たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

古い写真から蘇る思い出の山旅・その33(1)

2023年07月03日 20時22分59秒 | 山歩記

長男、次男がまだ保育園、小学生だった頃は、夫婦共働きで、時間的余裕も、精神的余裕も、経済的余裕も無い自営業を続けていた時代ではあったが、せめて子供達の思い出になれば・・・との思いが有って、春、秋の行楽シーズン等の休日には、忙中敢えて閑を作り、強引に?、家族で周辺の低山を、よく歩き回っていたものだった。その後、次男が小学生になった頃からは、「せめて毎年1回、夏休みには、家族で登山しよう」と決め込んで、尾瀬や八ヶ岳や白馬岳、乗鞍岳、木曽駒ケ岳、仙丈岳等、主に夏山に出掛けたものだったが、それまで、登山の経験等ほとんど無く、体力にも自信が無く、山の知識情報にも疎かった人間が、よくもまあ思い切って出掛けたものだと、後年になってからつくづく思ったものだった。息子達が巣立ってからも、その延長線で、夫婦で細々、山歩きを続けてはいたが、数年前に完全に仕事をやめてからは、時間が出来たものの、今度は気力体力が減退、あの山もこの山も、今や、遠い思い出の山となってしまっており、今となっては、あの頃、思い切って、登山を敢行していたことを、本当に良かったと思うようになっている。ブログを始めてからのこと、そんな山歩きの思い出を、備忘録、懐古録として、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き込み、古い写真は、「デジブック」にし、ブログに貼っていたものだが、その後、「デジブック」が終了したことで、ブログから写真が消えてしまい、改めて、順次、古い写真を引っ張り出して、過去の記事をコピペ、リメイク(再編集)しようと思っているところだ。昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながら・・・・。


「槍ヶ岳」

「夏が来ーれば 思い出すー・・・・♪」、
毎年、梅雨が明ける頃になると、夏山に思いを馳せる老若男女、多いのではないかと思っている。
すでに、気力体力減退で、標高の高い山歩き等を断念している爺さんは、もっぱら、古い写真を引っ張り出しては、懐かしがっている風であるが・・・。
「古い写真から蘇る思い出の山旅」シリーズ、その33は、
今から29年も前1994年8月に、妻と次男と三人で、「上高地」から、「槍ヶ岳」「北穂高岳」を巡った山旅だ。
当時はまだ、バカチョンカメラ(小型フィルムカメラ、ポケットカメラ)しか持っていなかった頃で、プリントしてアルバムに貼ってある古い写真もほんのわずか、しかも、高山植物等を撮ろうという気等全く無かった頃で、拙劣なスナップ写真(記念写真)ばかりではあるが、以前、そんな写真をスキャナーで取り込んで、「デジブック」にし、ブログにも貼り付けていたものだ。
その後、「デジブック」が廃止されてしまったため、ブログから写真が消えた形になっている。スキャナーで取り込んだ写真は、外付けHDに残っているので、改めて引っ張り出し、再度、ブログ・カテゴリー「山歩記」に、書き留め置くことにしている。記憶は、どんどん曖昧になっているが、写真や、当時の記録やメモ等を見ると、あの日、あの場所の情景までが蘇ってくるから不思議なことだと思う。


深田久弥著 「日本百名山」
「槍ヶ岳」
(一部抜粋)

