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東京マラソン2019

2019年04月09日 19時51分34秒 | 心筋梗塞のちサブ4挑戦
一体何から書けば良いのやら。

兎に角、兎に角、2019年3月3日の東京マラソンを無事に完走出来ました。
タイムはネットで3時間57分42秒でした。

今回の目標は、サブ4を獲得することであり、それが全てでした。

故に、サブ4を最も確実に達成するためのレースプランを立てました。そして本番ではスピードを出したい欲求を抑えて、ひたすら安全に、イーブンペースを貫きました。

心筋梗塞予後については恐怖はまるでありません。私はいつまた倒れても全然構わないのです。しかし、肉体的に悪影響すら及ぼすハードトレーニングを続けることで、周囲の心配を承知の上で敢えてそれを行うことが正しいのか迷います。

陸上は35年も続けてきましたからやはり大好きなのでしょう。でも、今持っているこの達成感を糧に、マラソンからは卒業するかもしれません。

取り敢えず、当カテゴリ“心筋梗塞のちサブ4挑戦”は一旦終了したいと思います。
3年もかかりましたが、サブ4に挑戦し、それを達成したこと、誇りに思います。

サブ4挑戦のその後

2019年01月20日 21時20分05秒 | 心筋梗塞のちサブ4挑戦
久しぶりすぎて何を書けば良いのやら…

去年3月の静岡マラソンは、屈辱のドロップアウトでした。
原因はスピードの出し過ぎ。体が軽すぎて、キロ4分50秒で入ってそのままいけると思い込み、
35キロ付近で両下腿とふくらはぎが同時につってしまいました。
人生で初めての苦痛でのたうちまわってしまいました。

回収専用のバスに乗るのって本当に情けないです。トラウマになりました。


その後、安定のバーンアウト。それは半年続いたのですが、8月末のとあるメールで目を覚まさねばならない羽目に…


「東京マラソン当選のお知らせ」が来てしまったのです!!

というわけで9月から一念発起して走っております。

でも、月に180キロくらいが限界です。

静岡マラソンはサブ3.5を目標に練習したのですが、東京マラソンはサブ4を目指します。
後一か月半。怪我しないように頑張ります。

で、当カテゴリはもう本番前日まで書かないことにします。
良い報告がしたいですね~。

サポートタイツ

2017年11月22日 07時53分46秒 | 心筋梗塞のちサブ4挑戦
9月から突然再開したマラソントレーニング、持病とも言える肉離れを再発することもなく、結構順調に頑張ってます。
去年のトレーニングは周囲からの反対の声が強くて心苦しかったのですが、今年は周りも諦めていてその分快適です。

30キロを超えるトレーニングは9月から8回行いました。うち、40キロ走は2回。

去年のさいたま国際で味わった地獄は2度と味わいたくない、その一心で距離を重ねています。10月は240キロ、今月はあと10日残して160キロ。なかなか良い感じです。





最近お気に入りの多摩湖サイクリングロード。
先日は富士山が綺麗に見えました。
なかなか癒されます。

2018静岡マラソンの本番は3月4日で、3ヶ月と2週間後。
今は、目標タイムさえ設定できていませんが、ようやく楽観的になりつつあります。

再びboost購入!

2017年11月05日 21時24分29秒 | 心筋梗塞のちサブ4挑戦
去年の6月5日にこのブログでシューズ購入の記事を書きました。adidasのjapan boostは1年と4ヶ月、1000キロ以上の酷使によく耐えてくれました。



私の走法は、右足で蹴り、左で支えるという極端なものです。10代からの変な癖です。しかし、ソールは左の方が早く減ります。なんか変に捻っているのかもしれませんね。

で、左の踵はソールが擦り切れてboost素材が露出しています。

ただ、こんな状態でもそんなに違和感のないのがこのシューズの良いところ。

気に入ったので今回もboostを購入。



responce boost 4といいます。色はjapan boostとそっくり。でもjapan boostよりも低速タイプでしょうか。少し重く、クッション重視タイプです。

