さて、Victor ZERO-FX9最終回は音の話。
解像度が高く音場も広い。低域は締まっていて深く伸び、変な癖はない。
ただし、大きな欠点が2つあった。
何か音が詰まっている感じで開放感に欠けていた。そして何より音離れが悪かった。
解像度が高い。音場が広く、音像がスピーカーの外にまで定位する。
それでも、音がスピーカーの周辺にへばりついていたのだ。
自分にはそれが耐えられなかった。
特にボーカルのセンター定位の薄さと実在感の乏しさには辟易した。
このスピーカーを使うことで、自分は音離れの良さを絶対条件として考えていることがわかった。
そして社会人になったとき、ある小型スピーカーに出会い、ルックスと音に一目惚れし、購入した。
その小型スピーカーにすることで、低域についてはレンジが狭まり、若干軟調な癖もついたが、中高域は圧倒的に良くなった。
トータルとしてその小型スピーカーは、音離れが良く、表現力があり、音楽を純粋に楽しむことができたのだ。
物量を投じた国産大型3Wayが、安物ユニットの海外小型2Wayに完敗したのだ。
(その小型スピーカーは、”Acustik-Lab Bolero”である)
ZERO-FX9の音離れの悪さの原因が何なのか、自分には未だによくわからない。
”ユニットの力にキャビネットがバランスしていなかった”というのが推論だ。厚さ2cm程度のパーチクルボードではユニットの駆動力を止められず、余分な音が放射されていたのだと考えている。
解像度が高く音場も広い。低域は締まっていて深く伸び、変な癖はない。
ただし、大きな欠点が2つあった。
何か音が詰まっている感じで開放感に欠けていた。そして何より音離れが悪かった。
解像度が高い。音場が広く、音像がスピーカーの外にまで定位する。
それでも、音がスピーカーの周辺にへばりついていたのだ。
自分にはそれが耐えられなかった。
特にボーカルのセンター定位の薄さと実在感の乏しさには辟易した。
このスピーカーを使うことで、自分は音離れの良さを絶対条件として考えていることがわかった。
そして社会人になったとき、ある小型スピーカーに出会い、ルックスと音に一目惚れし、購入した。
その小型スピーカーにすることで、低域についてはレンジが狭まり、若干軟調な癖もついたが、中高域は圧倒的に良くなった。
トータルとしてその小型スピーカーは、音離れが良く、表現力があり、音楽を純粋に楽しむことができたのだ。
物量を投じた国産大型3Wayが、安物ユニットの海外小型2Wayに完敗したのだ。
(その小型スピーカーは、”Acustik-Lab Bolero”である)
ZERO-FX9の音離れの悪さの原因が何なのか、自分には未だによくわからない。
”ユニットの力にキャビネットがバランスしていなかった”というのが推論だ。厚さ2cm程度のパーチクルボードではユニットの駆動力を止められず、余分な音が放射されていたのだと考えている。
ご指摘どおり音離れには自分も違和感有りました。
自分は現在FX-9の1世代前の機種(ヤフオクで落札しにくくなるため秘密です)を二組愛用しています。
こちらは大当たりでした。
FX-9の良さも認めます。
良いスピーカーですし、愛用もしていました。
しかしながらある種の鈍さにも悩まされました。
優しくても時には寝ぼけて聴こえてもう少し鮮烈さを知らず知らず求めている自分がいました。
しかしながらこの時代のビクターのスピーカーのファインセラミック化への執念は見事でした。
もの作りの良い時代でも有りました。