広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

街中の神社

2013-12-18 23:42:47 | 秋田の季節・風景
秋田市内の神社の話2つ。
千秋公園の中に、佐竹の殿様に使えたキツネを祀るという「與次郎稲荷神社」がある。再開発「エリアなかいち」のイメージキャラクター「与次郎」のモチーフにもなって、にわかに秋田市民の認知度が高まった。
実は、秋田市にはもう1つ與次郎稲荷神社がある。千秋公園から2キロ弱離れた、楢山南中町。楢山登町との境、南有楽町通りの裏の道にひっそりと祀られていた。
詳細は省略するが、江戸時代にいろいろあって2つの與次郎稲荷ができたり移転したりして、楢山に明治初めに移って以来、鎮座してきたようだ。

ちょうど2年前の記事(リンク先中ほど)の通り、2011年秋頃に敷地内の樹木がほとんど伐採されてしまっていた。
(再掲)
それ以後、特に変化はなかった。

そして、今年秋、神社周辺がさらに片付けられて、動きがありそうな気配はしていた。その後、通る機会がなかったのだが、今は、
更地になってしまった!
解体工事は10日ほど前に行われていたらしい。【19日追記】雪がたくさん積もっていることからすれば、大量積雪前である12日の段階で更地になっていた可能性が高い。
向かって左側にあった電話ボックスと右隣の民家もなくなった。
更地には立派な看板による「山本」さん名義の丁寧な掲示があった。

「当神社の老朽化によりやむなく解体するはこびとなりました。/尚、御神体は千秋公園本丸に鎮座しております八幡秋田神社内並びに与次郎稲荷神社に合祀致します。/長いあいだご参拝を賜りまして誠に有難うございました。」

ここ数年は、地元の保育園児がお参りするなど、少しは脚光を浴びつつあったようなのに、神社そのものがなくなってしまうとは。元々1つの神社だったのだから千秋公園へ移って元に戻ったとも考えられるけれど。
維持管理は「山本」さん個人でやっていたのだろうか。大変だったのでしょう。
右が神社跡
【19日追記】タイムリーなことに19日付朝日新聞秋田版で、「與次郎稲荷突然の解体/足軽の町、惜しむ声」として大きく掲載された。
記事で所在地が「楢山登町」とあるのは上記の通り楢山南中町の間違い。(楢山登町との境界ギリギリであり、かつては登町だった)
また、記事中「解体作業は年末までに終える予定だ。」として更地になる前の解体途中の写真(立て札はなく、神社名の石柱は残る状態)が掲載されているが、上記の通り既に更地になっている。
記事によれば、
・神社を所有するのは千秋公園の「八幡秋田神社」→誤りの可能性あり。下記20日付追記参照
・「管理していた夫婦が約25年前に他界、空き家の状態が続いていた」
・「かつては(略)祭りも開いていたが、(略)30年前に途絶えていた」
・「(社殿は)築100年を過ぎ、(略)関係者で相談し、今夏、取り壊しを決めた。」ご神体は11月に千秋公園へ移した。
夏に解体が決まっていたのなら「突然の解体」というのはちょっとおかしいけれど、解体が決まったことは広く知らされず、工事開始で初めて知った住民などの反応という意味でしょう。

【20日追記】20日には秋田魁新報 秋田市地域面でも「社殿老朽化 住民から驚きの声」などと伝えられた。解体後の更地や看板の写真や内容が出ているものの、やっぱり所在地は「楢山登町」にされてしまっている…
樹木伐採前の2009年4月の写真も出ていたり、より詳細な事情が掲載されているのは、後追いながらも“郷土の新聞”の面目躍如か。
・ご神体の“正体”は「キツネの形をした一対のご神体」
・ご神体が千秋公園へ移されたのは、朝日では11月となっていたが、こちらでは「10月」
・朝日では千秋公園の八幡秋田神社の所有となっていたが、「社殿と棟続きの住宅に住む夫婦が所有、管理していた」→別棟ではなかった。考えてみれば、神社所有ならば立て看板が「山本」さん名義なのはおかしいから、これなら筋が通る
・「約25年前に夫が亡くなり、約10年前に妻も他界した。」その後、手入れが滞って老朽化して「夫婦の遺族が廃社を決めた。」
・「解体工事は11月中旬から始まり今月上旬に完了。」
・再建は費用的に難しいことと参拝者への感謝を語った八幡秋田神社の宮司の山本さん(57歳)は「亡くなった夫婦の孫に当たる」

【2014年6月28日追記】2014年6月時点では、土地は空き地のままだが立て札は撤去された。
【2014年7月19日追記】2014年7月中旬には、神社跡地で何やら工事が始まった。【8月26日追記】民家が建つようだ。【11月26日追記】アパートができた。




もう1つの神社。こちらは神社の付属物についてで、神社自体は存続しているので誤解なきよう。
通町の北隣・市立保戸野小学校がある一帯は「保戸野すわ町」。これは「諏訪愛宕神社」があることが由来。菊谷小路の裏通りにある神社は、「お諏訪さん」として親しまれている。
諏訪愛宕神社
この場所は、1610(慶長15)年から諏訪神社があり、後に愛宕神社を合祀したとのこと。愛宕神社は今の保戸野小学校の場所にあったそうなので、合祀されたのは明治頃だろうか。【22日追記】保戸野小前にあった表示によれば、合祀は「大正11年(1922年)」。ということは、保戸野小が現在地に移転したのが1888年なので、それから34年間は小学校と神社が“同居”していたのだろうか。
お稲荷さんも併設された神社の敷地はけっこう広いものの、貸し駐車場(?)にも使われていて、若干混沌としている。
鳥居とは別の場所から車は出入りする
社殿の左手前には、社殿よりも大きそうな車庫があった。それが、
「車庫解体します!」
11月23・24日に、町内会の皆さんによって解体された。(なかなか手際が良かったらしい)
 解体前/解体後
すっきりして、社殿左のイチョウが見えるようになった。
車庫は見るからに老朽化していたし、安全上はこうしたほうが良かったのだろう。
車庫跡
簡単にはいかないのだろうけど、勝手な意見としては、この一帯は都市公園がまったく存在しないので、街区公園として整備するとかしてもいいかもしれない。

