2015年6月23日(火)から26日、JTB「礼文島フラワーハイキングと礼文島散策 ようこそ!花の浮島礼文島へ4日間」というツアーに参加。
23日、羽田経由で稚内へ。
羽田からの飛行機はほぼ満員だった。乗客のほとんどは山登り、ハイキングの服装。
稚内空港では幾人ものツアー担当の人が案内を掲げて待っていた。
JTBだけでも2つあった。
ツアーのバスに乗って、宗谷岬へ向かう。
途中、草原へ。阿蘇は山と草原だけどここは海と草原。阿蘇の草原は赤牛だけどここは黒牛。
日本最北端の地、宗谷岬で下車。寒い。お昼の2時、気温14.4度。熊本とは10度以上違う。
宗谷岬は初めてであったが、テレビや写真でよく見る風景。
写真を撮って過ごし、稚内港へ。
船で礼文島へ。
海の上には利尻富士の姿が。美しい。雲が中腹と頂上に。
船から眺める姿は少しずつ変わっていく。
雲も変わる。
見惚れているうちに礼文島香深港へ。
「手造り料理の宿旅館桜井」に宿泊。
20数人のツアーだが宿は4つに分かれていた。
お風呂は宿の前の「礼文島温泉うすゆきの湯」へ。
24日、早朝から宿の周りの花々を撮ってまわる。
ツアーバスが各宿をまわって、全員集合。島を半周し、澄海岬へ。
港でバスを降り、初めての花々を観ながら岬の頂上に上ると、見たことのない青い海の湾、それに海と断崖の眺望。
澄海岬を後にバスで「岬めぐりコース」の鮑古丹(あわびこたん)入口へ。
バスガイドさんの案内で花の説明を聞きながら歩く。
熊本人には珍しい花ばかり。
銭屋五兵衛記念碑からは金田ノ岬やトド島が望める。銭屋五兵衛は江戸時代の加賀の商人。ロシアと密貿易をしていた。礼文島にも大きな足跡を残している。
一部バスで移動し、礼文島最北端の地スコトン岬へ。
昆布ソフト350円。
バスで香深港へ戻り、うに丼の昼食。
午後は、花ガイドの案内で「桃岩展望台コース」を歩く。
空は快晴。
高山植物、広がる海、利尻富士の優美な姿。
感動のトレッキング。
アルバムにしました。
こちらを見てください。
http://opa.cig2.imagegateway.net/s/m/FyUPjpFFcL3
前日と同じ宿に宿泊。
お風呂も温泉へ。今日は歩いたので、昨日より心地よい。
25日、朝から小降りの雨。
午前中はオプションで、トレッキング。
ツアー客の半分以上はこちらに参加していた。
河童を着て、島内バスで礼文林道コース入口へ。
今日も花ガイドの案内。
集合した頃は雨も止んでいたが、歩き始めたら雨が降り出した。
カメラはリュックの中に。
まわりの景観は見えない。
車進入禁止だけど何台かの車が入ってきた。
歩いている人を避けるため、道脇の草花を車輪で踏み散らす。
ここは国立公園。草花を踏み散らすのはご法度。
レブンウスユキソウの群生地で折り返す。
リュックからカメラを取り出し撮るが、高山植物は花が小さいので、水玉にも隠れてしまう。
個人でまわったら、見逃していた花も多かったであろう。
花ガイドに案内してもらって多くの花と出会った。
香深港まで歩き、昼食はホッケ蒲焼弁当。
香深港から船で利尻島鴛泊港へ。利尻富士は雲に隠れて見えず。
港からはツアーバスの案内で姫沼へ。
沼のまわりを一周。
多くのツアーが集まっているので、隊列状態で歩く。
景色はいいが、沼のまわりを一周するには風情がない。
雨が強くなった。
ツアーバスでオタトマリ沼へ。
利尻富士が見えれば、沼に映った姿が素晴らしかっただろうが残念。
熊笹ソフト。300円。
南浜湿原へ移動。
バスガイドの案内で、湿原の小さい花たちを見てまわる。
利尻富士は相変わらず見えない。
仙法志岬公園に立ち寄り、島内を一周して宿へ。
「ホテルあや瀬」泊。
26日、朝から船で稚内へ戻る。
