経てば汚れることもある」などだった。
ケーブルテレビチャンネルOCNの『神のクイズ シーズン3』は、最終回前に「復習特集」を放送した。12日に最終回の第12話が放送されたが、それに先立つ5日に第8話・10話・11話を連続で放送したのだ。「最終回で3シーズンにわたったストーリーが1つに結び付くため、複雑な展開になってしまった。視聴者から『分かりにくい』と再放送のリクエストがあったため、最終回の放送前に理解に役立つ3話分を特集として放送した」と説明する。MBC月火ドラマ『ゴールデンタイム』も本放送が第9話まで進んでいるが、11日と12日の2回にわたりスペシャル番組を放送した。同番組の1回目では1-5話、2回目では6-9話までのストーリーを「おさらい」した。
こうしたスペシャル放送について、視聴者たちの意見は肯定派と否定派に分かれている。『アラン使道伝を100倍楽しむ法』を見た視聴者はインターネット公式サイトの掲示板などに「(本放送開始までの)あと1週間が長く感じられる。期待以上の作品になりそう」などと肯定的な書き込みが寄せられた。だが、『ゴールデンタイム』のスペシャル番組について、一部視聴者は「既に放送された内容だったのでチャンネルを変えた」と書き込んでいる。
金滉植(キム・ファンシク)首相が国会に出席して「たとえ歴史的根拠があったとしても、今さら対馬を韓国の領土だと主張するのは説得力に欠ける」と発言した。私もこの意見に同感だ。
このため、キム・サンフン大領=大佐に相当=(54)と会うことが決まった瞬間「私自身、極右主義者と思われてしまうのではないか」という一抹の不安が脳裏をよぎった。現役軍人のキム大領は、学者ではないが「対馬の領有権」の研究に没頭している。何度も論文を発表し、『日本が隠してきた対馬・独島(日本名:竹島)の秘密』という本を出版、国会でも特別講演をしている。
キム大領は、勤務先である関東大学の学群団(江原道江陵市)でプレゼンテーションを準備し、私が来るのを待っていた。初めて電話で話したときの激情的な口調とは違い、極めて紳士的な印象だった。
―独島問題を解決するために、わざと対馬にこだわっているのか。
「私は対馬が韓国の領土だという客観的証拠資料を前提に話している。日本は、こういった事実があるということを知っていて、対馬を隠すために、独島に必要以上に固執しているのかもしれない」
―歴史的に対馬が韓国の領土だという資料は数多くあるだろう。しかし、それに劣らないくらい、対馬が日本の領土だということを記載した文書や地図も多い。
「おっしゃる通りだ。例えば1750年代に製作された『海東地図』には『白頭山は頭、大関嶺は脊椎で、嶺南の大馬と湖南の耽羅を両手とする(以白山為頭 大嶺為脊 嶺南之大馬 湖南之耽羅 為両趾)』と書かれている。19世紀に作成された慶尚道の行政地図にも『対馬郡』と出ている。しかし、私はこうした古地図や古文書を証拠に語っているわけではない」
―キム大領が言う決定的な証拠資料とは何か。
「日本の開港直後、米国は日本本土から約1000キロ離れた太平洋の無人島『小笠原』を見つけた。米国がこれを自国の領土に編入しようとしたため、日米間の領土紛争が起った。このとき、日本はその島が記載されている自国の地図(1785年)を提示した」
―すでに日本はそのような地図まで準備していたのか。
「地図の作成者は林子平氏で、日本の領土主権にいち早く目覚めた人物だ。林氏は『海上防衛を重視し、周りの無人島を日本の領土として編入すべきだ』と主張した。朝鮮を征伐し、国家防衛の領域を拡大しなければならないとも主張した。いわゆる征韓論の元祖ともいうべき人物だった。林氏は日本と周辺国を偵察して5枚の地図を作成した」
―領土交渉で米国はその地図を見て諦めたのか。
「米国は、林氏の日本語版の地図では客観的証拠にはならないと主張した。苦心した日本幕府は、林氏の地図を翻訳した『フランス語版』があるということを知った。これを証拠物とすることで、領土交渉に成功した。そして、その地図では対馬が朝鮮領になっていた。日本が米国との領土交渉の際に使用した地図には、そう出ていたというわけだ」
―その地図を直接確認したのか。
「これまで発見された筆写本の地図には、独島は韓国領、対馬は日本領となっている。韓国国籍を取得した保坂祐二教授(世宗大学独島研究所所長)はこれを根拠として『国際的に公認された地図にこのように出ていることが、独島が韓国の領土であるという決定的な証拠』と主張した。しかし、その地図上でわれわれが見落としていたのは、独島だけではなく、対馬も韓国の領土になっていたという点だ」
―話が矛盾している。筆写本で対馬は全て日本領土になっていると今言ったばかりではないか。
「その通りだ。しかし、その筆写本は全て捏造(ねつぞう)された可能性が高い。数年前に国会図書館の206号室の独島特別展示館で、フランス語版の原本を探し出すのに成功した。対馬の色は、韓国領を示す色で彩色されていた。私はこの地図を原本だと確信している」
―対馬が韓国領土と表示されていれば原本で、そうでないものは何らかの手が加えられたものと決め付けるのは、論理的とは思えないが。
「記録によると、1806年にあるオランダ人が林氏の原本地図を一つだけ欧州に持ち帰った。これを持ってクラフロトという東洋学者が現地の偵察などを行った後、1832年にフランス語版を作り上げた。国会図書館のフランス語版がまさにその地図だ。古書収集家のハン・サンボク先生が国会図書館に寄贈したそうだ」
