たけじいの気まぐれブログ

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古い写真から蘇る思い出の山旅・その53

2024年07月22日 07時59分55秒 | 山歩記

古い写真から蘇る思い出の山旅・その53
「上高地から西穂高岳・遠い記憶」(再)


もう60年前にもなる学生時代、1964年(昭和39年)7月に、同じ学生寮で親しかった、長野県松本市出身のU君と、「上高地」から「西穂高岳」に登ったことが有り、その写真が貼ってある、古いアルバムが有る。
当時、登山は、主に若者達のレジャーであり、とりわけ、登山のメッカ、北アルプスは、憧れの的だったように思うが、奨学金と家庭教師のアルバイトで、寮生活を送っていた貧乏学生には、そんなレジャーを楽しむ余裕等有るはず無く、旅行も登山も無縁で、悶々としていたような気がする。
それが、U君に誘われたのか、U君を誘ったのか、記憶は定かで無いが、意気投合し、なんとか金銭の工面をして、思い切って、「西穂高登山」をしたのだった。
登山靴、リュック等の装備・・、どのように準備したのかも記憶に無く(多分、借り物)、登山の経験もほとんど無く、知識も乏しく、多少経験有りのU君におんぶにだっこだったような気がする。当然、カメラ等持っているはずがなかったが、カメラを携帯している写真が有り、もしかしたら、従兄弟か誰かから借りていったのかも知れない。
図々しくも、確か、松本城の近くだったと思うU君の実家にもお邪魔し、ご馳走になったり大変お世話になった気がする。
今となっては、U君と登った「西穂高岳」は、数少ない青春の思い出の一つになっているのである。
昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながら、セピア色化している、古い 白黒写真をスキャナーで取り込んで、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き留め置くことにした。


山行コース・歩程等

上高地→田代橋(西穂高岳登山口)→西穂山荘→丸山→独標→西穂高岳山頂→
(往路を戻る)→独標→丸山→西穂山荘→田代橋(西穂高岳登山口)→上高地
(標準歩行所要時間=約11時間)

(昭文社「山と渓谷地図」から拝借)

記録メモ等、全く残っておらず、記憶もほとんど喪失しており、その正誤も明らかで無いが、確か、松本から電車(松本電鉄)で「新島々」へ、「新島々」からはバスで「上高地」入りしたのだと思う。

上高地バスターミナル
懐かしい、当時の登山者のスタイルも・・・・。

初めて訪れた上高地、
河童橋、梓川・・・・・、
全てに、感動したような気がする。
その日は、U君出身の地元高校登山部が夏季常設?していたのだと
思われる大テントの中に、頼み込んでもぐり込み、
1泊させてもらったのだった。

 

 

西穂高岳がどんなに厳しい山なのかの知識もあまり無かったような気がする。
翌日早朝、意気揚々と出発。

焼岳・西穂高岳 登山口?、

上高地からの急登を登り切り、バテバテ?、
南方に、焼岳、

尾根上の爽快感、
ヤッホー!気分?

独標(標高2,701m)

独標から続く厳しい岩稜を振り返り見る 

眼下に、上高地

 

北方には、槍ケ岳の勇姿

西穂高岳から奥穂へ続く厳しい稜線、
奥穂、前穂の吊り尾根
写真2枚を繋ぎ合わせて有る、

西穂高岳山頂(標高 2,908.6m)

上高地出発から帰還まで、10時間以上?、
疲労困憊したはずであるが、若かったから出来た登山、
後年になって、よくもまあ、上高地から西穂高岳ピストンしたものよ・・・・と、
我ながら、呆れ返ったものだった。
これら、数枚の古い白黒写真は、やはり、廃棄処分出来ない宝物?・・である。


因みに
時代が変わって、2011年(平成23年)9月には 妻と二人で、「新穂高」から「ロープウエイ利用」で、「西穂山荘」に1泊、ゆっくり、のんびり、再び、「西穂高岳」を訪れ、学生時代に親友U君と登った山の思い出を辿り、感動を新たにしたのだった。


振り返り記事・「妻と二人で登った西穂高」
👇️
古い写真から蘇る思い出の山旅・その26(1)
古い写真から蘇る思い出の山旅・その26(2)
古い写真から蘇る思い出の山旅・その26(3)


 

 

 


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