10月は230kmを走破しました。月間走行距離としては人生最長です。
それでも実力が伸びている実感は殆どありません。その原因が年齢のせいなのか心臓のせいなのか分かりませんが、それでもなお、いつか実る日が来ると信じてトレーニングは続けたいと思います。

本番は3月4日の静岡マラソン。あと、4ヶ月。悔いの残らないように走り込みたいと思います。

バーンアウトと復活

2017年10月18日 20時41分15秒 | 心筋梗塞のちサブ4挑戦
お久しぶりです。

さいたま国際のリベンジの舞台にするはずだったかすみがうらマラソンは仕事のため欠場としました。

その後、目標を失い約4ヶ月間のバーンアウト。

けれど9月の頭に突然モチベーションが復活。

失った4ヶ月を取り戻すために、今は必死にトレーニングしています。

そして、3月4日の静岡マラソンにエントリーしました。

10月、11月、1月、2月。月間平均走行距離は200キロが目標です。今回は30〜40kmのLSDをトレーニングの核にしていきたいと思います。

10年以上住んでいるにもかかわらず、自宅から3キロ以内に素敵なランニングコースがあることを知りませんでした。

それは多摩湖サイクリングロード。
サイクリングロードというと狭くて寂しくてというイメージしかなかったのですが全然違いました。走りやすくてコンビニも結構あります。

自宅から往復すると丁度42キロ位なので、週末に愛用したいと思います。


※多摩湖

戦う核医学検査

2017年01月18日 15時51分44秒 | 心筋梗塞のちサブ4挑戦
今日は核医学検査を行ないました。この検査は運動状態の体に放射線を発する液体を注射して、その放射線量を測定することで特定の部位の血流を測定するというものです。

心筋梗塞後では2回目の検査になります。
前回は擬似的な運動状態を引き起こす何かの液体を注射しましたが、今回は本格的に運動を行いました。

かかりつけ医から“MAXまで運動やっちゃって下さい”と指令が来たとのこと。
どうやらマラソンにダメ出ししたいらしい。

こちらも望むところです。負けてたまるか。

右腕に点滴を刺し、左腕に血圧測定機を巻き、ランニングマシーンに乗りました。

ゆるゆるの平地から急斜面のランニングまで、スピードと傾斜が7段階まで上昇するという予想以上にハードなプログラム。

一般的なランニングと決定的に違っていたのは腕を振ることが許されないこと。バーに掴まった状態で足だけを動かします。登り坂を腕振りなしで走り続けるのはなかなかしんどかったです。

6段階目(傾斜20度)で心が折れそうになりました。もうやめてもいいですよといわれましたが、ここはプライドと意地で最後まで頑張ることを決意しました。

最後の7段階目は22度の傾斜でした。

ところで22度の傾斜ってなかなか想像しにくいと思います。

というわけで計算してみました。



sin22=0.375

1キロ走って振り返ってみたら375m登りきっていたということになります。



言い換えると、1.8キロ走ったらスカイツリーのてっぺんに届くような斜面。
いやちょっと惨すぎるでしょ。

汗だくになって走り終え、その後暫く休んでから撮影を行いました。

検査医の方からは「最後までできる人滅多にいませんよ」と言われました。そりゃ、この検査が必要な人はお年を召した方ばかりだろうし。

でも、妙な達成感がありました。

心臓には明らかな不具合はないでしょう。
ただ、1分間につき、脈が10回近くは飛んでいた筈。検査医の方の途中の「あれ?」という声は多分それではないかと。
まぁ、この現象(期外収縮)は特に気にする必要はないみたいなので、多分大丈夫でしょう。

