2021年10月24日(日)
今日は、鹿児島本線熊本駅(熊本県熊本市)
8時半前に着いたとき、受け付けは長蛇の列。一番後ろに並ぼうとしたころ列が動き出した。
スタートして、すぐに駅前の歩道橋を渡る。
熊本アミュプラザと熊本市電の熊本駅前電停。
熊本市立図書館などが入っている熊本森都心プラザの建物から歩道橋を下る。
坪井川を渡る。川沿いの道の向うは白川。熊本駅の電車通り東口は白川口とも名付けられている。
坪井川と白川は熊本城長塀の前辺りで合流していた。
この地点まで合流した川が流れて、ここで分岐していた。その間に塘を築き分流させたのは、加藤清正。
白川改修の歴史は、国土交通省九州地方整備局熊本河川国道事務所のホームページに詳しく掲載されている。
(ホームページ>河川情報>白川について>白川の歴史について)
白川に架かる大甲橋~龍神橋の向かって整備されていく白川沿いの道には「白川ちゃりんぽみち」という愛称がつけられている。
加藤清正の遺産である坪井川と白川の間の道を少しだけ歩いて、その後は白川に沿って歩く。
振り向くと、熊本駅付近のビル群が。
新幹線が開業して以来、景観が一変してきた。
熊本駅コースはスタートして白川沿いを歩くのがお決まりコースだが、私は逆コースがいいと思う。
この景観を眺めながらゴールの熊本駅コースを目指すのも、都市型ウォーキングの魅力の一つになると思う。
紺屋今町交差点から日本銀行のある通りの入り口の中央分離帯に像が。初めて気づいた。
肥後てまり唄像。近くまで行って撮るのは危険。
バスターミナルのある「サクラマチクマモト」。
花畑公園前辺りから熊本城。
熊本市民会館前から加藤清正像。
御幸橋を渡る。川は坪井川。
御幸坂の上り口にある、「西南の役回顧の碑」とクスノキ。
「桜の馬場城彩苑」の中を通る。
飯田丸五階櫓は解体され、今は石垣の復旧工事が行われている。
二の丸広場から熊本城天守閣。一般公開が始まっている。
二の丸広場の木たちも秋の装いになってきた。
天守閣の一般公開が始まったが、まだまだ手付かずの所も多い。
「加藤神社」へ。
加藤神社境内から天守閣。
加藤神社入り口から宇土櫓。
今日のマップには「熊本駅周辺のパワースポット巡り」と書いてあるが、私にとって一番のパワースポットは小さいころから見てきた、宇土櫓。
約400年もの間、この姿を見せ続けている。
天守閣はまだ前期高齢者にもなっていない。
加藤神社で折り返す。
「西南戦争籠城将校家族避難跡」の碑。
石垣を積むのに使われていた石。
出番が来るのはいつの頃になるのだろうか。復旧へ先は長い。
来た道と別れ、四季折々、二ノ丸広場で一番気持ちのいいところ、木たちに囲まれた遊歩道歩く。
その一角に県立美術館。
館内にあるレストランのテラス席で木たちを眺めながら食事をしたり、コーヒーを飲んだりするのも好きだ。
県立美術館の玄関口のところから二の丸広場にお別れ、「熊本県護国神社」へ。
すぐ横の藤崎台球場から坂を下る。
下ったところを右折。
「西南の役激戦地跡」の碑が建っている。
電車通りに沿って歩くと、「吉田松花堂」。1830年代から続く薬屋。
諸毒消丸が有名。
明治6年創業の蕎麦屋「政木屋」。
明治7年創業の「長崎次郎書店」。
西南の役は明治10年。その当時、この辺り一帯は熊本の街の中心地であった。
そして、碑もあったように西南戦争の激戦地だった。
ここらあたり一面は焼け野原になり、これらのお店も焼けてしまったであろう。
そこから復興して今も続いている。
長崎次郎書店の2階はカフェになっている。
窓際の席からは市電の新町電停も見え、市電の行き来が眺められる。
コーヒーを飲みながらボーッと市電を眺める一時、しばらくしていない。
また、来なくては。
森からし蓮根の前を通る。
北九州に行くと歩道に長崎街道の表示がされているところが多いが、熊本の歩道で街道の表示がされているのは珍しい。
先で、右折。下馬神社。
下馬神社と呼ばれるようになった物語は隈本城の時代に遡るようだ。
すぐに左折。「北岡自然公園」へ。
花岡山の麓にあり、細川家菩提寺妙解寺跡。細川家第3代忠利、第4代光尚らの藩主のお墓がある。
細川家代々の墓は2ケ所にある。
熊本城から東北の方向にある立田山の麓には、細川家菩提寺泰勝寺跡が立田自然公園となっていて、細川家初代藤孝、第2代忠興ら藩主のお墓がある。
そして南西の方向にあるここ。
妙解寺、泰勝寺は明治維新後の神仏分離令後に廃寺となっている。
何十年ぶりだろうか、いつごろ来たか思い出せない。
立派な公園になって入園料がいるようになる前であったように思う。
