たけじいの気まぐれブログ

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古い写真から蘇る思い出の山旅・その55

2024年08月11日 16時36分51秒 | 山歩記

長男、次男がまだ保育園、小学生だった頃は、夫婦共働きで、時間的余裕も、精神的余裕も、経済的余裕も無い自営業を続けていた時代ではあったが、せめて子供達の思い出になれば・・・との思いが有って、春、秋の行楽シーズン等の休日には、忙中敢えて閑を作り、強引に?、家族で周辺の低山を、よく歩き回っていたものだった。その後、次男が小学生になった頃からは、「せめて毎年1回、夏休みには、家族で登山しよう」と決め込んで、尾瀬や八ヶ岳や白馬岳、乗鞍岳、木曽駒ケ岳、仙丈岳等、夏山登山をしていたが、それまで、登山の経験等ほとんど無く、体力にも自信が無く、山の知識情報にも疎かった人間が、よくもまあ思い切って出掛けたものだと、後年になってからつくづく思ったものだった。長男、次男が巣立ってからも、その延長線で、夫婦で細々、山歩きを続けてはいたが、10数年前に完全に仕事をやめてからは、時間が出来たものの、今度は気力体力が減退、あの山もこの山も、今や、遠い思い出の山となってしまっており、今となっては、あの頃、思い切って、登山を敢行していて、本当に良かったと思うようになっている。ブログを始めてからのこと、そんな山歩きの思い出を、備忘録、懐古録として、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き込み、古い写真は、「デジブック」にし、ブログに貼っていたものだが、その後、「デジブック」が終了したことで、ブログから写真が消えてしまい、改めて、順次、古い写真を引っ張り出して、過去の記事をコピペ、リメイク(再編集)しようと思っているところだ。昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながら・・・・。


古い写真から蘇る思い出の山旅・その55
「至仏山」(再)

今日8月11日は、国民の祝日「山の日」
「夏が来ーれば、思い出すー♫」  
今年も、今まさに、夏山シーズン、
炎暑の外界?をよそに、存分に楽しんでおられる老若男女が、多い季節であるが、
すでに、足、腰、痛!、痛!で、山歩き等を断念している老夫婦、
そんな夏山に思いを馳せながら、もっぱら、古い写真を引っ張り出しては、
懐かしがっている風である。
今から18年前のお盆明け、2006年8月17日に、妻と二人で、「至仏山」を訪れたことがあった。それまで、何度か尾瀬を訪ねてはいたものの、「至仏山」には登ったことが無くて、毎度、下から横から山容を眺めるだけで、どうしても一度は訪ねてみたい山の一つだったが、その日、思い立って、強引に、日帰り、トンボ返りした気がしている。
当日の天気予報は、台風10号が、九州から進路を西に変えたことで、群馬県、新潟県は、「次第に晴」で、天気予報を信じて、真夜中に自宅を出発し、関越自動車道をひた走ったが、途中で、猛烈な風雨に襲われ、運転も危険なレベル、「中止しようか?」、迷いながらも北上、高崎付近で、雨はすっかり上がり、東の空が明るくなり始め、「おー!、ラッキー!」。気を良くして戸倉へ向かった。
閑散とした戸倉スキー場の駐車場に車を停めて、朝食、仮眠。
バスで鳩待峠に向かう予定だったが、地元の方から、その日は鳩待峠までマイカーで入れることを聞き付け、時間節約優先、鳩待峠へ車で向かった。
鳩待峠駐車場には、午前6時頃到着。
悪天候、早い時間到着ということも有ってか、ガラーン・・、閑散。


深田久弥著 「日本百名山」
「至仏山(しぶつさん)」
(一部転載)