2週後の受診で結果が出るのが楽しみです。

近況

2017年01月17日 11時04分18秒 | 心筋梗塞のちサブ4挑戦
お久しぶりです。
近況報告です。

11月13日のさいたま国際マラソンの肉体的ダメージは予想以上に深く、一時期は“もう自分は走れない体になったのでは?”と思うくらいの状態になりました。

けれど12月からは徐々に体力が復調。約23年振りに月間走行距離200キロを走破することができました。

ただ、大晦日に謎のギックリ腰発症。

以後トレーニングを2週間休み、おかげで折角培った200キロ分の体力がほぼリセットされてしまいました。

一昨日、無理して走った30kmLSDであまりのスタミナ不足に愕然としているのが今日の状態です。

今月は残りの半月でなんとか100キロ走りたい。

そして、2月と3月で計400キロ走れれば、4月のかすみがうらマラソンで3時間45分位は行けるんじゃない?
という皮算用です。

明日は久々の核医学検査です。素人の自分にとっては、高額な割には得られるものの少ない低コスパ検査にしか思えないけれど、かかりつけ医からの正式なマラソン許可を貰うためには仕方ないです。

故郷の富山は大雪のようです。故郷で暮らしていた若い頃は、冬の間は毎日が雨や雪で、外を走ることが難しかった。

東京はどんなに寒くても、毎日が晴れていて、走るには天国のような環境です。

この有り難みを忘れないようにランニングに励みたいと思います。


さいたま国際マラソン(当日)

2016年11月13日 08時46分18秒 | 心筋梗塞のちサブ4挑戦
ついに、さいたま国際マラソンのスタート地点に立ちました。
人生2度目。23年ぶりのフルマラソンです。かつ、心筋梗塞後の初マラソンになります。
人が沢山いて緊張します。



天候は、快晴だけれど結構涼しいというなかなか良い感じです。
筋肉痛も関節痛も一切ありません。
ただ、このコースはアップダウンが多く、結構筋力を削られるタイプのコースのようです。
途中棄権だけはしたくないので、ゆっくり、楽しんで走ります。

✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎

無事帰って来ました。心臓は多分余裕で耐えてくれました。それが一番です。

スタートの合図からスタート地点まではなかなか進まず、8分もかかりました。
ただ、スタート地点を過ぎてからは、それなりのペース。
最初の1キロは5分30秒。次が5分20秒、次が5分25秒と想定とほぼ同タイムでした。
3キロ過ぎてから足が軽かったので少しだけペースを上げました。そこから10キロまでは5分10秒ペース。
10キロ地点で敢えてペースを落とすことにしました。5分15秒ペースです。自分としては落とし所を見つけた感じだったのでこのまま最後まで刻むつもりでした。

ところが15キロ付近で脚が重くなって来ました。
まだ、3分の1かと先が思いやられる感触です。
この辺から、平均タイムは変わらないものの、ラップが揺れ始めます。5分20秒だったり5分丁度だったり。
中間地点は1時間51分。タイム的には目標と同じです。

そして、忘れもしない28キロ地点。
突然、足が動かなくなりました。ペースがきついとか、呼吸とかそういう問題ではなく、本当に突然、足が言うことをきかなくなりました。

歩くことさえきつくなった状態で、残り14キロは地獄でした。
悔しい気持ちよりも唖然とした感じ。スタミナの枯渇が35キロで起こるなら納得ですが、28キロですから、何故?という感じです。



ネット、4時間10分。取り敢えずゴールできて良かったです。
が、やはり達成感よりも不完全燃焼感が強かったです。

マラソンの結果には必ず原因がある。
自己分析してみました。

1.細かいアップダウンで消耗した
2.走り込みが足らなかった
3.前半ペースを上げ過ぎた
4.手賀沼の疲労が抜けていなかった

これらの要因が重なっていたように思います。特に10月の中旬から10月下旬までは手賀沼のために練習量を激減させ、手賀沼からさいたま国際までは疲労回復と発熱のためにほとんど走れませんでした。1ヶ月トータルで50キロ程度しか走れていなかった状態だったので、これがスタミナ不足を生んでいたように思います。

