広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

新川橋の隣の水中

2021-02-15 21:02:29 | 
秋田運河に架かる「新川橋」の架け替え工事が進んでいる。
昨年秋(この記事その続き)と比べると、確実に進んではいるのだろうけれど、目立った変化はなく、供用開始はもう少し先=2021年度のどこかになるだろう。【18日追記】15日の秋田建設工業新聞サイトにちょうど出ていて、「来月に供用を開始する予定」つまり2021年3月。間に合う?
【19日追記】秋田市の月間行事予定によれば、3月20日11時から「新川橋供用開始式典」が川尻側で行われる。
【3月12日追記】秋田市の週間予定によれば、供用開始は3月27日の予定。式典と1週間差があるとは珍しい。
現状。勝平側から。左の下流側が新しい橋。接続部は未舗装
今回は新しい橋のことではない、かといって現行の橋のことでもない。

現橋の上流側の歩道からの眺め。
運河は奥右から。左からの旭川と合流
旭川合流点直下には、渡し舟跡があり、中洲には春先にウミネコが集結していた。今はカモ類すらいないようだった。
さらにその下流、写真手前、橋のすぐ上流。
川尻側から

上の写真で見えるものを、真上の橋から

川中央付近
流路方向に飛び石のようなもの並んだものが、川尻側岸寄りから中洲直下にかけて、3セットほど見えた。飛び石ではなく、丸太を埋めた「杭」のようなもののようだ。頭はギリギリ水上に出ないくらい。
ズーム
日本の河川は、冬に水量がいちばん少なくなるそうだ。ここも水位が低下して、かつ晴天だったので、川の中がよく見えたのだろう。秋田運河の水はいつも濁っていて、水中を見たこと自体初めて。
ウミネコの記事で、中洲と別に枝が集まった浮島のようなものができていたが、それは流木などでなく、この杭に枝が引っかかっていたのかもしれない。
(再掲)手前に浮島。この時は水中は何も見えない
杭の正体。勘のいい方、もしくは前の記事を熟読いただいた方なら、察しがつくでしょうか。

現橋より前の新川橋の橋脚(の名残)に違いない!
勝平側の水中にもあるかもしれないが、そちらは水深があって見えないのかもしれない。

以前の繰り返しになるが、新川橋は1892(明治25)年に初代の木橋が架橋。今のトラス橋は1963(昭和38)年にできている。
初代は秋田運河ができておらず、雄物川本流に架かっていた。地形図を重ねると、現在の橋のすぐ上流側にあり、河川敷が広かったので今より長い橋だった。1937年に雄物川放水路と秋田運河が完成。
木橋の耐久性も考えると、初代の橋が昭和まで使われ続けたのではなく、少なくとも運河化の時にも1度架け替えたのではないかと推測していた。つまり、今のトラス橋は、2代目ではなく少なくとも3代目。
川尻側から。電線の下付近が旧橋
水中に見える橋脚は、いかにも木橋のそれ。位置的には明治の初代の橋と重なる。ひょっとしたら初代のもので、勝平得之の版画に描かれた橋脚だったりするかも… でも、版画で描かれていて確認できる橋脚は、1か所につき4本ささっていて、その回りに支えの丸太が付いており、今回の跡とは一致しない。いつのものなんだろう。

こういうふうに水中に、撤去された橋の橋脚だけ残ることはままあると聞く。雄物川放水路の雄物新橋の横にもあるそうだ。
旧新川橋の橋脚跡は、一般には知られていないが、河川管理者(県)や船で通る人(いるのかな?)などは知っているのだろう。歴史、土木学などの分野における資料価値としてはどんなもんなんだろう。

一部だけとはいえ、3世代の新川橋が上流から下流に向かって隣り合って並んでいる。
新しい新川橋が共用されれば、トラス橋は撤去されてしまうわけで、少なくとも今のように歩道の真下に橋脚を見ることはできなくなる。
それ以前にトラス橋撤去工事時にジャマになり、木橋の橋脚まで撤去されてしまったりする可能性もあるかも。反対にトラス橋も橋脚だけは残って、引き続き3世代並ぶ可能性もあるか。

※新川橋の続きは2022年4月

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