そこで、ハン・サンボク氏(72)に電話インタビューを申し込んだところ、1980年代初めにオーストラリアで購入したもので「1832年の印刷本」になると説明してくれた。しかし、当のハン氏は「地図で対馬が韓国と同じ色の黄色で塗られているからといって韓国領だと主張できるかどうかは疑問」との反応を示した。
以下はキム大領とのインタビュー。
―韓国の国会図書館に保管されたもの以外に、他のフランス語版の原本が発見されたことはないのか。
「フランス語版は全部で数十部製作されたと記録されている。しかし、筆写本以外には発見されていない。『小笠原諸島』をめぐり米国と領土交渉を行った日本代表が、1863年にフランス大使を訪ねた。同代表がフランス語版を回収し、廃棄した可能性が高い。その直後に日本は対馬を日本の領土として帰属させている(1868年)。これに前後して、対馬を日本領と表記した筆写本が一挙に作られたのだと思う」
―林氏の日本語版原本は直接見たことがあるか。
「日本語版でも、対馬が日本領となっている筆写本だけしか出回っていない。東京の国立国会図書館に原本が保管されているというが、確認できなかった。しかし、林氏が作成した『朝鮮八道地図』の原本は見つけた。林氏の故郷の仙台にある東北大学博物館のインターネットサイトで見つけた。大学側が“原本”と紹介していた。その地図でも対馬は朝鮮領と書かれていた。私がこれらの資料を根拠に2010年末に論文を発表すると、1カ月もたたずにインターネットに掲載されていた地図が削除されてしまった。その部分は『ノーイメージ(写真なし)』になっていた」
―対馬の領有権についてよりも、どうして現役軍人が対馬の研究に没頭するようになったのか気になる。
「2008年初めに米国ジョージワシントン大学で研修を受けていたときのことだ。ニューヨーク・タイムズに歌手キム・ジャンフンさんが出した独島の広告を目にした。民間人もこうして努力しているのに、現役軍人として何か寄与しなければという気がした。ジョージワシントン大学は故・李承晩(イ・スンマン)元大統領が通った大学で、同元大統領が政府を樹立した後『対馬返還』を要求したことを思い出した。何が根拠で、そうした主張を展開したのか知りたかった」
故・李承晩元大統領は、大韓民国政府の樹立(1948年8月15日)の3日後に行った初の記者会見で日本に『対馬返還』を要求した。翌年の年頭会見と年末会見でも「対馬という韓国の失地を回復するのだ。日本人がいくら主張したとしても、歴史は変えられない」と主張した。こうした圧力を受け、日本の首相が「実際に韓国人が2000人ほど居住している」という対馬の状況を天皇に報告している。しかし、6カ月後に韓国戦争(朝鮮戦争)が発生した。
―故・李承晩元大統領について何か資料はあったのか。
「ジョージワシントン大学の図書館7階の特殊文書室で、同元大統領の1907年の卒業アルバムを見つけた。そこには『李承晩氏に国籍を聞くときは失礼のないように。彼の成績は全科目A、Bと、私たちの中で最も優秀だった。従って2年半で早期卒業できた。彼は歴史や哲学などのYMCAとの討論会で常に主要メンバーだった』という文章が、当時同じ学科の同級生によって書かれていた。李元大統領が大学で歴史関連の2科目を履修し、その後ハーバード大学(修士)とプリンストン大学(博士)でも歴史について研究したことが分かった」
―それが故・李承晩元大統領の「対馬返還」要求とどんな関係があるのか。
「同元大統領が米国滞在時代に書いた『ジャパン・インサイド・アウト』(1941年)を見た。真珠湾への奇襲攻撃の7カ月前に、すでに日本が米国を相手に戦争を起こすことが予測されていた。その書籍には『日本と朝鮮の間、朝鮮と満洲の間などに境界があったということを忘れてしまっているようだ。日本がこうした境界を一つ、また一つと破りながら…』というくだりがある。同氏には実際に根拠があって『昔は境界線があった』と言ったはずだ。『対馬の領有権』に対する主張も、こうした脈絡から出てきたのだと思う」
―キム大領には過去、同分野について専攻、または勉強した経験はあるか。
「全くない。ただ、そうした関心が生じたことで、米国で開かれたある古美術・地図展示会で1864年に発行されたアジアの地図を買った。地図の下には『米国ペリー艦隊の日本の現地偵察と測量によって作成した。日本と条約が締結されることによって米議会の指示で、米国政府が作成した』と書かれてある。この地図には大韓海峡が現在の位置ではなく、対馬の南側となっていた。日本の領土は彩色されていたが、対馬は韓国と同じく無色になっていた。これが研究にのめり込むようになったきっかけだ」
―当時、米国としては東洋のどの国にどんな島が属していたのか、知る手段がなかったのかもしれない、とは思わないか。
「ペリー艦隊は前述した『小笠原』をめぐり日本と領土紛争を展開した当事者だ。当時、日本は林氏のフランス語版の地図を提示することで、交渉での勝利をものにした。そして、これを根拠に米国政府が製作した地図だった。だから対馬がどの国に属するかは知っていたはずだ」
―地図一つだけで多くのことを推測し過ぎているとは思わないか。
