大分の佐藤第二病院院長、龍谷大学大学院教授でもある。70歳。
講題「医療現場求められる仏教」
今に至る経緯。大分の市民病院に勤務していたとき、
長野の大学のほうで、
講師をしてほしいと頼まれ、片道8時間、5年間通っていた。
その後、京都の龍谷大学で講義を依頼されるようになった。
もともとは、外科医。ある大学の学生時代、仏教青年会に
入った。別に仏教に関心があったわけではなく、
この入会により住居費用がただになるという利点があったから。その後、とある師に浄土真宗を学んだ。
化学の先生でもあった臨済宗のお弟子さんにも学んだ。
キリスト教や天理教系の病院には、宗教師がいるが、
日本では病院と宗教師は密接な関係はあまりない。
アメリカシカゴの本願寺の別院にいったことがある。
病院に宗教師が出向くことはめずらしいことではない。
現在は、主に大分の国東半島にある病院に主に勤務。
病院内に仏教勉強会を作り、その活動がもう15年になる。
国東半島のこの地は、仏の里と言われている。
しかし、この地でさえ、
お坊さんが病院にくると、まだ、早いと言われる。
龍谷大学では、90分x30日分の講義を持っている。
病気の人は、健康になりたいと思う。
大腸ガンの患者さん。治療により、もう大腸ガンのリスクは
無くなったと医者から言われた。しかし、それから2年後、
肝臓のほうに転移した。黄疸の症状も出ていた。
結果的に、その後、7年で亡くなった。
医療には限界がある。良くなる病気は良くしていく。
しかし、、、、。
あるとき、同級生からメールをもらう。すい臓がんの
ステージ4と言われ、余命半年と言われた。ショック。
これ以上良くならないときは、どうすればよいか。
「悟り」、あるいは、真宗でいうところの「信心」の結果として、自分の現実を受容することができる。受け止めることができる。
ある先輩が自分の講義を聞きに来てくれたことがある。
そして言ってくれた。
人間の病気の苦しみを取るのに、医療しかないと思っていたが、違っていた。
誰もがいつかは、老病死につかまる。
アリストテレスは言っている。みんな幸せになりたいと思っている。
プラスを増やし、マイナスを減らしていく。
しかし、幸せを目指しても、最後にはマイナス、不幸の完成。
事実はそうなっている。
大分のローカル新聞に投稿された記事。60過ぎの人が投稿。
40代の知人がガン。頑張れと励ます。がんばってますよと返される。
痛みがつらい、死にたくない。
頑張ってるよねと、言ったほうがよい。
また別の人の投稿について、胃ガンの50代の男性。
ステージ4。
あまり動けない患者。家族に連れられ、
6ヶ所ほどの病院を転々。
そのうち、骨転移の痛みがでてきた。
病院側はステージ4をえさにいろんな治療を行う。患者はすがりたい。
そういう状態を続ければ、患者は死ぬまで苦しむ。
緩和ケアをしていく手段も考えたほうがよい。
人間の思考には二種類あると、今は亡くなった宗教師のいっていたこと。
計算的思考と、全体的思考。計算的思考は、プラスを増やし、
マイナスを減らす。損か得か。勝ちか負けか。
全体的思考は、因果応報を認め、縁起を考える。私という存在は生かされている。
死は生の裏表。死は生きている事実を教えてくれる。
70歳と歳をとってきて、頸椎に問題があり、手が少ししびれることがある。
この現実は、私に何を気ずかせようとしているか考えてみる。
毎日を生ききる人は、死に対する心配はない。
生かされているという思いがある。
現実を受容できた例。
岩手県沢内村。
50代のガン患者がつらいとうったえ、落ち込んでいた。
同じ患者のおばあさんが歩み寄り、念仏をすすめる。
すると、笑顔が出てきた。
徐々に、臨床宗教師の活躍も増えてきた。
死が近ずいて来た時、医者とコミュニケーションを
よくとったほうがよい。緩和ケアをしてくれる病院も
探したほうがよい。
最後に
数年前にも、この先生の話を、この場で聞いたことがある。
その時も有意義な話を聞けたと記憶している。
本日は、なかなかよいお話だった。