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広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

続・旭川地区と添川線のバス停更新

2022-07-12 22:44:03 | 秋田の地理
秋田市手形~旭川地区の秋田温泉線・仁別リゾート公園線と、(旭川地区に含まれるが地名としては)泉地区の添川線のバス停表示板更新が、2021年秋以降にされていた。
以前取り上げたより先方については、取り上げないつもりでいたが、機会があったので少し先・横金線にぶつかる手前(古城苑入口、青山上丁)まで見てきた。

県道15号を北上する、秋田温泉・仁別線側から。
「扇田」の次。
「旭川小学校前」上り
結論から述べると、旭川小学校前~古城苑入口は、ポールがなく上屋の壁がバス停代わりの旭川小学校前下り以外、すべての表示板が新しくなっていた。交換前は、いずれも市営バス設置のナールか?(一部パソコン印字透明シールかも?)
支柱を交換するか、台座を塗装するかについては、個々の状態に応じてまちまち。手形側と同じタイミングで交換されたと考えられる。
「新藤田(しんとうだ)」上り

「旭川団地前」下り

「古城苑入口」下り
「古城苑」というのは、分譲住宅地(古城苑団地というらしい)とか町内会の名前なんだろう。次のバス停は「古城苑二丁目」だが、正式な地名・町名ではない。
由来は分からない。「添川字古城廻」という地名はあるが、もう少し先へ進んだ旭川対岸。関係あるのか? 外旭川の「吉学寺(バス停は廃止済み)」と並んで、よく分からない名称だ。
2018年撮影の上り側


添川線。
未確認だった「三嶽根」は、まだ新しいのでやはり変化なし。「泉一ノ坪」「泉上丁」が交換されて、その次。
「新藤田入口」下り
結論としては、新藤田入口~青山上丁は、1つも交換されていなかった。1枚が市営バスのナールで、残りは移管直後に中央交通が設置したJTCウインRの表示板のまま。文字が読めないほど状態が悪かった、泉一ノ坪と泉上丁だけを交換したことになる。

新藤田は温泉線のバス停名にあったように、旭川対岸に位置する。新藤田入口バス停のそばに新藤田橋が架かっているが、県道15号には明確にはつながっておらず、知る人ぞ知るような橋。
一直線の県道15号と対照的に、添川線は平和公園の山のふもとをくねくねと進む。沿道には住宅もあるが、林や水路もある。
新藤田入口を過ぎると、地名はしばらく(大字)濁川。以降のバス停名は、正式な地名ではなく、町内会などの名前から取っていると思われる。

「平和町」下り

「青山町」下り

「青山町」上り。ここだけナール

「青山上丁」下り

フジか何かのツルがからみつき、背後の森に飲みこまれそう

ここから先は…続くかどうか分かりません。
この後、2022年8月頃の更新
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バスガイドで違う大森山標高

2022-06-02 19:52:31 | 秋田の地理
バスガイドなど昭和の貸切バスの思い出シリーズ。
小学校の遠足で秋田中央交通のバスガイドに、間違った歌詞の歌を教えられた話幼稚園のいもほり遠足で、秋田市交通局の運転士とガイドが消えた話に続き、最後は小学校の社会科見学での、秋田市交通局(秋田市営バス)のバスガイドの発言。

まず、社会科見学について。昭和末までは生活科がなく、1年生から社会科があった。
我々の学校・学年では、社会科見学と称する行事は、2年生から4年生にかけて、何度か実施されたと記憶する。1年生では校外での集団行動は危ないという判断かもしれない。また、5年生では日本全体のこと、6年生では歴史のみを習うため、近場に見学する場所がないという理由だろう。
秋田市街地にあった母校では、学区近隣に見学対象もあり、商店街やダイエー秋田店(ニューシティ全体ではなくダイエーの食品売り場を見たはず)などは2年生で徒歩で出かけた。