「1855年に英国で製作された地図には、日本の各地方が区域別に番号で表示されている。その地図の下には『対馬と壱岐島は日本王国に含まれない』とある。1945年に国内で発行された『朝鮮解放記念版最新朝鮮全土』にも、対馬は韓国領と表記されている」
―しかし第2次世界大戦の敗戦国である日本と、米国などの戦勝国の間では、戦後処理のために「日本は韓国の独立を認め、済州島、巨文島、鬱陵島をはじめとする韓国に対する全ての権利と所有権、請求権を放棄する」とするサンフランシスコ条約(1951年)が締結された。この条約に『独島』と『対馬』は明記されていなかった。これで、故・李承晩元大統領の『対馬返還』要求も水泡に帰してしまったわけだ。
「私たちは『戦勝国』の立場ではなかったため、交渉には参加できなかった。また、何よりも朝鮮戦争の最中だった。外交的制約が多かったのだ。このため、李元大統領は1952年に独島を含む『平和ライン』を設定したのだ。しかし、対馬を念頭に置き『この境界線は将来的に究明される新たな発見・研究、または権益の出現によって発生する新たな情勢に合わせて修正できることを宣言する』と付け加えられている」
―対馬に対する領有権主張は本当に現実性があると思うか。
「当時のサンフランシスコ条約で『小笠原諸島』が米国に移った。しかし、日本の執拗(しつよう)な要求で1968年に引っ繰り返った。米国が過去の合意を受け入れて、その島を日本に返還したのだ。当時領土交渉の基準となった地図によれば、対馬の領有権は韓国にあるのではないか」
キム大領からは引こうとする気配が一切感じられず、私はそのままソウルに帰るほかなかった。
ソウル市内のK大学に交換留学生としてやって来たベトナム人のAさん(23)は最近、夏休みを利用して京畿道にある携帯電話の組立工場でアルバイトをした。しかし、給料日が近づくと、社長は「工場が大変なことになった。少しだけ待ってほしい」と、アルバイト代の支払いを先送りした。そして、ついには社長の電話番号が変わってしまい、連絡さえ取れなくなってしまった。結局Aさんは約1カ月のアルバイト代150万ウォン(約10万5000円)を受け取ることができなかった。
ソウル市内のS大学に通っている中国人留学生のBさんも、学校周辺の飲み屋で毎日8時間バイトしたが、2カ月分に相当するアルバイト代(200万ウォン=約14万ウォン)を受け取ることができなかった。留学生会が店を訪れて支払いを求めたものの、社長は「経営状態が厳しい」という言葉を繰り返すだけだった。Bさんは「労働庁などに訴えようとも思ったが、あちこち回らなければならず、不利益を被る可能性があったためやめた」と、結局アルバイト代を諦めた。
このように、アルバイト代を支払ってもらえない外国人留学生が増えている。被害に遭った学生たちのほとんどは訴えようとしないため、統計としては残っていないものの、留学生たちの間では「バイトをした留学生の10人に1人は支払ってもらえなかった経験がある」との話がある。中には、セクハラが発生するケースもあるという。国立国際教育院外国人留学生相談センターや外国人留学生会には、賃金を支払ってもらえないなどの訴えが日に日に増えている。
しかし、被害者たちが公的に問題を訴えるケースはまれだ。これは、留学生のバイトのほとんどが違法であるためだ。2009年に法務部は、事前に申告する場合に限り、学部生には週に20時間、大学院生には週に30時間のバイトを許可した。しかし、事業者登録証、推薦書などの書類を提出しなければならない上、週に20-30時間以上働くケースが多く、ほとんどの留学生が申告しないのが実情だ。建国大学に通う中国人留学生のハヤンさん(24)は「週に20-30時間では、時給5000ウォン(約350円)の場合、月にわずか40万-60万ウォン(約2万8000-4万2000円)にしかならない。最も安い下宿でも月に30万ウォン(約2万1000円)以上だが、これではやっていけない。そのため不法のアルバイトをするほかない」と実情を語った。不法のアルバイトは、ビザの取り消し理由となる。
ソウル産業通商振興院の関係者は「外国人留学生はバイト探しの競争が厳しいため、韓国人学生よりも500-1000ウォン(約35-70円)安い時給でも働くケースが多く、不当な目に遭ってからも、不法就労が発覚するのを恐れ、話せないケースが多い」と話した。これについて、法務部の関係者は「外国人留学生のアルバイトに制限を設けているのは、ビザの目的自体が学業だからだ。無制限に許可してしまえば、副業であるアルバイトが本業になってしまいかねない」と説明した。
国立民俗博物館では現在、異色の展示会が開催されている。「多文化特別展―私の名前はマポポ、そしてキム・ハナ」展だ。韓国に来て家庭を築いた女性たちの所持品を通じて「多文化家庭(国際結婚家庭)」の日常を見詰めるという展示だ。来韓する際に、ふさわしい手土産がなかった貧しく幼い新婦たちの中には、祖父の歯を持参する人もいた。歯科検診など受けていないとみられる傷んだ歯を見ていると、なぜかより寂しい気持ちになる。ベトナム、フィリピン、中国、インドネシアなどの国から来た女性たちの所持品を目にするだけでも、韓国社会がどれほど急速に異文化と混ざり合っているのかを知ることができる。異国の女性の所持品が、韓国の「民俗」博物館に展示されたというのは、今後このような女性たちの人生も、時間がたてば「韓国の民俗と歴史」になるということを意味している。展示会のタイトルに名前が使われているマポポさんとキム・ハナさんは、韓国人男性と結婚して移住してきた女性であり、この展示会には企画者として参加した。