65歳以上の熊本市民は市が管理する文化施設の入館(園)料は無料になる。
証明になるものを見せて入園。
第3代細川忠利、第4代細川光尚の御廟のある場所は工事中で入れない。
御廟の周りには、忠利の時が19人、光尚の時が11人、主君が亡くなった後、殉死した人たちの墓がある。
何十年か前に来た時、最も印象に残ったのは、その墓の列だった。
今日はここを一番の目的にしてきたが残念。
印象に残った時から、どれだけの年数が経ってからかは覚えていない。
森鴎外の名作として知られる『阿部一族』は、主君の死後に殉死した人たちを題材とした小説であることを知った。
それからすぐではなかったが、『阿部一族』の本を読んだ。
内容はかなり忘れているが、公園入り口で貰ったパンフレットによると、忠利の死後、阿部弥市右衛門は、許しを得ぬまま追腹を切った。家族や一族を巻き込み・・・。
そうそうと思い出す。
代々の墓のあるところを廻っていたら、工事中のところを覗ける場所があった。
殉死した人たちの墓も見える。
「阿部弥市右衛門」の文字も見えた。
北岡自然公園を後にする。また来よう。
折り返して、先ほど曲がった来た地点へ戻り、右折。
明治8(1875)年、橋本勘五郎が手がけた明八橋。川は坪井川。
昭和57(1982)年まで、この橋の上をバスが通っていた。何度もバスで通ったことがある。
橋からすぐのところに古民家をリノベーションしたコーヒー専門店「珈琲回廊」。
バスが通る道をまっすぐ歩いてきて、電車が通る道に出たところの角にポケットパークと呼ばれる公園がある。
そこにあるおてもやん像。
座って三味線を弾いているのはおてもやんの作詞・作曲者といわれている永田いね、その横で踊っているのはおてもやんのモデルといわれている富永モチの像。
スポーツ用品店「体育堂」の前を通る。
すぐに、北岡神社の夫婦樟が目に入ってくる。
北岡神社。
北岡神社で。
ゴール熊本駅へ。
駅前広場というか、アミュプラザ前広場で「パンマルシェ」があっていたので、覗いた。
パンを3つ買ってしまった。
テーブルがあれば食べられるのにもと思ったけど、このご時世なのでテーブルは用意されて無い。
自宅に帰って、少し遅い昼食にすることにした。もちろんビールも。
今日のウォーキングを終える。
今日は、鹿児島本線熊本駅(熊本県熊本市)
8時半前に着いたとき、受け付けは長蛇の列。一番後ろに並ぼうとしたころ列が動き出した。
スタートして、すぐに駅前の歩道橋を渡る。
熊本アミュプラザと熊本市電の熊本駅前電停。
熊本市立図書館などが入っている熊本森都心プラザの建物から歩道橋を下る。
坪井川を渡る。川沿いの道の向うは白川。熊本駅の電車通り東口は白川口とも名付けられている。
坪井川と白川は熊本城長塀の前辺りで合流していた。
この地点まで合流した川が流れて、ここで分岐していた。その間に塘を築き分流させたのは、加藤清正。
白川改修の歴史は、国土交通省九州地方整備局熊本河川国道事務所のホームページに詳しく掲載されている。
(ホームページ>河川情報>白川について>白川の歴史について)
白川に架かる大甲橋~龍神橋の向かって整備されていく白川沿いの道には「白川ちゃりんぽみち」という愛称がつけられている。
加藤清正の遺産である坪井川と白川の間の道を少しだけ歩いて、その後は白川に沿って歩く。
振り向くと、熊本駅付近のビル群が。
新幹線が開業して以来、景観が一変してきた。
熊本駅コースはスタートして白川沿いを歩くのがお決まりコースだが、私は逆コースがいいと思う。
この景観を眺めながらゴールの熊本駅コースを目指すのも、都市型ウォーキングの魅力の一つになると思う。
紺屋今町交差点から日本銀行のある通りの入り口の中央分離帯に像が。初めて気づいた。
肥後てまり唄像。近くまで行って撮るのは危険。
バスターミナルのある「サクラマチクマモト」。
花畑公園前辺りから熊本城。
熊本市民会館前から加藤清正像。
御幸橋を渡る。川は坪井川。
御幸坂の上り口にある、「西南の役回顧の碑」とクスノキ。
「桜の馬場城彩苑」の中を通る。
飯田丸五階櫓は解体され、今は石垣の復旧工事が行われている。
二の丸広場から熊本城天守閣。一般公開が始まっている。
二の丸広場の木たちも秋の装いになってきた。
天守閣の一般公開が始まったが、まだまだ手付かずの所も多い。
「加藤神社」へ。
加藤神社境内から天守閣。
加藤神社入り口から宇土櫓。
今日のマップには「熊本駅周辺のパワースポット巡り」と書いてあるが、私にとって一番のパワースポットは小さいころから見てきた、宇土櫓。
約400年もの間、この姿を見せ続けている。
