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たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

日が傾きかけてから・・、

2021年09月27日 17時27分48秒 | 散歩・ウオーキング

当地、今日も、時折 薄日が射したりしたものの
雲が多く、はっきりしない天気だったが、
日が傾きかけてから、急速に青空が広がり出した。
風も爽やか・・・、
やおら、重い腰を上げ、近くをちょこっと歩いてきた。
久し振りの、夕方散歩・ウオーキングと相成った。
早朝にしている、夏型の散歩・ウオーキング、
そろそろ、冬型の日中散歩・ウオーキングに切り替える季節かなあー?
スマホの歩数計で 約6,600歩。

カワセミが、2羽、3羽、
コンデジ、オートフォーカス、トリミング、= ピンボケ

 

アオサギ

オニャンコ

コメント (4)

「風変わりな宮廷紳士たち」・まんがゼミナール「枕草子」 その21

2021年09月27日 11時58分44秒 | 読書記

足腰大丈夫な内に出来る限り、不要雑物処分・身辺片付け整理をしよう等と思い込んでからすでに久しいが、正直なかなか進んでいない。それでもここ2~3年には、押し入れや天袋、物置、書棚等に詰まっていた古い書籍類等をかなり大胆に処分してきた。ただ、中には「これ、面白そう・・」等と目が止まり、残してしまった書籍もまだまだ結構有る。その中に 漫画家赤塚不二夫著、元東京学芸大学附属高等学校教諭石井秀夫指導の古典入門まんがゼミナール「枕草子」(学研)が有る。多分、長男か次男かが、受験勉強中に使っていた「枕草子」の解説本・参考書の一つのようだが、錆びついた老脳でもなんとか読めそうな、まんがで描いたくだけた内容、その内いつか目を通してみよう等と仕舞い込んでいたものだ。ながびく新型コロナ禍、不要不急の外出自粛中、ふっと思い出して、やおら引っ張りだしてみた。当然のこと、本格的な「枕草子」解説本、参考書とは異なり、限られたサワリの部分に絞ったものであるが、学生時代に多かれ少なかれ齧っていたはずの日本の代表的な古典、清少納言の「枕草子」も、ほとんど覚えていないし、「古典」に疎く、苦手な人間でも、十分楽しめそうで、御の字の書である。


「風変わりな宮廷紳士たち」・まんがゼミナール「枕草子」 その21

第108段 「方弘は、いみじう人に」
為すこと、言うこと、すべてが周囲の人を笑わせるという 愛嬌者の方弘(まさひろ)という殿上人のことを描いた回想の段。およそ、殿上人としての優雅さや気取りのない方弘の野人的な言動を、笑いの対象としているが、そこに、清少納言の好意的な目が光っている。

蔵人の方弘はたいそう人に笑われる者。
清少納言「どないなわけであのあほが蔵人の地位につけたんやろ?」「家族が染物や仕立てを上手にするさかいに、えーべべ着てはるけどナ」
ジリ、ジリ、紙燭で、着物を焦がしている、
清少納言「あーっ!、何しとるねん!」
方弘「このべべ、だれぞに着せてあげたい」
清少納言「どーも、わけわからん、お方や!」、「ちょいと、お供の方」
お供「は!?」
清少納言「どないなわけで、あんなちんけなお方に使われとるん?」
お供「それ、言われるとつらい!」
使いの者「メーッセージでおます。ご返事をくらさい」「ご返事、はよう、はよう」
方弘「せわしなくて、憎たらしいやっちゃ。かまどに豆くべたような男やな」
女房達「ホッホホ」「ヒッヒヒ」「囲炉裏に栗と言いなはれ」
方弘「ところで、ここには、墨も筆もあらへんな。だれぞ、盗んでしもたか?」「いや、食い物や酒やったら、ほしがる者おろうけど、墨や筆では食えへんで」
女房達「またまた、あほ言ってからに・・・」「ホホホッ・・」「ヒヒヒッ・・・」
方弘「清少納言さん、今、一人やね・・・」
清少納言「まじな顔して、どないした?」
方弘「まじやで、まじ!、まじ!、あんたに聞かせた方がええと人が言うねん」
清少納言「何事でおまス」
方弘「もっと、五体満足にこっちに寄りいな・・・」
清少納言「えっ?、その顔でエッチなことするのやないやろね」
方弘「わっ!」
清少納言「あっ!」、サッ!、
方弘 ドン!、フンギャー!
清少納言「五体満足でおましたか?」
官職任命式の夜、またいでました 方弘の蔵人。今宵のお役目は、燈台の油差しでおます。
方弘「オッホン。高貴な役職であるぞよ・・」
ところが、燈台の燈敷が新しい油単ゆえに、下沓がへばりよって、
ピタ、ピタ、ピタンコ、バターン!、燈台を引っくり返してしまい・・・、
女房達「わっ!、地震でおますかっ?」
ドタバタ、ドタバタ・・・、
女房達「あっ!、例によって、方弘が原因ぞ!」「蔵人の頭が御着席にならぬ限りには、だれも座れへんでおます」
方弘 隠れて「モグモグ」、「アッ!」
清少納言「こんなお方でおましたけど、方弘は阿波守に出世されましたエ」