キム・ハナさんは今、離婚して一人で暮らしている。展示会を紹介する記事を読んで、当初は当然夫がいる女性が対象だろうと思っていた。「東南アジアの女性には夫がいる」、このことを当然の事実だと思っていた。なぜなら、東南アジアの女性たちは韓国人男性と暮らすという条件で韓国に来たためだ。それなのに一人で暮らしている? もちろん、それも当然のことだ。なぜなら、結婚は個人の意志によって選択することができ、意志によって解消することができる社会的契約だからだ。ところが、自分自身は、移住した女性も離婚することができるということを長い間忘れて暮らしていた。恥ずかしかった。
そして、再び恥ずかしい事件に直面した。統営(慶尚南道)のアルムちゃん事件(幼い少女が暴行殺害された事件)の犯人、キム・ジョムドク容疑者が逮捕された際、メディアは容疑者について「家庭がある平凡な男」と紹介した。ところが、その家庭は「ちょっと違う平凡」だった。キム・ジョムドクは性犯罪を犯し、4年間服役した後、出所直後の2009年、23歳年下の妻と結婚した。当時、ベトナム出身の妻は19歳だった。キム・ジョムドクが捕まって初めて、妻は夫が前科者だったことを知った。
このようにだまされた外国人女性は少なくない。教師だという夫が実は窃盗犯だったとか、夫が強盗・強姦(ごうかん)未遂犯だということを後で知った外国人妻もいる。このような問題が知られるようになり、韓国は2010年、結婚仲介業者が依頼者の犯罪経歴照会書を相手側の国に提供するという規定を制定した。しかし、この協約を結んでいない国もある上、この規定を守っていない違法な結婚仲介業者も多く、書類が捏造(ねつぞう)されることも多い。
このような話を聞くと「夫も子どもも捨てて逃げ出した外国人妻がいかに多いか知っているか」という反論が必ず出るだろう。しかし、このような事件は韓国人同士でも多い話だ。
韓国は、国際詐欺結婚をこれ以上放置してはならない。最大限の情報を与え、相手の女性たちが選択できるよう「配慮」する制度を整備すべきだ。韓国の懐を広げるためには、考えをさらに柔軟にし、韓国人女性と同様に東南アジアの女性も性格の不一致により夫と別れることもあるということを認めるべきだ。「離婚した東南アジアの女性たちは、国籍を奪って追放すべきだ」というような暴力的なコメントや反応があってはならない。むちで打たれ虐待されている東南アジアの女性だけでなく、離婚した女性もわれわれの胸で受け止めるべきだ。われわれだけが損をするかのように思えるかもしれない。しかし、韓国は奴隷を受け入れているわけではなく、人と人とを結婚させているのだ。結婚し、韓国籍を得た東南アジア女性は、韓国の女性だ。彼女たちは離婚する権利も持っている。
朝鮮日報のコラムによると、最近退職したある公務員が電子メールを送ってきた。高額年金(月334万ウォン〈約23万円〉以上)所得がある上、会社員の子どもの扶養となることで健康保険料を支払ってこなかった退職後の公務員たちに健康保険料の支払いを義務付けるとした保健福祉部(省に相当)の計画が、公務員たちの反対によって水泡に帰したという記事を読んで驚いたという。「会社員の子どもがいようがいまいが、年金を受け取っている以上、健康保険料を支払うのは当然ではないか。健康保険の賦課基準が平等でなかったら、一体誰が支払うというのか」。この元公務員には子どもが二人いるが、二人とも職がないため国民健康保険を3年前から毎月18万ウォン(約1万2000円)支払っているという。同計画が施行されれば、新たに健康保険料を支払わなければならなくなる元公務員は1万2000人に上るが、こうして国民健康保険料を支払っている元公務員は数万人に上る。
このように公務員を前にしてゆがめられる健康保険制度の内容は、何もこれに限ったわけではない。公務員は課長、局長、室長になると、職務手当(月40万-90万ウォン=約2万8000-6万3000円)を受け取る。サラリーマンも課長や部長になると、職務手当を受け取る。しかし、公務員の職務手当は健康保険料の支払い対象にならず、サラリーマンの職務手当は健康保険料の賦課対象になっている。公務員が受け取る福祉ポイントは健康保険料から除かれるが、サラリーマンが受け取る福祉ポイントは健康保険料の賦課対象だ。こうして公務員が支払わない健康保険料は1年で実に800億ウォン(約56億円)に上る。公務員の職務手当を健康保険料の賦課対象にしてはいけないという有権解釈を下した機関が法務部だというから、ため息しか出てこない。
国民をさらにがっかりさせるのは年金だ。公務員は20年間続けて支払わなければ年金を受け取る資格が与えられなかった。しかし、2009年から公務員年金と国民年金の連携制度を作った。公務員年金と国民年金を合わせて納付期間が20年を過ぎれば、それぞれの年金公団から加入期間に合わせて年金を受け取れるようにしたのだ。表向きには、年金を受け取ることができない「年金死角地帯」のための措置だとしているが、これが公務員のための措置だということは知らない人がいない。このように、年金を与える必要がない人に年金を与えるようになったために、国民年金と公務員年金が2070年まで使用する金額が、約35兆ウォン(約2兆4000億円)というから驚くばかりだ。
