「見仏」と「札所巡り」と「仏教少々」

仏像鑑賞と札所巡りと受け売りの仏教を少し

築地本願寺、法話2013.1/25

2013-01-25 23:37:55 | 仏教
神奈川のほうの住職。

今回は、いつもと違ったパターンの法話。
経典の解説という流れ。

白骨章という章の解説。
この章は、400年、500年ほど前に
若くして娘を亡くした父親に対して、
なんとかという僧侶が、書いた手紙という体。

人は、老いた人から順番になくなるということは
ない。・・・夜通し火葬して、白骨・・・
亡くなってしまったのは、もう仕方がないが、
「後生の一大事」、つまり、亡くなった後のことが大事。
亡くなった娘のために、阿弥陀さんに念仏を唱え、
浄土へと導いていただきましょう。・・・


その中で、始中終(しちょうじゅう)という言葉が
出てきた。これがなまって、今の「しょっちゅう」という
言葉になったらしい。


その他の余談:
南無阿弥陀仏という言葉は、本来、サンスクリット語の
よく似た発音に対して、漢字で当て字を作ったもの。
発音に意味があって、漢字そのものには意味がない。
(そういえば、この法話では、なむあみだぶつとは、
 唱えないで、なもあみだぶつと唱える。
 なもあみだぶつのほうがオリジナルの発音に近いのだろう)


経典の解説という形式の法話では、自分で
受け取ることができる内容・情報が
少なくなってしまうような気がした。

今日は、法話の中で、「空」は、簡単に言うと、
ゼロということをおっしゃっていたが、
そうではないなぁと思った。




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