全国的に社会科見学と言えば、特に食べ物の「工場見学」が連想されよう。秋田市周辺にも、みちのくコカ・コーラボトリングなど見学を受け入れる工場はあるが、我々の学年では工場見学は1度もなかった。5年ほど年下の学年では、2年生辺りでたけや製パンの工場を見学するようになっていた。
僕は、大学2年の時に、ニッカウヰスキー弘前工場の見学計画が浮上したが、それさえ、他の授業との兼ね合い(学部事務局の時間割表の作成ミスのような気がしなくもない)で流れてしまったほど、工場見学とは縁がない。


我々が小学校の社会科見学で貸切バスを使ったのは、2年生の秋田駅~秋田郵便局(現・秋田中央郵便局)と、3年生と4年生各1回(後述)の計3回だと思う。いずれも市営バス。遠足以上に遊びの要素がない、お勉強のお出かけだが、それでも遠足気分になったものだ。
3年と4年の社会科見学は、どちらも秋田市内の複数の施設を見学し、この2年間でクラス替えがなかったため、記憶がごっちゃになっている部分もある。保存した資料もあるのだがすぐ出せないので、以下、一部資料と記憶から整理(後で資料が見られたら修正するかも)。

●3年生
・1985年9月13日。
・単なる社会科見学でなく、「市内めぐり」という名称付き行事。「しおり」も発行された。
→「市内めぐり」とは的確な命名だと思っていたが、数年前、県内で少し違う市内巡りがされていることを知った。
能代山本方面だったか、(町や郡を越えた)地域外から異動してきた教員をバスに乗せ、学校のある地域を案内する行事(研修?)があるらしい。秋田市でも行われていたか、あるいは伝え聞いて知ったかして、社会科見学の名前に転用したのかもしれないと思った。
【2023年6月28日追記・「市内めぐり」の由来について考察】1982~1983年度に、NHK教育テレビの小学校3年生・社会科の学校放送番組で「ぼくのまち わたしのまち」が放送されていた。「たんけんぼくのまち」の前番組。
Wikipediaのそのサブタイトル一覧によれば、5月(82年度は第5回、83年度は第4回。当時は2週ごとでなく毎週、新作が放送されていたようだ)に「市内めぐり」という回があった。なお、1981年度までの「ぼくらの社会科ノート」にはなし。
もしかしたら、これが由来かもとも思ったが、さらに↓

近年でも、小学校3年生が「市内めぐり」の呼称で、社会科見学を実施している地域・学校がちらほら存在した。
Google検索結果上位では、2022年度 立川市、2018年度 取手市、2021年度 青梅市など、東京都と千葉県を中心とした首都圏周辺で盛んな感じ。千葉県旭市では「旭市内めぐり」と市名を冠するようだ。あとは岐阜県各務原市、大阪府岸和田市、山形大学附属小学校で実施されているのを確認。
ということは、「市内めぐり」の名前は、教育現場では一般的なのかも。(以上追記)

・秋田市中央卸売市場 → 東北電力 秋田火力発電所 → 秋田市水道局 仁井田浄水場。
→見学時の建物や設備は2022年時点では、どれもおおむね現存するはずだが、近い将来いずれも大きく変わりそう。
外旭川の卸売市場は、現在は花部門以外は「秋田市公設地方卸売市場」に格下げ。イオンタウン構想とともに、全面改築計画がある。
飯島の火力発電所は縮小傾向。現在唯一稼働する4号機も2023年3月で廃止予定で、その後は発電所全体が廃止される方向。【10月20日追記・その後、2024年7月に廃止が延期された。この記事も参照】
(現在は秋田市上下水道局)仁井田浄水場は、老朽化した設備を2027年度までに全面更新予定。

・昼食は弁当持参で、大森山公園のグリーン広場で食べた。食べないその日の給食費から、おやつセットが配給。
→おやつ現物支給は、現金で返金するのが面倒だったのか。宿泊研修などでも行われた。
味覚糖の中にミルクが入ったキャンディー(さくらんぼの詩、野いちごの小道、クリームソーダ)や、いちごポッキー(つぶつぶいちごでない小さい箱の)など、自分ではあまり選ばない商品もチョイスされ、それをみんな同じく食べるというのは、それはそれで楽しかった。おっとっとも入ってたか?