公務員年金と国民年金を連携する日本などでは、両者を統合して公務員であれ会社員であれ同じ額を支払い、同じ額を受け取るよう努力している。しかし、韓国では依然として別個の年金だと主張される。国民年金に加入した夫婦は、年金をもらっている間にどちらか一方が死亡すれば、原則的には1人分の受取額が減らされる。1人に対して多大な額は支払えないといった論理からだ。しかし、公務員年金にはこうした条項が適用されていない。国民年金への加入が義務付けられていない、公務員の夫を持つ妻がこぞって国民年金に加入しようとするのも、こうした背景があるためだ。
公務員年金と私学年金は、赤字が発生すれば、政府が責任を負うと年金法に明記されている。どんなに赤字が発生しても、受け取る額を減らそうという話に公務員たちが耳を貸そうとしないのは、このためだ。しかし国民年金には、政府が責任を負うという条項がどこにも見当たらない。そこで、当初は公務員年金と同じく現役時代の所得の70%を受け取るようにしていたのを減らしに減らして、今では40%に抑え、「お小遣い程度の年金」に仕立て上げてしまった。それでも足りず、今では月々支払う健康保険料を上げろと要求している。
私が住むこの国は、国民のための国なのか、それとも公務員のための国なのか。
24年前に慶尚南道巨済市に住む韓国人の助産師が、養子縁組の際に受け取る手数料を目当てに「乳児は生まれてすぐに死亡した」と言って乳児の両親をだまし、書類をそろえてオーストラリアで養子縁組させていたことが、オーストラリアの民放局の取材で明らかになった。
オーストラリアの民放「SBS」は、慶南巨済市に住む助産師が1988年に「乳幼児売買」を通じてオーストラリアで養子縁組させた韓国系女性、エミーリー・ウィルさん(仮名)=24=が、23年ぶりに韓国の生みの親を探し当てたという奇怪なニュースを今月18日(現地時間)に報じた。
放送によると、ウィルさんが生まれた1998年、この助産師はウィルさんの両親に「赤ちゃんは出産中に死亡した」とうそをつき、その後ウィルさんを慶南晋州市の孤児院に入れた。5カ月後にウィルさんは「孤児」として分類され、オーストラリアで養子縁組された。当時の養子縁組の書類には「婚前交渉で子どもを生んだ親が、養育を放棄した」との内容が記載されていた。
ところが「出生の秘密」について全く知らず、養父母の下で育ったウィルさんが、結婚して娘を出産したことをきっかけに自分のルーツを探したところ、この事実が発覚。ウィルさんは自分の子どもに遺伝的疾病があるかどうかを知るために、生みの親を探し始めたのだ。3年にわたって生みの親を探し続けたウィルさんは昨年、慶南巨済にある養子縁組専門機関の事務所の小さな部屋で、夢にまで見た生みの親と23年ぶりに対面した。
「私の人生は、助産師によって完全に変えられてしまった」
ウィルさんは「私は生みの親に捨てられたと思っていた」と泣きじゃくった。ウィルさんは韓国で自分のルーツを一つずつ確認していった。まず、助産師が作成した養子縁組の書類とは異なり、ウィルさんの生みの親はウィルさんを出産した当時、非常に仲のいい夫婦だったことが分かった。助産師が、ウィルさんが出産途中で死亡したかのように見せかけ、オーストラリアで強制的に養子縁組したという事実も確認した。その瞬間をウィルさんは「頭の中が真っ白になった。この事実を一体どのように受け止めるべきか。こんなばかげた話が現実にあるはずがないとも思った」と放送で語った。ウィルさんの養父母も、この知らせを聞いて驚きを隠せなかった。「自分の娘」として育てたウィルさんが、実は「乳幼児売買」によって送られてきていたという事実にショックを受けたのだ。
娘が出産途中に死んだとばかり思い込み、24年間暮らしてきたウィルさんの実の両親も「2人の娘の母」となって突然現われた娘の姿に、ただただ驚くばかりだった。ウィルさんは放送で「私の実の母は涙も出ず、言葉も発することができなかった。そのため私はそれ以上、実の母に近付くことができなかった」と語った。ウィルさんはまた、インタビューで「私の人生は一体、誰が補償してくれるのか」と泣き崩れた。海外で養子縁組された人々の集まり「トラック(TRACK)」の関係者は、オーストラリアのテレビ局とのインタビューで「韓国人によって違法に養子縁組されるケースは全て金銭が目的」と証言した。養子縁組の際に受け取る手数料を目当てに、子どもの過去を「ロンダリング(詐称)」し、違法な養子縁組を行うというのだ。
ウィルさんは、自分が乳幼児売買によってオーストラリアにやって来たこと、強制的に養子縁組させられたことなどをオーストラリアの法務部に訴えた。オーストラリアの法務部は、調査に乗り出したものの、20年以上も前のことで調査が難航しているという。同国法務部のスポークスマンは「オーストラリアでウィルさんのようなケースが発覚したのは今回が初めてだ。オーストラリア政府は養子縁組の相手国に対し、乳幼児の強制売買のようなことがないよう何度も要請しているが、これには限界がある」と話した。同番組は「朝鮮戦争が終わって以降、韓国は養子を輸出する主要国だったが、2006年以降はその数が急激に減った」と報じた。
「養子縁組は、子どもを売買するものではない。従って輸出などというのはもってのほか。私たち(養子)に値段など絶対に付けられるわけがない」