尾瀬沼を引き立てるものが燧(ひうち)岳とすれば、尾瀬ヶ原のそれは至仏山であろう。まだ尾瀬が近年のように繁盛しない戦前のある六月、原の一端にある桧枝岐(ひのえまた)小屋に泊まって、そこから見た至仏山が忘れられない。広漠とした湿原の彼方に遠く白樺の混じった木立が並んで、その上に、悠揚迫らずといった感じで至仏山が立っていた。そしてその山肌の残雪が小屋の前に散在した池塘に明るい影を落としていた。
夕方、近くで摘んできた行者ニンニクを腹いっぱい食べて、戸外の据え風呂に浸り、素っ裸のまま、長い黄昏を蒼茫と暮れて行く山の姿をいつまでも眺めていた。大らかな感動であった。
燧と至仏は尾瀬ヶ原を挟んで相対しているが、前者の威のある直線的な山容に引きかえ、後者は柔らかな曲線を描いて、何とも親しみ易い。もっとも反対側の利根から仰ぐと、頂上の稜線近くはゴツゴツした岩で鎧(よろ)われている。しかし全体としての円(まろ)やかな温和な容(かたち)は、北の平ケ岳から望んでも、南の武尊(ほたか)岳から望んでも、変わることがない。
(中略)
私が初めて至仏山の頂上を踏んだのは、大正十五年(1926年)の秋であった。上越線の開通以前である。藤原から利根川を遡って、狩小屋沢から登った。当時はその沢には道が無く、飛沫を浴びて滝を攀じたり、岩をはいあがったりしながら、登って行った。沢を詰めると、頭上に至仏の全容が現れた。満山の紅葉で、その間に点々と浮島のように岩石が立っている。優美な紅葉の色調と、それを引き緊めるような峻厳な岩と、双方のコントラストが実にみごとな眺めを形作っていた。
燧の火山岩に対して、至仏は古生層に属しているそうで、森林限界が低く、そのため灌木帯が広くて、豊富な高山植物を保有している。植木屋が市で売るためにシンパク(ビャクシン)を採りによくやってくるという話もその時聞いた。
頂上が近くなって、沢を離れて左の尾根に取りついたところ、その深い灌木帯に入りこみ、藪と戦いながらようやくそれを切り抜け、今度は岩石を攀じ登って、ついに頂上に達した。狩小屋沢の野営地を出てから六時間かかった。
噂に聞く尾瀬ヶ原を見下ろしたのも、その時が初めてであった。原一面まるで燃えるような代赭(たいしゃ)色で、それがずっと向こうの端、ピラミッドの燧の裾まで延びている。美しい尾瀬の第一印象を至仏の頂上で得たことは、私の至福であった。
空は完全に晴れ、秋の陽のサンサンと降る中に、私たちは一時間半も山頂にいて、周囲の山を数えながら倦きることがなかった。下りは滑りっこい貉沢を採って、待望の湿原に踏み込み、あの広い尾瀬ヶ原を夕方の陽を浴びながらトボトボと横切っていた。その時の一週間に亙る(わたる)山旅で、他の登山者には一人も会わぬという、まだ尾瀬の静かな時であった。


山行コース・歩程等

鳩待峠→1867mピーク→水場→笠ケ岳への分岐→オヤマ沢田代→小至仏山山頂→至仏山山頂→小至仏山山頂→オヤマ沢田代→笠ケ岳への分岐→水場→1867mピーク→鳩待峠 
(標準歩行所要時間 約4時間30分)

(昭文社「山と渓谷地図」から拝借)

  人っ気無し、閑散とした鳩待峠     至仏山登山口 
                     6時30分頃出発したようだ。           

 

 

 

帽子やザックや、指にまで、平気で止まるトンボ

オヤマ沢・オヤマ沢田代・笠ヶ岳への分岐

 

ガスが途切れる気配無し・・・だったが、
雨具を装着するまでには至らず、ラッキー・・・・、

ワタスゲ

 

 

山頂に近づくにつれ ツルツルの蛇紋岩が多くなり 
雨露に濡れると非常に滑りやすい。

 

 

9時30分頃、至仏山山頂(標高 2,228m)に到着。
山の鼻から登ってきたハイカーが多く、山頂は賑やか。
残念ながら ガスは一向に途切れそうになく 
お目当ての 尾瀬ケ原、燧岳等の大展望は叶わず。

しばし休憩後、往路を戻る。 
途中、一瞬、ガスが途切れ、尾瀬ケ原、燧岳が現れたが、
やはり、大展望は叶わなかった。

12時30分頃には、鳩待峠に帰還。
すっかり夏空が広がっており、
早朝とは打って変わって、駐車場もほぼ満車状態、
休憩所で軽く昼食をとった後、
早々と帰途についたのだった。

慌ただしく、残念な 「至仏山山歩き」で、当時は、まだ多少は、「また来る時にも、笑っておくれー♫」的な気分だったと思うが、「至仏山」も、今となっては、二度と訪れること叶わない、遠い思い出の山となってしまっている。


尾瀬を訪れる度に眺めていた「至仏山」

1984年8月5日、尾瀬ケ原から眺めた「至仏山」

1997年10月6日、燧岳(柴安嵒)山頂から眺めた「尾瀬ヶ原と至仏山」

2009年8月18日、鳩待通りから眺めた「至仏山」

2009年8月19日、尾瀬ケ原から眺めた「至仏山」

2012年10月5日、尾瀬ケ原から眺めた「至仏山」

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「夏の思い出」 (YouTubeから共有)





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