今さら槍ヶ岳について語るのも愚かなくらい、周知の山である。三千メートルを越える高さと言い、颯爽とした鋭い形と言い、わが国の山の中で最もユニークな存在である。
富士山と槍ヶ岳は、日本の山を代表する二つのタイプである。一つは斉整なピラミッドで悠然と裾を引いた「富士型」であるに反し、他の一つは尖鋭な鉾で天を突く「槍型」である。この二つの相対するタイプは、他の地方の山々に多くの「何々富士」や「何々槍」を生んだ。
私たちがどこかの山へ登って「あ、富士が見える!」と喜ぶのと同様に、「あ、槍が見える!」という叫び声を聞く。実際そのユニークな岩の穂は見紛うことはない。ひと眼で認め得るのである。どこから見てもその鋭い三角錐は変わることがない。それは悲しいまでにひとり天をさしている。
槍ヶ岳の初登頂者は、播隆という越中生まれの念仏僧であった。彼は、諸国を遍歴して多くの信者を持っていたが、文政六年(1823年)、信者とともに、飛騨から笠ヶ岳に登った。その頂上から遥かに槍ヶ岳の神々しい姿を望んで心打たれ、槍登頂の大願を起こしたという。
(中略)
その後槍ヶ岳登山は途絶えていたが、明治になって、この顕著な日本のマッターホルンが打ち捨てられておかれるはずは無い。明治十一年(1878年)、日本アルプスの名付け親、英人ウイリアム・ガウランドが登頂した。続いて明治25年(1892年)ウオルター・ウエストンが登頂した。日本の登山家では小島島水が最初で、明治三十五年(1902年)であった。それ以後次第に登る人が多くなり、槍沢からする正面コースだけだなく、四方からの道が開かれるようになった。
(中略)
現在では、上高地から槍までの途中に幾つも小屋ができ、夏は登山者が列をなしている。一生に一度は富士山に登りたいというのが庶民の願いであるように、いやしくも登山に興味を持ち始めた人で、まずは槍ヶ岳の頂上に立ってみたいと願わない者はないだろう。
富士山が古い時代の登山の対象であったとすれば、近代登山のそれは槍ヶ岳である。


山行コース・歩程等

第1日目(1994年8月10日)
上高地バスターミナル→明神→徳沢→横尾→槍見河原→一ノ俣→槍沢ロッジ(泊)
(標準歩行所要時間=約5時間)

第2日目(1994年8月11日)
槍沢ロッジ→(槍沢)→ババ平→大曲がり→坊主岩→殺生ヒュッテ→槍岳山荘→
槍ヶ岳山頂(標高3,180m)→槍岳山荘(泊)

(標準歩行所要時間=約6時間30分)

第3日目(1994年8月12日)
槍岳山荘→大喰岳→中岳→南岳→大キレット→長谷川ピーク→飛騨泣き→北穂高小屋(泊)
(標準歩行所要時間=約6時間15分)

第4日目(1994年8月13日)
北穂高小屋→北穂高岳山頂(標高3,106m)→(南稜)→涸沢ヒュッテ→
(パノラマコース)→コル→新村橋→
徳沢→明神→上高地バスターミナル
(標準歩行所要時間=約7時間)

(昭文社の「山と高原地図」より拝借)


古い写真から蘇る思い出の山旅・その33
「槍ヶ岳」
(1)上高地バスターミナルから槍沢ロッジ


真夜中に自宅を出発し、中央自動車道、国道158号線 経由で、「沢渡駐車場」に到着したのは、早朝、4時30分頃だったようだ。
時間節約最優先を考慮、釜トンネルの通行開始時刻=5時に合わせて、タクシーで上高地に入り、
まだまだ静かな「上高地バスターミナル」を出発したのは、5時30分頃だった。
とにかく、初めての槍ヶ岳、期待は、大きかったものの、
山歩き初級者、長丁場への不安がつきまとい、出来るだけ早い出発にしたのだった。

朝霧で霞む「河童橋」

爽やかな冷気を吸って、梓川沿いの、なだらかな登りを順調に・・・・、

「明神」、「徳沢」を経て、9時頃、「横尾」に到着したようだ。
陽射しが強くなり、ジリジリ、
大休憩、

「横尾」を出発し、しばらくすると、樹林帯の間から、槍の穂先が、チラリ見え・・、
歓声!、気分は高まるも、槍は、まだまだ遥か遠い・・。
「槍見河原」と呼ばれている地点だったのだろう。

13時頃、「槍沢ロッジ」に到着したようだ。
まだまだ、日が高かったが、
自宅を真夜中に出発、睡眠不足と長距離運転の疲労を癒すことを念頭に、
予定通り、「槍沢ロッジ」で宿泊することにし、
午後は、仮眠したり、ゆったり、のんびり、山小屋で過ごしたのだった。

(つづく)

 


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2023-07-04 08:09:19
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