「見仏」と「札所巡り」と「仏教少々」

仏像鑑賞と札所巡りと受け売りの仏教を少し

築地本願寺、法話2014.7.4

2014-07-04 22:56:00 | 仏教
はじめに、法話のある建物の前に書いている標語的なことば。
「出会いとは、別れの始まりである」


今日は、千葉の方のお寺の住職。
見た目、坊主頭だったので珍しいなと思った。

ゆったり楽に聞いてください。
浄土真宗は他力の教えなので、
聞こう聞こうしなくて、
自然に入ってくるものなので、、、。

仏壇は、金ぶっさん(?)のもが売れない。
(金色の多い仏壇ということだろうか。)
でも、阿弥陀如来の存在を示しているとかで(?)
いいのだけれど。

葬式のときに、冥府をお祈りしますという言い方は、
よろしくない。
哀悼の意を表しますの方がよい。
冥府をお祈りしますの意味は、あなたがどの世界に
いらしゃるかわかりませんが、お祈り申し上げます
という意味。どこに行ったかわからないのに、
お祈りするとは、よろしくない。(特に浄土真宗の
立場からはそうだろう)

蜘蛛の糸の話をされたときに、
お釈迦様が蜘蛛の糸を伝って降りてきたと話をされた。
極楽の世界から、釈迦が現れるというのは、
あまり聞いたことが無いので、
あれっ?と思ったが、蜘蛛の糸の小説は、どうもそうらしい。

眠くなって、寝ることはないけども、目を閉じて楽になりたい
ときもある。そんな状況になった。そんな状況に限って、
話のトーンが大きくなる。眼を開けざるを得なくなる。
、、、、ゆったり楽に聞いてくださいという感じではなく、
眠らずに、ちゃんと聞いてよという感じに思えてしまう。


その他、ミニ法話部分。
ほーほけきょといううぐいすの声。
法を聞けよ。

林先生の、いつやるか、今でしょう。
いつ念仏するか、今でしょう。
いつお参りするか、今でしょう。


今日は、アミダさんの功徳の部分が、
強調されすぎた印象で、
内容的には、どうかなあという印象だった。




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