たけじいの気まぐれブログ

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民謡をたずねて・その24

2024年06月11日 20時41分40秒 | 懐かしいあの曲

先日、不要雑物整理廃棄処分中に、記憶から完全に喪失していた小冊子2冊が出てきた。
表題は、「日本縦断お国ぶり・民謡文庫」
何時頃、入手したものやら、ページを開いてみても、まるっきり記憶が無く、巻末を見ると、
制作・発行は NHKサービスセンターで、1981、1982、(無断転記禁ず)となっている。
どうも非売品のようで、表紙には、「朝日新聞」と印刷されていることから、何かの進呈品だったのかも知れない。

                  

「民謡」・・・、最近は、とんと聴く機会が無くなってしまっているが、子供の頃は、よくラジオ等から流れていて、NHKの素人のど自慢等でも、盛んに民謡が歌われていたような気がする。
子供のこととて、しっかり覚えるようなことは無かったが、なんとなく脳裏に焼き付いている民謡が、かなり有り、懐かしくもなる。
昭和20年代後半から30年代、小学生、中学生の内から、民謡が好きだった祖母と一緒になってNHKラジオ第1放送の夜8時台の放送番組、「民謡はこころのふるさと・・・・♫」のナレーションで始まる「民謡をたずねて」という番組をなんとなく聴いていたこともあって、どちらかというと、民謡に親しみを感ずる人間になっている気がする。
昔のことを懐かしがるのは、老人のもっとも老人たるところだが、
この冊子のページを捲りながら、
ボチボチと ランダムに、
日本全国の「民謡をたずねて」・・・、
ブログ・カテゴリ-「懐かしいあの曲」に、書き留め置こう等と、思い込んだところだ。


民謡をたずねて・その24
「よさこい節(よさこいぶし)」
(高知県)

やはり、NHKの「あなたが選ぶ民謡ベスト100」等で、常にランクインされる民謡のひとつに「よさこい節」が有る。
記憶は曖昧だが、民謡「よさこい節」を、初めて意識して聞き、知ったのは、昭和30年代後半、ジャズ歌手ペギー・葉山が歌った歌謡曲「南国土佐を後にして」の中で歌われた「よさこい節」だったような気がしている。

今更になってネット等で調べてみると
「よさこい節」は、高知県の代表的な民謡であり、江戸時代から歌われていたとされているが、その起源については、農村の作業唄がお座敷唄になったという説、最初からのお座敷唄だったという説、江戸時代、山内一豊の高知城築城の場で唄われた「木遣り音頭」が変化したものだという説、松島節が高知に入って盆踊り化したという説、元禄時代の流行り唄「清十郎節」が参勤交代によって導入され、城の奥女中や高知城下の一部で唄われ出したのではないかという説等、諸説有って、いずれも憶測の域を出ないのだそうだ。
「南国土佐を後にして」でしっかり覚えた、「よさこい節」の代表的な歌詞、
「土佐の高知の播磨屋橋で、坊さん簪(かんざし)買うを見た」とは、
1855年(安政2年)に、竹林寺(ちくりんじ)南坊の僧純信(順心)が、鋳掛屋(いかけや)信平の娘お馬に懸想し、寺の品物を持ち出し与えていたが、あるとき、播磨屋橋の小間物屋で、珊瑚の簪を買っているところを見つかり、情事と不正が明るみに出て、2人共、領外追放になったという事件を歌ったものだそうだ。
「へー!、そうだったの」・・・、目から鱗・・・、である。
「よさこい節」の「よさこい」とは、
「夜さ来い」(夜にいらっしゃい)の意味の囃子言葉で、その囃子言葉が、そのまま曲名になったものだという。
「よさこい節」は、幕末から明治維新に掛けて活躍した土佐勤王の志士達によって、京都や大坂、東京で歌われ、全国的に知られるようになったのだそうだ。
最近では、北海道の「ソーラン節」等と共に、ロック調?の「よさこい踊り」イベントが、全国各地で開催され、従来の「民謡」の域を超越した一種の文化?となって、若者を中心に大人気を博しているようで、「全国区」の民謡になっている感がする。

「よさこい節」  (YouTubeから共有)


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