ウィルさんは番組の最後に涙を流しながら訴えた。
「宇宙基地の建設に当たった5年間で、3回しか笑わなかった。コンペティションに当選したとき、現場に初めてシャベルを入れたとき、そして工事を終えて離れるとき。それ以外は、まるで笑う余裕はなかった。時折、振り返ってみても『どうやってこれを建設したのか』と思う」
今年4月、米国ニューメキシコ州の砂漠の真ん中に、世界初の民間宇宙基地「スペースポート・アメリカ」が出現した。バージン・グループ会長で「変わり者の億万長者」と呼ばれる英国のリチャード・ブランソン氏が作った宇宙基地だ。この基地は当時、韓国内外で話題になったが、実はこの巨大プロジェクトを設計・指揮した人物が韓国人だという事実を知る人はほとんどいない。その人物とは、建築家のペク・チュンボム氏(40)だ。ペク氏は15歳のときに米国に渡り、1999年にハーバード大学の大学院で建築学修士号を取得した。これまで主に英国で活動し、韓国ではあまり名前が知られていなかった。ジャン・ヌーベル(仏)、レンゾ・ピアノ(伊)といった建築界の巨匠の下で働き、ノーマン・フォスター(英)が設立した建築会社「フォスター」に12年間勤務した。スペースポートは、ペク氏がフォスター社で働いているときに進められたプロジェクトだ。
ペク・チュンボム氏は今年7月から、ソウル市内にある建築設計事務所で働いている。今月5日、ソウル市江南区清潭洞で会ったペク・チュンボム氏は「私は建築家としてはまだ駆け出しの段階」と語った。「建築というものは設計者自身のこだわりだけで進めるものではなく、周辺の状況と建築主の要求との間で最善の答えを探す過程だ。結局、私にとって建築とは、与えられた限界状況の中で大勢の人と対話しながら解いていく、数学の問題のようなもの」
2007年に着工した「スペースポート・アメリカ」も、建築主である英国の宇宙旅行事業会社「バージン・ギャラクティク」および米国ニューメキシコ州当局と対話を繰り返し、完成させたという。ペク・チュンボム氏は「建築主やニューメキシコ州当局には『昔からあった建物のように、周辺の環境によくなじむもの、それでいて空から見下ろしたときに、誰もが忘れられない象徴的(iconic)な姿のもの』を求められた」と語った。ペク・チュンボム氏がこの要求に対する答えとして用意したのが、正面からは山の稜線の一部のように見えるが、空から見下ろすと巨大な翼を広げたコウモリを連想させる、独特の形態をした建物だった。外壁を土色に近い色で何度も塗り、ターミナルビルや格納庫、宇宙往還機が飛び立つ3200メートルの滑走路なども、周囲の砂漠の景観に自然に溶け込むよう、有機的な曲線でデザインした。ペク・チュンボム氏は「スペースポートは、環境に優しい建物でもある」と語った。「建物の内部に、空気の循環路の一種『アースチューブ』を作り、外の空気がそのチューブを通りながら自然に冷えるようにした。砂漠の真ん中であっても、エアコンなしで常に室温が17度に保たれるのは、このシステムがあるからだ」
今年の末には、ペク氏がデザインしたパナマの「パナマシティー空港」が工事に入る。屋内を木で仕切り、建物の中に「室内庭園」を設置する環境に優しいデザインだという。ペク氏は最近、韓国で初めて作品を仕上げた。ドイツの自動車メーカーBMWの注文を受けて作った、VIP向けの「モビリティーラウンジ」(ソウル市江南区清潭洞)だ。BMW側には「自動車が自由に移動できるのと同じように、まるごと別の場所に移動できるラウンジを設計してほしい」といわれた。このため、木製の合板とウレタンを組み合わせて壁面や天井、床などを作り、どこでもすぐに組み立て・解体できるようにした。壁面を、さまざまな角度でカットした宝石のように見せるため、でこぼこした五角形でデザインしている点も目を引いた。
ペク・チュンボム氏は「これからも仕事の規模を問わず、楽しい建築・デザインプロジェクトを数多く手掛けたい」と笑顔を見せた。
韓国で近ごろ相次いでいる凶悪犯罪には、決して見過ごしてはならない事実がある。犯罪の発生現場が家の中ということだ。住居侵入犯罪は今に始まったことではなく、私たちは家の中で起こる犯罪を路上や公園での犯罪と同じように考えがちだが、その違いは大きい。家は誰にとっても最も安心でき、くつろげる安息の場であるべきだが、住居侵入犯罪は家を一瞬にして地獄に変えてしまう。
先月20日午前、ソウル市広津区中谷洞に住む30代の主婦が自宅で殺害された。犯人は、この女性が2人の子どもを幼稚園バスの停留所まで送りに出た隙に開いていた玄関から侵入し、部屋のドアの後ろに隠れていた。バス停がすぐ近くだったため、女性は家の鍵を掛けていなかった。犯人は、帰宅した女性に飛び掛かり性的暴行を加えようとしたが、激しく抵抗されたため、殴りつけた揚げ句にナイフで殺害した。この女性は、いつもなら子どもを幼稚園に送ってから食器を洗い、部屋を掃除し、余裕があればお茶を飲み、平凡ながらもかけがえのない1日を過ごしただろう。1日に数十回出入りする自宅の部屋に凶悪犯が隠れているなどとは、夢にも思わなかったに違いない。
先月29日には、ソウル市東大門区で40代の主婦がごみを捨てて自宅に戻り、洗い物をしていたとき犯行に遭った。犯人が突然現れ、女性を寝室に連れ込み性的暴行を加えようとしたのだ。犯人は女性がごみを捨てに出た隙に開いていた玄関から侵入し、部屋に隠れていた。女性が激しく抵抗したため逃げ出したが、悲鳴を聞いて駆け付けた隣人に取り押さえられた。この女性も、家という安息の場が一瞬にして失われてしまった。