利尻富士は今日も雲の中に。
稚内港からはJTBの別のツァーと一緒のバスで稚内公園へ。
公園には「氷雪の門」とともに「皆さんこれが最後です さよなら さよなら」と書かれた「九人の乙女の碑」が建っていた。
詳しくは後で知ることになるのだが、樺太では昭和20年8月15日以降もソ連軍の侵攻が続きます。その中で真岡郵便局の電話交換手たちは業務を続け、最後の言葉を残して自決します。その最後の言葉です。
この文を書きながら涙ぐんで来ます。
わっかない海の駅「稚内副港市場」へ。ここで早い便で帰る人たちは空港へ。残ったのは2つのツアーで数名。
市場なので海産物の販売所かと思ったが、中には「旧稚内港駅」が復元されていたり、稚内、そして樺太の鉄道や生活の歴史がパネルで紹介してあった。
また、樺太を紹介したビデオの放映もあっていて、真岡郵便局の電話交換手たちの自決、病院の看護婦たちの自決もそれで知った。
空港へ送っていったバスが返って来るまで1時間ほどあったが、あっという間だった。
お昼は黒牛がついた定食。
近くの、北門神社には親子の狛犬が。
昼食後は工程表にはなかった、稚内港北防波堤ドームへ。
戦前は、ここまで鉄路が延びていて、稚内桟橋駅があった。
駅から船で樺太の大泊へ「稚泊連絡航路」があって、樺太への玄関口であった。
JR最北端の稚内駅(旧稚内港駅)へ。JR駅には道の駅が併設されていた。
最北端の駅へは列車で来てホームに立つのが本来の姿だと思うけど、それはまたの機会にしよう。
バードウォッチングの稚内大沼を最後に稚内空港へ。
今度の旅行では、カニ、うに、ホッケ、タコなど海の幸をたくさん食べた。
カニは身が詰まっていた。うには何もつけずにそのままが一番おいしかった。
ホッケも九州で食べるのとは違つた新鮮な味だった。
宿ではお酒ばかりで飲んで、ビールはやつと稚内空港で。
23日、羽田経由で稚内へ。
羽田からの飛行機はほぼ満員だった。乗客のほとんどは山登り、ハイキングの服装。
稚内空港では幾人ものツアー担当の人が案内を掲げて待っていた。
JTBだけでも2つあった。
ツアーのバスに乗って、宗谷岬へ向かう。
途中、草原へ。阿蘇は山と草原だけどここは海と草原。阿蘇の草原は赤牛だけどここは黒牛。
日本最北端の地、宗谷岬で下車。寒い。お昼の2時、気温14.4度。熊本とは10度以上違う。
宗谷岬は初めてであったが、テレビや写真でよく見る風景。
写真を撮って過ごし、稚内港へ。
船で礼文島へ。
海の上には利尻富士の姿が。美しい。雲が中腹と頂上に。
船から眺める姿は少しずつ変わっていく。
雲も変わる。
見惚れているうちに礼文島香深港へ。
「手造り料理の宿旅館桜井」に宿泊。
20数人のツアーだが宿は4つに分かれていた。
お風呂は宿の前の「礼文島温泉うすゆきの湯」へ。
24日、早朝から宿の周りの花々を撮ってまわる。
ツアーバスが各宿をまわって、全員集合。島を半周し、澄海岬へ。
港でバスを降り、初めての花々を観ながら岬の頂上に上ると、見たことのない青い海の湾、それに海と断崖の眺望。
澄海岬を後にバスで「岬めぐりコース」の鮑古丹(あわびこたん)入口へ。
バスガイドさんの案内で花の説明を聞きながら歩く。
熊本人には珍しい花ばかり。
銭屋五兵衛記念碑からは金田ノ岬やトド島が望める。銭屋五兵衛は江戸時代の加賀の商人。ロシアと密貿易をしていた。礼文島にも大きな足跡を残している。
一部バスで移動し、礼文島最北端の地スコトン岬へ。
昆布ソフト350円。
バスで香深港へ戻り、うに丼の昼食。
午後は、花ガイドの案内で「桃岩展望台コース」を歩く。
空は快晴。
高山植物、広がる海、利尻富士の優美な姿。
感動のトレッキング。
アルバムにしました。