落ち込んではいません。あっさり目標を達成したらそれはそれでつまらないので。
次は調整とトレーニングを見直して、もう少し楽なコースに挑戦したいと思います。

春頃ですかね。頑張ります。

さいたま国際マラソン一週前

2016年11月06日 09時00分22秒 | 心筋梗塞のちサブ4挑戦
手賀沼エコマラソンから今日で丁度一週が経過しました。

一週前は、90パーセントしか本気を出して走っていない感覚を持っていました。
まだまだいける、全力を尽くせばもっと良いタイムが出せるという余裕さえも感じました。

けれど、この一週、激しい筋肉痛に見舞われ、さらに体力低下によるものと思われる微熱が続き、健康に生活するエネルギーみたいなものが大きく奪われていることを自覚しました。

実は、私は手賀沼エコマラソンにおいて、

“100パーセントのところを90パーセントに抑えて走った”
のではなく、

“120パーセントのところを100パーセントに抑えた”
のではないかと認識が改まってきました。

昨日、ようやく7kmのジョギングをすることができました。誇張抜きで、6分30秒ペースで一杯一杯です。しかも距離は10キロが限界な気がしました。

ハーフマラソンで体力を底まで消費しており、現段階では全く戻っていない。あと一週でフルマラソンに耐えうる程に復調出来るか?

これが現時点での1番大きな問題点です。

もう1つ、大きな問題は、妻が、親類が、私のフルマラソンへの挑戦に大きな難色を示していることです。

私は自分の心の中にある熱いものを言葉や表情に出すことがとても苦手なタイプであるので、これは困ります。何故なら説得するのに骨が折れるからです。

誰からの応援を受けなくても、自分のペースにはあまり影響はありません。寧ろ、応援を受けたから頑張る的な態度こそ危険です。

でも、今の自分が、“ただ熱くなって我儘を突き通す的に走ろうとしている”的な誤解を受けて走るのは心外です。

ここまで、あくまで理論的にトレーニングを進めてきました。
今の走力で、コンディションさえ整えられたなら、完走だけでなく、サブ4も間違いなくいける筈です。

そのためには、現在の低体力状態から1日でも早く這い上がらなければ。

最終判断は5日後です。

そういえば村上春樹氏のランニングに関するこんな文章を見つけました。

✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎

世間にはときどき、日々走っている人に向かって
「そこまでして長生きしたいかね」と嘲笑的に言う人がいる。
でも思うのだけれど、
長生きをしたいと思って走っている人は、
実際にはそれほどいないのではないか。
むしろ
「たとえ長く生きなくてもいいから、少なくとも生きているうちは十全な人生を送りたい」
と思って走っている人の方が数としてはずっと多いのではないかという気がする。
同じ十年でも、ぼんやりと生きる十年よりは、
しっかりと目的を持って、生き生きと生きる十年の方が当然のことながら遥かに好ましいし、
走ることは確実にそれを助けてくれると僕は考えている。
与えられた個々人の限界の中で、少しでも有効に自分を燃焼させていくこと、
 
それがランニングというものの本質だし、
それは生きることの(そして僕にとってはまた書くことの)メタファーでもあるのだ。
 
このような意見には、おそらく多くのランナーが賛同してくれるはずだ。

エッセイ『走ることについて語るときに僕の語ること』 より

サイトランナーズネクストより抜粋

✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎

村上氏は何故走るのか?をとても上手く表現されていて、流石と思います。

ランニングは私にとってもう30年以上も前から、付かず離れずの距離にいて、自分にとってはとても大切な存在でした。
振り返ってみると、苦しい時ほど真剣に、ひたむきに走っていました。そして、結果的にランニングは常に私を助けてくれました。

今も正に、助けてもらっているところです。

体が許してくれる限りは、走り続けたいと思っています。

これを何とか家族に理解して貰おうと思っています。

手賀沼エコマラソン当日

2016年10月31日 21時25分51秒 | 心筋梗塞のちサブ4挑戦
寒い、微風、曇り空の最高のコンディション。
物凄い参加者数。緊張してきました。
これから行ってきます。



