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さいたま国際マラソン(当日)

2016年11月13日 08時46分18秒 | 心筋梗塞のちサブ4挑戦
ついに、さいたま国際マラソンのスタート地点に立ちました。
人生2度目。23年ぶりのフルマラソンです。かつ、心筋梗塞後の初マラソンになります。
人が沢山いて緊張します。



天候は、快晴だけれど結構涼しいというなかなか良い感じです。
筋肉痛も関節痛も一切ありません。
ただ、このコースはアップダウンが多く、結構筋力を削られるタイプのコースのようです。
途中棄権だけはしたくないので、ゆっくり、楽しんで走ります。

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無事帰って来ました。心臓は多分余裕で耐えてくれました。それが一番です。

スタートの合図からスタート地点まではなかなか進まず、8分もかかりました。
ただ、スタート地点を過ぎてからは、それなりのペース。
最初の1キロは5分30秒。次が5分20秒、次が5分25秒と想定とほぼ同タイムでした。
3キロ過ぎてから足が軽かったので少しだけペースを上げました。そこから10キロまでは5分10秒ペース。
10キロ地点で敢えてペースを落とすことにしました。5分15秒ペースです。自分としては落とし所を見つけた感じだったのでこのまま最後まで刻むつもりでした。

ところが15キロ付近で脚が重くなって来ました。
まだ、3分の1かと先が思いやられる感触です。
この辺から、平均タイムは変わらないものの、ラップが揺れ始めます。5分20秒だったり5分丁度だったり。
中間地点は1時間51分。タイム的には目標と同じです。

そして、忘れもしない28キロ地点。
突然、足が動かなくなりました。ペースがきついとか、呼吸とかそういう問題ではなく、本当に突然、足が言うことをきかなくなりました。

歩くことさえきつくなった状態で、残り14キロは地獄でした。
悔しい気持ちよりも唖然とした感じ。スタミナの枯渇が35キロで起こるなら納得ですが、28キロですから、何故?という感じです。



ネット、4時間10分。取り敢えずゴールできて良かったです。
が、やはり達成感よりも不完全燃焼感が強かったです。

マラソンの結果には必ず原因がある。
自己分析してみました。

1.細かいアップダウンで消耗した
2.走り込みが足らなかった
3.前半ペースを上げ過ぎた
4.手賀沼の疲労が抜けていなかった

これらの要因が重なっていたように思います。特に10月の中旬から10月下旬までは手賀沼のために練習量を激減させ、手賀沼からさいたま国際までは疲労回復と発熱のためにほとんど走れませんでした。1ヶ月トータルで50キロ程度しか走れていなかった状態だったので、これがスタミナ不足を生んでいたように思います。

落ち込んではいません。あっさり目標を達成したらそれはそれでつまらないので。
次は調整とトレーニングを見直して、もう少し楽なコースに挑戦したいと思います。

春頃ですかね。頑張ります。

さいたま国際マラソン一週前

2016年11月06日 09時00分22秒 | 心筋梗塞のちサブ4挑戦
手賀沼エコマラソンから今日で丁度一週が経過しました。

一週前は、90パーセントしか本気を出して走っていない感覚を持っていました。
まだまだいける、全力を尽くせばもっと良いタイムが出せるという余裕さえも感じました。

けれど、この一週、激しい筋肉痛に見舞われ、さらに体力低下によるものと思われる微熱が続き、健康に生活するエネルギーみたいなものが大きく奪われていることを自覚しました。

実は、私は手賀沼エコマラソンにおいて、

“100パーセントのところを90パーセントに抑えて走った”
のではなく、

“120パーセントのところを100パーセントに抑えた”
のではないかと認識が改まってきました。

昨日、ようやく7kmのジョギングをすることができました。誇張抜きで、6分30秒ペースで一杯一杯です。しかも距離は10キロが限界な気がしました。

ハーフマラソンで体力を底まで消費しており、現段階では全く戻っていない。あと一週でフルマラソンに耐えうる程に復調出来るか?

これが現時点での1番大きな問題点です。

もう1つ、大きな問題は、妻が、親類が、私のフルマラソンへの挑戦に大きな難色を示していることです。

私は自分の心の中にある熱いものを言葉や表情に出すことがとても苦手なタイプであるので、これは困ります。何故なら説得するのに骨が折れるからです。

誰からの応援を受けなくても、自分のペースにはあまり影響はありません。寧ろ、応援を受けたから頑張る的な態度こそ危険です。

でも、今の自分が、“ただ熱くなって我儘を突き通す的に走ろうとしている”的な誤解を受けて走るのは心外です。

ここまで、あくまで理論的にトレーニングを進めてきました。
今の走力で、コンディションさえ整えられたなら、完走だけでなく、サブ4も間違いなくいける筈です。

そのためには、現在の低体力状態から1日でも早く這い上がらなければ。

最終判断は5日後です。

そういえば村上春樹氏のランニングに関するこんな文章を見つけました。

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世間にはときどき、日々走っている人に向かって
「そこまでして長生きしたいかね」と嘲笑的に言う人がいる。
でも思うのだけれど、
長生きをしたいと思って走っている人は、
実際にはそれほどいないのではないか。
むしろ
「たとえ長く生きなくてもいいから、少なくとも生きているうちは十全な人生を送りたい」
と思って走っている人の方が数としてはずっと多いのではないかという気がする。
同じ十年でも、ぼんやりと生きる十年よりは、
しっかりと目的を持って、生き生きと生きる十年の方が当然のことながら遥かに好ましいし、
走ることは確実にそれを助けてくれると僕は考えている。
与えられた個々人の限界の中で、少しでも有効に自分を燃焼させていくこと、
 
それがランニングというものの本質だし、
それは生きることの(そして僕にとってはまた書くことの)メタファーでもあるのだ。
 
このような意見には、おそらく多くのランナーが賛同してくれるはずだ。

エッセイ『走ることについて語るときに僕の語ること』 より

サイトランナーズネクストより抜粋

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村上氏は何故走るのか?をとても上手く表現されていて、流石と思います。

ランニングは私にとってもう30年以上も前から、付かず離れずの距離にいて、自分にとってはとても大切な存在でした。
振り返ってみると、苦しい時ほど真剣に、ひたむきに走っていました。そして、結果的にランニングは常に私を助けてくれました。

今も正に、助けてもらっているところです。

体が許してくれる限りは、走り続けたいと思っています。

これを何とか家族に理解して貰おうと思っています。