原文だよーん

方弘(まさひろ)は、いみじう人に笑はるるものかな。親など、いかに聞くらむ。供にありくものどもの、人々(ひとびと)しきを呼び寄せて、「なにしに、かかる者には使はるるぞ、いかが覚ゆる」など笑ふ。ものいとよくするあたりにて、下襲(したがさね)、袍(うへのきぬ)なども、人よりよくて着たるを、紙燭(しそく)さしつけ焼き、あるは、「これを、異人(ことびと)に着せばや」など言ふに、げにまた言葉づかひなどあやしき。


(注釈)

方弘は、ひどく人に笑われる人物である。親等は、それをどんな気持ちで聞いているのだろうか。供に使う人達で、ごく人並みな者を呼び寄せて、「どうして、あんな男に使われているのか。どう思っているのか」等と言って笑う。物をきちんと整える家庭で、下襲や袍等も他の人よりも良い様子で着ているが、それを紙燭につけて焼いたり、あるいは、「これを、他の人に着せてやりたい」などと言うのだが、なるほど、言葉遣い等もまた一風変わっている。


「中学生日記より」その45(再)

2021年09月27日 08時35分27秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

「中学生日記より」

「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に 一度書き込んだことの有る「中学生日記より」を 改めてリメイクしてみようと思っているところだ。「中学生日記」とは 中学生だった頃のM男が ほんの一時期付けていた日記帳のことで 数年前に実家を解体する際に発見した、ボロボロのゴミ同然の日記帳のことだ。土産物の小綺麗な空き箱や包装紙、冠婚葬祭ののし袋に至るまで 廃棄処分するという感覚が全く無かった父母が、子供達の教科書やノート、通信簿、図画工作作品等も押し入れの奥に詰め込んでいたもので、その中に有った。まさに「タイムカプセル」を開けるが如くの感じで、ページを捲ってみると、すっかり喪失してしまっていた記憶が、断片的に炙り出されてくる。まさか 60数年後に、ブログで第三者の目に晒される等とは 当時のM男は想像もしていなかったはずで 下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。


その45 「リヤカー後押し」

昭和30年(1955年)9月22日(木)、天気 晴、

1限目、国語、
2限目、理科、
3限目、英語、
4限目、体操、マット上のデングリ返し、
5限目、保体、(本をわすれた)(教科書を忘れた)、病気の種、
6限目、社会、近畿地方の産業、

1、川原から、リヤカーあとおし(後押し)

4限目の体操は、マット運動だったようだ。運動、スポーツ苦手だったM男、マット上を前転(デングリ返し)するだけでも、左右にぶれ,、マットから転げ出る等していたような気がする。
5時間目の保体(保健体育)の授業、どうも教科書を忘れていったようで、隣りの生徒の机とくっつけて、教科書を見せてもらいながらの授業を受けたのだろう。
学校から帰ると直ぐ、家から一番遠い田んぼ(河川敷に有った田んぼ)の稲刈りの手伝いに行ったのだと思う。当時、M男の父親は、農業をする傍ら、隣り町の印刷店兼文房具店に勤めており、昼間の農作業は、ほとんど、母親が一人で、ボチボチしていた。この日も、母親一人で稲刈りをしていたようで 刈り取った稲の把を、リヤカーで家の敷地内の稲架場(はさば)まで運ぶ仕事に、中学生のM男の力をあてにしていたのだと思う。刈り取ったばかりの稲の把はずっしり重く、それを道端まで担ぎだし、リヤカーに山積みにし、舗装等されていない、ややアップダウンも有る、デコボコの田んぼ道を、リヤカーで引っ張ったり、押したりして運ぶ作業は、大変な重労働だったが、当時はそれが当たり前の時代だった。家の近くの急坂に差し掛かり、立ち往生してしまうこともたびたび有り、近所の人が見兼ねて加勢、「せーの!」の掛け声に合わせて後押ししてくれることも有った。


懐かしい 昭和20年代、30年代の農村風景
「リヤカーで作物を運搬する風景」
相互フォロワー登録している「気ままぶらぶら」たなのぶ様のパソコン画。
ご本人のご了解を得て拝借している。