天守閣はまだ前期高齢者にもなっていない。
加藤神社で折り返す。
「西南戦争籠城将校家族避難跡」の碑。
石垣を積むのに使われていた石。
出番が来るのはいつの頃になるのだろうか。復旧へ先は長い。
来た道と別れ、四季折々、二ノ丸広場で一番気持ちのいいところ、木たちに囲まれた遊歩道歩く。
その一角に県立美術館。
館内にあるレストランのテラス席で木たちを眺めながら食事をしたり、コーヒーを飲んだりするのも好きだ。
県立美術館の玄関口のところから二の丸広場にお別れ、「熊本県護国神社」へ。
すぐ横の藤崎台球場から坂を下る。
下ったところを右折。
「西南の役激戦地跡」の碑が建っている。
電車通りに沿って歩くと、「吉田松花堂」。1830年代から続く薬屋。
諸毒消丸が有名。
明治6年創業の蕎麦屋「政木屋」。
明治7年創業の「長崎次郎書店」。
西南の役は明治10年。その当時、この辺り一帯は熊本の街の中心地であった。
そして、碑もあったように西南戦争の激戦地だった。
ここらあたり一面は焼け野原になり、これらのお店も焼けてしまったであろう。
そこから復興して今も続いている。
長崎次郎書店の2階はカフェになっている。
窓際の席からは市電の新町電停も見え、市電の行き来が眺められる。
コーヒーを飲みながらボーッと市電を眺める一時、しばらくしていない。
また、来なくては。
森からし蓮根の前を通る。
北九州に行くと歩道に長崎街道の表示がされているところが多いが、熊本の歩道で街道の表示がされているのは珍しい。
先で、右折。下馬神社。
下馬神社と呼ばれるようになった物語は隈本城の時代に遡るようだ。
すぐに左折。「北岡自然公園」へ。
花岡山の麓にあり、細川家菩提寺妙解寺跡。細川家第3代忠利、第4代光尚らの藩主のお墓がある。
細川家代々の墓は2ケ所にある。
熊本城から東北の方向にある立田山の麓には、細川家菩提寺泰勝寺跡が立田自然公園となっていて、細川家初代藤孝、第2代忠興ら藩主のお墓がある。
そして南西の方向にあるここ。
妙解寺、泰勝寺は明治維新後の神仏分離令後に廃寺となっている。
何十年ぶりだろうか、いつごろ来たか思い出せない。
立派な公園になって入園料がいるようになる前であったように思う。
65歳以上の熊本市民は市が管理する文化施設の入館(園)料は無料になる。
証明になるものを見せて入園。
第3代細川忠利、第4代細川光尚の御廟のある場所は工事中で入れない。
御廟の周りには、忠利の時が19人、光尚の時が11人、主君が亡くなった後、殉死した人たちの墓がある。
何十年か前に来た時、最も印象に残ったのは、その墓の列だった。
今日はここを一番の目的にしてきたが残念。
印象に残った時から、どれだけの年数が経ってからかは覚えていない。
森鴎外の名作として知られる『阿部一族』は、主君の死後に殉死した人たちを題材とした小説であることを知った。
それからすぐではなかったが、『阿部一族』の本を読んだ。
内容はかなり忘れているが、公園入り口で貰ったパンフレットによると、忠利の死後、阿部弥市右衛門は、許しを得ぬまま追腹を切った。家族や一族を巻き込み・・・。
そうそうと思い出す。
代々の墓のあるところを廻っていたら、工事中のところを覗ける場所があった。
殉死した人たちの墓も見える。
「阿部弥市右衛門」の文字も見えた。
北岡自然公園を後にする。また来よう。
折り返して、先ほど曲がった来た地点へ戻り、右折。
明治8(1875)年、橋本勘五郎が手がけた明八橋。川は坪井川。
昭和57(1982)年まで、この橋の上をバスが通っていた。何度もバスで通ったことがある。
橋からすぐのところに古民家をリノベーションしたコーヒー専門店「珈琲回廊」。
バスが通る道をまっすぐ歩いてきて、電車が通る道に出たところの角にポケットパークと呼ばれる公園がある。
そこにあるおてもやん像。
座って三味線を弾いているのはおてもやんの作詞・作曲者といわれている永田いね、その横で踊っているのはおてもやんのモデルといわれている富永モチの像。
スポーツ用品店「体育堂」の前を通る。
すぐに、北岡神社の夫婦樟が目に入ってくる。
北岡神社。
北岡神社で。
ゴール熊本駅へ。
駅前広場というか、アミュプラザ前広場で「パンマルシェ」があっていたので、覗いた。
パンを3つ買ってしまった。
テーブルがあれば食べられるのにもと思ったけど、このご時世なのでテーブルは用意されて無い。
自宅に帰って、少し遅い昼食にすることにした。もちろんビールも。
今日のウォーキングを終える。
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