ところで、菊谷小路から諏訪愛宕神社正面に向かうと、手前に小さな神社がある。
左側
これも諏訪愛宕神社の一部。鳥居には「諏訪神社」とある。
「二〇世紀ひみつ基地」の2008年6月23日付「諏訪愛宕神社の端午祭(http://20century.blog2.fc2.com/blog-entry-445.html)」によれば、「仮宮」。
仮宮にはここにこもって「笹巻き」の巻き方を覚えた女性が祀られており、奥の本殿と仮宮は長野県の本家・諏訪大社における、上社と下社に相当するとのこと。

この仮宮の建物なのだけど、通るたびに気になってしまう。
上の写真でも分かるかと思うが、建物全体が少し傾いているのだ。また、以前は本殿側の道路沿いには板塀があったのだが、2011年頃に撤去されてしまった。地震か雪で倒れたのだと思う。
さらなる大雪や地震があれば、仮宮そのものも…ということにならないか、心配。【2014年5月24日追記】この後、2014年春に入り、仮宮などの建て替えが計画されているようだ。

あと、仮宮後方にある高い落葉樹が何の木なんだろう。ケヤキではないし、エノキやニレとも違う。



諏訪愛宕神社のお祭りは、旧暦の端午の節句に行われる。少なくとも昭和末期には、前の道路が車両通行止めになり、多くの屋台が並んで賑わったものだった。しかし、現在は屋台は出ないはず。寂しくなってしまった。

楢山の與次郎稲荷神社も諏訪愛宕神社も、100年くらい前は「村の鎮守の神様」だったのだろう。街が変わって人が減ってしまい、神様に末永く見守り続けていただくのも、大変なようです。

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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
諏訪さん (FMEN)
2013-12-19 00:09:56
仁井田神社が6月7日、諏訪さんが6月8日であすは諏訪さんだよと昔テキ屋に言われたことがありましたが、今はいないんですね。
ならば、テキ屋は今どの神社にいるのか。
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連日連戦 (taic02)
2013-12-19 22:10:06
昔は秋田市内で連日連戦だったわけですか。
諏訪神社では、はっきりといつからかは分かりませんが、ここ数年はお祭りの日でもいつもと変わらない道になってしまっているはずです。この辺りは子どもの数がだいぶ減ったことも原因でしょうか。
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魁でも (あんなか)
2013-12-20 20:45:03
今日の朝刊で記事になっていましたね。
でも内容が余りにも管理人さんが書かれた内容に酷似していて
おまけに写真のアングルもそっくり。
前にも同じようなことがありましたがまたやられてしまったのかな。
最近思うに魁新報の取材力が本当に落ちましたね。
80年代頃まではローカルのスクープも多く
反骨精神溢れた記者が良い記事を書いていたものでした。
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今日の魁は (taic02)
2013-12-20 21:15:50
あれは、前日の朝日の後追いということでしょう。
セブンイレブン進出も朝日がすっぱ抜いたはずだし、魁は後塵を拝すことが多くなっている気はします。情報収集網は魁がダントツのはずなのに。

あと、先日、魁の文化面で「秋田西高校(秋田市)」とやったのは、情けなく思いました。見出しでも間違ったので、記者だけの責任ではないでしょう。
間違いやすいこととはいえ、西高は潟上市にあることくらい、地元紙関係者なら覚えてほしいものです。
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なくなった神社、復活できた神社、続いている神社 (あきたのSH)
2013-12-21 11:59:03
taic02さん、こんにちは。
今回は読んでいてつらい記事でした。
私は與次郎稲荷神社が楢山にもあったことさえ知りませんでした。山本さんの丁寧な文章に長年の苦労がしのばれました。
土崎には、太平山の遥拝所としての神社があります。倒壊したまま何年もそのままでしたが、数年前、小ぶりながらりっぱに再建されました。氏子さんたちの大きな努力があったのだろうと思います。
我が町内の神社は昔も今も変わりありません。70年ほど前の神社での子どもたちの集合写真には今とすこしも変わらない神社と
70年前の町内の爺さんたちが子どもとして写っています。秋田市が小鳩街区公園なる意味不明の名前を勝手?につけ、標柱まで知らないうちに立てていきましたが、町内の誰も相手にしていません。街区公園に指定されることで、いろんな補助、援助があるのかも知れませんが。。。
常々、思うのですが、公園や広場と神社はちがいます。神社のある町内と神社のない町内もちがいがあると思います。夜店の出る祭りのあるなしは関係ありません。神社を失った町内の人たちの空しさがしのばれます。
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こんばんは (taic02)
2013-12-21 22:47:33
僕も数年前までは、どこにでもある町内の神社だと思っていました。
有名かどうかはともかく、地域の人のよりどころがこういう形でなくなるとは、街の衰退を示す厳しい現実の1つかもしれません。

諏訪愛宕神社の場合、車庫解体は町内会の皆さんが行ったそうですし、近隣の町会内も金銭的な支援はしているようです。祭礼自体も行われていて、とりあえずは與次郎稲荷のようにはならないと思いますが、遠い将来はどうなるでしょうか。
通町では、お稲荷さんの境内が街区公園になり、商店街がキツネの行列をイベント化するといった、前向きな動きもあります。
それぞれの所有者と地元でふさわしいありかたを模索していくべきですね。
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