こちらを見てください。
http://opa.cig2.imagegateway.net/s/m/FyUPjpFFcL3
前日と同じ宿に宿泊。
お風呂も温泉へ。今日は歩いたので、昨日より心地よい。
25日、朝から小降りの雨。
午前中はオプションで、トレッキング。
ツアー客の半分以上はこちらに参加していた。
河童を着て、島内バスで礼文林道コース入口へ。
今日も花ガイドの案内。
集合した頃は雨も止んでいたが、歩き始めたら雨が降り出した。
カメラはリュックの中に。
まわりの景観は見えない。
車進入禁止だけど何台かの車が入ってきた。
歩いている人を避けるため、道脇の草花を車輪で踏み散らす。
ここは国立公園。草花を踏み散らすのはご法度。
レブンウスユキソウの群生地で折り返す。
リュックからカメラを取り出し撮るが、高山植物は花が小さいので、水玉にも隠れてしまう。
個人でまわったら、見逃していた花も多かったであろう。
花ガイドに案内してもらって多くの花と出会った。
香深港まで歩き、昼食はホッケ蒲焼弁当。
香深港から船で利尻島鴛泊港へ。利尻富士は雲に隠れて見えず。
港からはツアーバスの案内で姫沼へ。
沼のまわりを一周。
多くのツアーが集まっているので、隊列状態で歩く。
景色はいいが、沼のまわりを一周するには風情がない。
雨が強くなった。
ツアーバスでオタトマリ沼へ。
利尻富士が見えれば、沼に映った姿が素晴らしかっただろうが残念。
熊笹ソフト。300円。
南浜湿原へ移動。
バスガイドの案内で、湿原の小さい花たちを見てまわる。
利尻富士は相変わらず見えない。
仙法志岬公園に立ち寄り、島内を一周して宿へ。
「ホテルあや瀬」泊。
26日、朝から船で稚内へ戻る。
利尻富士は今日も雲の中に。
稚内港からはJTBの別のツァーと一緒のバスで稚内公園へ。
公園には「氷雪の門」とともに「皆さんこれが最後です さよなら さよなら」と書かれた「九人の乙女の碑」が建っていた。
詳しくは後で知ることになるのだが、樺太では昭和20年8月15日以降もソ連軍の侵攻が続きます。その中で真岡郵便局の電話交換手たちは業務を続け、最後の言葉を残して自決します。その最後の言葉です。
この文を書きながら涙ぐんで来ます。
わっかない海の駅「稚内副港市場」へ。ここで早い便で帰る人たちは空港へ。残ったのは2つのツアーで数名。
市場なので海産物の販売所かと思ったが、中には「旧稚内港駅」が復元されていたり、稚内、そして樺太の鉄道や生活の歴史がパネルで紹介してあった。
また、樺太を紹介したビデオの放映もあっていて、真岡郵便局の電話交換手たちの自決、病院の看護婦たちの自決もそれで知った。
空港へ送っていったバスが返って来るまで1時間ほどあったが、あっという間だった。
お昼は黒牛がついた定食。
近くの、北門神社には親子の狛犬が。
昼食後は工程表にはなかった、稚内港北防波堤ドームへ。
戦前は、ここまで鉄路が延びていて、稚内桟橋駅があった。
駅から船で樺太の大泊へ「稚泊連絡航路」があって、樺太への玄関口であった。
JR最北端の稚内駅(旧稚内港駅)へ。JR駅には道の駅が併設されていた。
最北端の駅へは列車で来てホームに立つのが本来の姿だと思うけど、それはまたの機会にしよう。
バードウォッチングの稚内大沼を最後に稚内空港へ。
今度の旅行では、カニ、うに、ホッケ、タコなど海の幸をたくさん食べた。
カニは身が詰まっていた。うには何もつけずにそのままが一番おいしかった。
ホッケも九州で食べるのとは違つた新鮮な味だった。
宿ではお酒ばかりで飲んで、ビールはやつと稚内空港で。
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