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「風変わりな宮廷紳士たち」・まんがゼミナール「枕草子」 その22

2021年10月07日 08時35分49秒 | 読書記

足腰大丈夫な内に出来る限り、不要雑物処分・身辺片付け整理をしよう等と思い込んでからすでに久しいが、正直なかなか進んでいない。それでもここ2~3年には、押し入れや天袋、物置、書棚等に詰まっていた古い書籍類等をかなり大胆に処分してきた。ただ、中には「これ、面白そう・・」等と目が止まり、残してしまった書籍もまだまだ結構有る。その中に 漫画家赤塚不二夫著、元東京学芸大学附属高等学校教諭石井秀夫指導の古典入門まんがゼミナール「枕草子」(学研)が有る。多分、長男か次男かが、受験勉強中に使っていた「枕草子」の解説本・参考書の一つのようだが、錆びついた老脳でもなんとか読めそうな、まんがで描いたくだけた内容、その内いつか目を通してみよう等と仕舞い込んでいたものだ。ながびく新型コロナ禍、不要不急の外出自粛中、ふっと思い出して、やおら引っ張りだしてみた。当然のこと、本格的な「枕草子」解説本、参考書とは異なり、限られたサワリの部分に絞ったものであるが、学生時代に多かれ少なかれ齧っていたはずの日本の代表的な古典、清少納言の「枕草子」も、ほとんど覚えていないし、「古典」に疎く、苦手な人間でも、十分楽しめそうで、御の字の書である。


「風変わりな宮廷紳士たち」・まんがゼミナール「枕草子」 その22

第182段 「同じ人を御供にて」
宮中のある囲炉裏から煙がくゆり出ており、村上天皇は、兵衛という女官に見てくるよう命じたが、戻ってきた彼女が、その原因を説明するのに、「蛙が囲炉裏に飛び込んで燃えていました」等と、事実を無風流には報告せずに、かって藤原輔相が詠んだ「わたつ海の」を引用して、「沖の海で漕いでいるのは、漁夫が釣りをして帰るところでした」という歌で報告する。村上天皇は、その歌から事実を悟ったはずで、こうした当意即妙な機知に富んだやり取りに、清少納言が感嘆の声を上げているという段。

村上帝の御時のことでおます。
村上天皇「雪のいと高う降りたる・・・。たれぞ様器に盛ってまいれ」、「かような趣やで、これ、兵衛の蔵人につかわすによって、歌を詠め・・・」
兵衛「かしこみて」、白楽天の詩によりまして、「琴、詩酒の友は皆我を抛ち「雪月花のとき」・・・」
村上天皇「うーん!、すばらしいで。凡人なら、およそ和歌でも詠むところやが、漢詩でまいったか」「まさに、雰囲気にぴったりマッチしとる!」
だれもまだ殿上に人は参っておらへんどす。
村上天皇「や!、かれは、何の煙ぞ」「見て参れ」
兵衛「はい!」、
あーらら、いけない、蛙が飛び込んで、黒焦げになってしもとるわ
兵衛「わたつ海の 沖にこがるる、もの見れば あまの釣りして かへるなりけり」
村上天皇「うーむ、むっ!」「ワハッ!、蔵人・・・、これまた、気の利いた和歌を詠んだの」
兵衛「あな、かしこ!」


原文だよーん

同じ人を御供(おほんとも)にて、殿上(てんじょう)に人候(さぶら)はざりける程、たたずませ給(たま)ひけるに、炭櫃(すびつ)に煙の立ちければ、「かれはなにぞ見よ」と仰(おほ)せられければ、見て帰り参りて、「わたつ海の 沖に漕がるる 物見れば 海人(あま)の釣りして 帰るなりけり」と奏(そう)しけるこそをかしけれ。蛙の飛び入りて、焼くるなりけり。


(注釈)

(先程の話と)同じ兵衛の蔵人をお供として、まだ、殿上の間に誰も伺候していない時間に、村上天皇が佇んでいらっしゃると、囲炉裏に煙が立ち上ったので、「あれは、何の煙であるか、見て参れ」と命じなさったので、彼女は、見てから戻り、帝のもとに参上し、「海の沖に漕いでいる物を見たら、海人が釣りをして帰るのでした」と、奏上したのこそ、私には、興味深いことだった。蛙が、囲炉裏似飛び込んで、焦げていることだったのだ。

 


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