モーグを扱ったGoogleの扉絵が凄いです!
歴代最高の力作ではないでしょうか。録音/再生もできますし。
第59回日本推理作家協会賞を受賞した平山夢明の「独白するユニバーサル横メルカトル」の一文にこんな内容の台詞があります(手許にないのでうろ覚えですが)。
”「時計仕掛けのオレンジ」におけるウォルター・カーロスのベートーヴェンの第9は、ベートーヴェンを超えている。”
まぁ、これは大げさにしても、モーグを駆使したウォルター・カーロスの演奏は、かのグレングールドも絶賛したと言われています。
つまり電子楽器でも楽器は楽器。音楽を奏でることができるというわけです。音楽に対する先入観をなくして聴くならば、これは当然ですね。音を奏でる全てのものは音楽を創生する可能性を秘めているのですから。
さて、オーディオにおける原音再生。原音再生を追求するのがオーディオの目的だとして、そもそも原音とは何でしょうか。
原音を”DISCに入っている情報”と定義してしまうとうまくいきません。
何故か。
そこには何も加えてはいけないことになってしまうからです。何も加えないオーディオが聴くに耐えない音を出すことは
無響室における音響実験が証明済みです。また、DISCに入っている情報と定義するならば耳でそれを判別することは不可能になってしまいます。
現在のオーディオの録音再生システムでは、原理的に、大きく、かつ重要な情報が欠落してしまうのです。
ならば原音の定義は…。
「録音・再生システムが介在していることを実感させない音」
これだと思います。
あたかも、オーケストラが、ボーカルが、そこにいて演奏している。
ドラムが叩かれている。モーグが目の前に置かれている。雷が轟いている。小鳥が囀っている。
これが、究極の原音再生でしょう。
ちょっと考えると、これが、現代の技術では無理であることがわかると思います。
けれど、無理であるからこそ、ほんの少しでも近づいていく、その試みが面白いと思うのです。
無理であるからこそ、アプローチの方法は多岐にわたり、趣味としての幅を広げていると思うのです。
歴代最高の力作ではないでしょうか。録音/再生もできますし。
第59回日本推理作家協会賞を受賞した平山夢明の「独白するユニバーサル横メルカトル」の一文にこんな内容の台詞があります(手許にないのでうろ覚えですが)。
”「時計仕掛けのオレンジ」におけるウォルター・カーロスのベートーヴェンの第9は、ベートーヴェンを超えている。”
まぁ、これは大げさにしても、モーグを駆使したウォルター・カーロスの演奏は、かのグレングールドも絶賛したと言われています。
つまり電子楽器でも楽器は楽器。音楽を奏でることができるというわけです。音楽に対する先入観をなくして聴くならば、これは当然ですね。音を奏でる全てのものは音楽を創生する可能性を秘めているのですから。
さて、オーディオにおける原音再生。原音再生を追求するのがオーディオの目的だとして、そもそも原音とは何でしょうか。
原音を”DISCに入っている情報”と定義してしまうとうまくいきません。
何故か。
そこには何も加えてはいけないことになってしまうからです。何も加えないオーディオが聴くに耐えない音を出すことは
無響室における音響実験が証明済みです。また、DISCに入っている情報と定義するならば耳でそれを判別することは不可能になってしまいます。
現在のオーディオの録音再生システムでは、原理的に、大きく、かつ重要な情報が欠落してしまうのです。
ならば原音の定義は…。
「録音・再生システムが介在していることを実感させない音」
これだと思います。
あたかも、オーケストラが、ボーカルが、そこにいて演奏している。
ドラムが叩かれている。モーグが目の前に置かれている。雷が轟いている。小鳥が囀っている。
これが、究極の原音再生でしょう。
ちょっと考えると、これが、現代の技術では無理であることがわかると思います。
けれど、無理であるからこそ、ほんの少しでも近づいていく、その試みが面白いと思うのです。
無理であるからこそ、アプローチの方法は多岐にわたり、趣味としての幅を広げていると思うのです。