2016年7月17日(日)
暑い日差しを遮るものが何もない道を約1時間、熊本県嘉島町の「井寺古墳」まで歩く。
井寺古墳は装飾古墳で、嘉島町のホームページには「石室入り口の羨道側壁および石障に直孤文、同心円文などが線刻されています。もとは、赤・青・白・緑の四色で塗りわけられていたようです。また、石室をドーム状に形作っている切り石は宇土市で産出される馬門石が使用されており、その表面も赤い顔料が塗ってあります。」と説明がある。
石室の入り口は、安政4(1857)年の地震で羨道が発見されたようである。
熊本地震の震源地も近く、新聞報道では、「墳丘に亀裂、開口部へ石室石材の倒れ込み」の被害にあっている。
県のまとめによると、古墳で国・県など指定史跡の被害は32件・40基に上る。北は山鹿市から南は人吉市まで広範囲に及んでいる。県や市町村の文化関係の職員も被災者関係の業務で多忙となっているようなので、被害はさらに拡大する可能性があるようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/58/61e37df3ac11a2251cc4da3b27ea0380.jpg)
(井寺古墳)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/a7/fcbf55982bb28b51c8af434e901cf3c9.jpg)
(井寺古墳)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/1b/7c188cfb9ee1087ae2162c01475d301f.jpg)
(熊本県立美術館装飾古墳室に複製されている「井寺古墳」)
暑い日差しを遮るものが何もない道を約1時間、熊本県嘉島町の「井寺古墳」まで歩く。
井寺古墳は装飾古墳で、嘉島町のホームページには「石室入り口の羨道側壁および石障に直孤文、同心円文などが線刻されています。もとは、赤・青・白・緑の四色で塗りわけられていたようです。また、石室をドーム状に形作っている切り石は宇土市で産出される馬門石が使用されており、その表面も赤い顔料が塗ってあります。」と説明がある。
石室の入り口は、安政4(1857)年の地震で羨道が発見されたようである。
熊本地震の震源地も近く、新聞報道では、「墳丘に亀裂、開口部へ石室石材の倒れ込み」の被害にあっている。
県のまとめによると、古墳で国・県など指定史跡の被害は32件・40基に上る。北は山鹿市から南は人吉市まで広範囲に及んでいる。県や市町村の文化関係の職員も被災者関係の業務で多忙となっているようなので、被害はさらに拡大する可能性があるようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/58/61e37df3ac11a2251cc4da3b27ea0380.jpg)
(井寺古墳)
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(井寺古墳)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/1b/7c188cfb9ee1087ae2162c01475d301f.jpg)
(熊本県立美術館装飾古墳室に複製されている「井寺古墳」)
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