自宅で犯罪に遭った場合、路上や公園での犯罪よりも後遺症が強く、長く残る。中谷洞の自宅で殺害された女性の夫は事件後、子どもたちを連れて別の地域に住む母親の家に身を寄せている。事件があった家ではつらい記憶がよみがえり、とても暮らせないためだ。外で犯罪に遭った場合は、それでも「家にいれば安心だ」と思うこともできるが、自宅で犯罪に遭うと、わずかな慰めと安らぎを得る場所さえ失ってしまう。
刑法で、住居侵入犯罪は加重処罰対象となっている。路上や公園などでの一般強盗は3年以上の懲役だが、夜に他人の家に侵入して強盗に及んだ場合は、夜間住居侵入強盗罪として無期または5年以上の懲役と厳しい処罰が下される。窃盗の場合も、一般窃盗は6年以下の懲役だが、夜間住居侵入窃盗罪は10年以下の懲役となる。
だが、ここには盲点がある。昼間に他人の家に侵入し、強盗や窃盗を行った場合は、夜の犯行のように加重処罰されないのだ。被害者にとっては、昼だろうと夜だろうと、家庭の平穏を奪われることに変わりはない。強盗の20.5%、窃盗の23.6%が住居で起こっており、強盗の28.2%、窃盗の45.7%が昼間に発生する。昼間の住居侵入強盗・窃盗罪についても、処罰を厳しくすべきだ。
かつて、単純な強姦(ごうかん)罪は全て3年以上の懲役と定められていた。だが、性的暴行犯罪が大きな社会問題になったことから、2010年にようやく特例法が制定され、昼夜を問わず住居に侵入して性的暴行を加えた場合は無期または5年以上の懲役と処罰が重くなった。
さらに深刻なのは、住居侵入を大きな罪と捉えない社会の風潮だ。玄関の鍵をきちんと掛けていなかったことを責めるべきではない。いくら玄関が開いていようと、他人の家に侵入することは大罪だと受け止める社会になってこそ、わが家を犯罪者から守ることができる。
輸入自動車の人気に押され、韓国製の高級車の販売台数が急減している。現代自の「エクウス」「ジェネシス」、起亜自の「K9」(オピラス)、双竜自の「チェアマン」など韓国製の高級車の月間平均販売台数は、2009年の5700台から今年(1-8月基準)は3600台と、毎年落ち込んでいる。今年5月に起亜自が「K9」を発売したものの、その好況もわずか4カ月間しか続かなかった。高級車は小型車よりもマージン率が高いだけに、内需市場での高級車の販売低迷は世界市場での競争力低下につながる恐れがあるとの見方が出ている。
■高級車市場で低迷する韓国メーカー
業界では「韓国製の高級車の人気そのものが低下しているのではないか」といった分析もある。今年に入って韓国製の高級車の販売台数は、4月の3200台から6月には4800台に回復するとみられていたが、7月に4000台に落ち込んだのに続き先月は2700台にまで低下した。
起亜自は輸入車に奪われたシェアを取り戻すために「K9」を発売したものの、販売台数は毎月減っている。起亜自は発売月の5月に2000台の販売目標を掲げたものの、5月は1500台、6月は1700台、7月は1400台と、1度も目標を達成できなかった。そして先月には800台にまで落ち込み、早くも新車の販売効果を失ってしまった。ソウル大学の朱尤進(チュ・ウジン)教授(経営学)は「“K9”は品質こそ優秀だが、ブランドパワーと価格競争力で輸入車の攻勢に対抗し切れなかった」と、低迷の原因について説明した。
高級車の販売台数が減ったことで、韓国自動車メーカーの内需市場での収益性も悪化する見通しだ。これまで国内メーカーは、中小型車よりも利益率が高い大型高級車を数多く販売し、収益を上げてきた。しかし、高級車が計画した販売台数を大幅に割り込んだことで、むしろ収益性が低下する状況を迎えている。「K9」の開発には5000億-6000億ウォン(約340億-410億円)が投じられたとされる。業界では、「K9」が月間2500台以上売れないと損益分岐点を越えられないとみている。輸入車にシェアを奪われないために、投資額は大幅に増やしたものの、販売はむしろ減るといった二重の苦しみを味わってるわけだ。
■ブランドパワーの限界にストライキの悪影響まで
韓国製の高級車の販売台数が減った理由は、いくつか挙げられる。まず、ブランド価値やサービスの品質が一部の輸入車ブランドに比べて劣っているにもかかわらず、車体価格を無理やり輸入車のレベルにまで引き上げたためだとする見方だ。BMRコンサルティングのイ・ソンシン代表は「韓国製高級車の購買層が受け入れられる価格には限界が存在するが、これを無視して価格を引き上げたため、総販売台数が減ってしまった」と分析する。
現代・起亜自が意図した輸入車の顧客の取り込みは、まださほど大きな効果を上げることができていない。現代自の関係者は「最近の市場分析結果によると、国産車から輸入車に乗り換えた顧客が再び国産車を購入したり、初めから輸入車に乗っていた顧客が当社の車に買い換えたりする割合は、低いことが分かった」と説明する。つまり、「K9」が輸入車の顧客を引き込んだというよりは、韓国の競合他社の顧客を奪ったにすぎない可能性も十分にあるというわけだ。