無事、元気に帰ってきました。以下振り返りです。

スタート地点は上の画像のように凄いだかりでした。
開会式会場からスタート地点は少し距離があり、多くのランナーが一斉に動くため、かなり時間がかかりました。整列からスタートまでの時間が短く、若干慌ただしい印象です(次年度には改善されるでしょう)

参加者約1万人がAからFの6グループに分割され、自分はDグループでした。ただ、開始のピストルからスタートラインまでは約1分50秒と、意外と早かったです。
(私はグロスは気にしない主義ですが)

スタートラインでアプリを起動させました。

スタートライン付近は渋滞はしているのですが、間を縫って走る隙間がないわけではありません。
割と早くジョギングのスピードに乗ることが出来ました。

1km付近でタイムを計測しました。4分57秒。
スタート時点の渋滞を考慮すると上々のタイムです。少し速すぎる気がしたので気持ちペースを落としました。
2km過ぎてからは自分のペースで走れている感触がありました。心配していた大腿四頭筋の筋肉痛は一切ありませんでした。
4.4kmの最初の給水は人が多すぎたので無視しました。その代わり5kmを過ぎてから、エネルギー補給用のゼリーを少し摂取しました。



5km付近でのペースは4分49秒。スタート地点から全くのイーブンペースでした。

体が非常に軽かったので、ほんの少しペースを上げることにしました。

快調だったのですが、8km付近で右のハムストリングスに一瞬ピリッときて焦りました。少し走り方を修正して、ストライド走法を若干ピッチ走法に変更しました。

8.8kmで給水しますが、前日の鼻炎の影響で鼻が詰まっており、うまく水を飲めませんでした。
初給水はほぼ失敗。ポケットに入れていたゼリーを5kmから10kmでチビチビと摂取し、これは本当に助かりました。



折り返し地点でタイムを計りました。気持ち的にだれてきており、ペースが落ちている感触がありました。案の定ペースが4分55秒になっていました。
ここから、勇気を出して、ペースアップのためにピッチ走法からストライド走法に戻しました。

走法を戻したことで体が少し楽になりました。
13キロ付近で2本目のゼリーを飲み、このコース唯一の坂も特に問題なく越えました。

あと8kmを確認した時点で、ほんの少しだけランナーズハイになりました。体が妙に軽くなりスピードを出したくなる感触です。

ここからのペースは約4分30秒。

残り3キロは筋肉が辛くなってきて、スピードが落ちたことを自覚できました。けれど、気力でペースを保ちます。この時は心臓よりも肉離れが怖かったです。

ラストスパートは残り1キロ付近でかけようと思えばかけれたのですが、心臓への負担が少し怖かったので、敢えて封印しました。最後の300m位だけほんの少し上げました。

で、無事ゴールイン。




ネット1時間39分52秒
グロス1時間41分46秒

年代別順位 328/1310
総合順位 1583/7012

平坦なコース、涼しさ、ほぼ無風という素晴らしいコンディションに加え、多くのランナーや応援の方達が励みになりました。

手賀沼エコマラソン、素晴らしい大会でした。


というわけで心筋梗塞から復活の初レースが無事終了しました。
手術から13ヶ月。トレーニング開始から8ヶ月。
やっちゃいけないペースだったかもしれませんが、でも、1日経過した今もしっかり生きてます。

両下腿の激しい筋肉痛が、夢ではなかったことを物語っています。

レース一週前の発熱、前日の鼻炎を考慮すると、可能性としてはもっと良いタイムが出せたかもしれません。

二週後のさいたま国際マラソンは、頑張ればキロ5分で刻めるかも、つまりはサブ3.5を狙えるかもしれません。

でも、今回の結果に十二分に満足したので、それはやめにしておきます。

復活した走力を楽しむために、思い切りペースを落として、景色を見ながら、沿道で応援してくれる人達に手を振りながら、4時間を走り切りたいと思っています。