韓国自動車メーカーによる供給者中心の市場戦略がこれ以上通じなくなったためだ、という見方もある。韓国メーカーは「品質をこれだけ改良したのだから、その分高く売って当然だ」と主張する。しかし、高級車を好む顧客の間では、こうした論理が通じない。アウディ・コリアのハン・ドンリュル次長は「中小型車市場では、コストパフォーマンスの面で国産車がやや有利な面があるが、高級車市場では輸入車の側にいくらでも代案がある」と話す。
先月末まで続いた現代・起亜自のストライキも、高級車の購入を考える顧客に悪影響を与えたようだ。顧客の選択幅ははるかに広がっているが、国内メーカーの内輪もめが消費者に否定的な影響を及ぼしているというのだ。
韓国製の高級車の販売台数が減る中、先月の輸入車の販売台数は5カ月連続で月1万台を突破した。8月の輸入車の販売台数は1万576台と、1年前に比べて16%増加した。韓国自動車メーカー5社の販売実績が1年前に比べて25%減少したのとは対照的だ。輸入車協会のユン・デソン専務は「先月、国内自動車市場で輸入車の占める割合が史上初めて11%台を記録した。商用車や軽自動車を除いて乗用車やSUV(スポーツタイプ多目的車)市場だけを比べると、シェアは15%に上る」と話した。
輸入車売り場が立ち並ぶソウル市江南区ノンヒョン洞の島山大路沿いのあるビルに最近、大きな黒い横断幕が掲げられた。外壁には新製品発売の9月14日まで何日残っているかを示す、大型電光掲示板が設置されている。
同ビルの大きなドアを開けて、レッドカーペットが敷かれた廊下を歩いていくと、車を紹介する映像が流れていた。らせん状の狭い階段を下りると、シルバーのセダン2台が、事前に招待された少数の顧客の前に姿を現した。トヨタ自動車が高級ブランド「レクサス」の「ES」6世代を韓国で発売するのに先立ち、特別に設けたVIPショールームだ。発売開始までの1カ月間で、VIP顧客500組を招待する。そのうちの多くが購入契約書にサインするものとトヨタは期待している。
■米国や中国にないVIPショールームが韓国に登場
トヨタは、韓国に比べ10倍大きな市場である米国や中国にも設置していない「VIPショールーム」を、韓国に登場させた。排気量3500ccクラスの大型セダンであるレクサス「ESシリーズ」は、一時韓国の輸入車市場をリードし「江南ソナタ」というニックネームまで付けられたベストセラーカーだ。しかし、大量リコールと東日本巨大地震の影響を受け、現在の販売台数は最盛期の3分の1にまで落ち込んでいる。
これまで競合ブランドのBMW、ベンツ、アウディはそれぞれ「5シリーズ」「Eクラス」「A6」など代表的セダンの販売台数を2倍近くにまで伸ばすことで、市場の主導権はほぼドイツの手に渡っていた。
さらに現代自動車は「ジェネシス」、起亜自動車は「K9」を掲げて守備固めに入っており、レクサスが入り込む隙はなかった。このため「ES」はレクサスの最高級車種ではないにもかかわらず、VIPマーケティングに乗り出したというわけだ。発売開始前に少数の顧客だけを招待して車を紹介するマーケティングはコストがかさむため、BMWやアウディなど一部のドイツブランドに限定された戦略だった。
韓国トヨタの関係者は「韓国という市場は世界各地でライバルとして浮上している現代・起亜自の奥座である上に、ドイツの高級車メーカーの最新マーケティングの戦略競演場でもあるため、本社は今回のショールームに数億ウォン(数千万円)を投入するなど特別に神経を注いでいる」と説明した。
■BMW「5シリーズ」に比べ500万ウォン安い
トヨタ本社と韓国法人は発売開始を目前に控え、連日にわたって価格の策定会議を行っている。ドイツの競合セダンだけではなく、「ジェネシス」の消費者層まで一挙に引き込むためには、価格を最大限に引き下げるほかない。
レクサスが「ES」に最初に導入したハイブリッドモデル(ES300h)は、2500ccのガソリンエンジンにハイブリッドシステムを加えた車種で、3000ccクラスのセダンに劣らないパワーを発揮する主力モデルとなる見通しだ。韓国トヨタは同車種を、ガソリンモデル(ES350)に比べ安い5000万ウォン(約350万円)台半ばで発売する予定だ。これは、最大のライバルとされるBMWのディーゼルセダン「520d」に比べ500万ウォン(約35万円)ほど安い価格設定だ。燃費に優れたドイツ製ディーゼル車に傾いている韓国人消費者の関心を、合理的な価格を誇るハイブリッド車に向けようという戦略だ。
「ES350」の価格も従来より引き下げ、5000万ウォン代半ばから後半に制限することにした。2007年型「ES」の価格帯が5960万ウォン(約410万円)から6520万ウォン(約450万円)だったことから、品質を改善しながら価格を500万ウォン以上も引き下げる努力をしたわけだ。
トヨタは今年初めに豊田章男社長が突然韓国を訪れ、新型「カムリ」を韓国で発売したのに続き、レクサスの全車種を新型モデルに入れ替えた。今年3月に高級スポーツセダンの新型「GS」のモデルチェンジを行ったのを皮切りに、5月にはスポーツタイプ多目的車(SUV)の「RX」、9月には「ES」、そして年末には最高級セダンの「LS」に至るまで、全車種で部分的もしくは完全変更モデルを発売する。同一ブランドの全車種が1年以内に全てモデルチェンジするのは非常に珍しいことだ。韓国輸入車協会のユン・デソン専務は「韓国で2年連続の赤字を記録したトヨタが、新型レクサス『ES』を危機克服のターニングポイントとして掲げたようだ」と説明した。