●4年生
・1986年6月30日。
・秋田市環境部 御所野事業所 → 秋田市下水道部 八橋事業所 を見学。順番はあいまい。
→御所野(実際は河辺?)はごみ処理場。現・秋田市総合環境センター。
八橋は臨海バイパス・草生津川の橋のほとりの下水処理場。後に「八橋下水道終末処理場」になるも、県の下水処理場と統合され、2020年8月からは下水処理機能がない秋田市上下水道局「八橋汚水中継ポンプ場」。

・見学は午前中で終了し、帰校後すぐ給食。
→たしか献立が「とり肉のピーナツからめ」で、とてもおいしかった(過去の記事)。


3年は飯島~仁井田~大森山とほぼ市内全域の移動。弁当とおやつもあって、遠足がもう1回あった気分だったかも。
しかし4年の御所野往復もけっこうな距離で、半日で済ませてすぐ給食なのはタイトスケジュール気味な感じもする。


さて、貸切バスの話。当時はもちろん、バスガイド付き。
仁井田浄水場に向かう時だから、3年生。
「NHKの朝のドラマ(連続テレビ小説)の放送中は、水道の使用量が大きく減るそうです」と説明があった。
これは、1983年の「おしん」放送時のことだと思われる。「NHK放送史(https://www2.nhk.or.jp/archives/search/special/detail/?d=asadra014)」のサイトにも、「「朝の放送時間は水道の使用量が激減した」と言われるほど」とされる」とある。
当時の交通局では、秋田市民などを対象にした、市内の施設見学会(ある意味大人の社会科見学)も請け負っていたかもしれないので、その手の案内は慣れていたのだろうか。


そして、問題のある案内が2点。これがどちらの年か分からない(理由後述)。
秋田大橋か雄物新橋のどちらかで、雄物川(雄物新橋なら正確には雄物川放水路)を渡った時、「今渡っている川は雄物川です」と案内があった。
その後、新川橋(架替前の先代)を渡ったのだが、案内がなかった。すると、児童の1人から「この川は?」と質問の声。

ガイドは「う~ん。新川?」と疑問形で返答。

秋田市に新川という河川はない。新川橋の下を流れるのは秋田運河(正式には旧雄物川)である。
僕は知っていたが、訂正できるような子じゃないので、黙っていた。

雄物川を紹介しておきながら、小さいとはいえない秋田運河・新川橋は黙っているのは説明不足。そして、秋田市の公営企業に所属し、市民などに案内する立場でありながら、雄物川改修事業や臨海工業地帯など秋田市の発展を語るに欠かせない秋田運河(の区間なのか、名前なのか)をよく知らないというのは、勉強不足と言わざるを得ない。
と、今さら苦言を呈しておく。



もう1つは、どのタイミングかは忘れたが、大森山の高さ。これはけっこう奥が深い。

バスガイドから「大森山の高さは、124メートルです」と案内があり、ふーんと思った。
※数値はちょっと自信なし。122メートルだったかもしれないが、後述の各種資料に従えば、124の可能性が高い。


社会科見学終了後、次の日辺りだろうか、学校で友だちが話した。
「大森山の高さって、123メートル。1、2、3なんだって!」
あれ? 僕が聞いたのと1メートル違う。尋ねると、その子が乗っていた号車のバスガイドが教えてくれたという。
バスガイドの間で、数値が統一されていないことになる。
下手すれば言い争いになってケンカになりかねないが、彼も僕もそんな子じゃないので、誤差みたいなのがあるのかね、で終わった。(けど、個人的にはずっと引っかかっていた。)


この“誤差”について、後年、自力でそれなりの原因を考えてみた。少なくとも4つ。
・小数点以下の処理。
→よくある話で、切り上げ/切り捨て/四捨五入の違い。

・データの新旧。
→測量方法の変更や地殻変動で、標高の値が変動することはある。

・山の標高と三角点の標高を混同している。
→大森山のテレビ塔近くの展望台には、一等三角点がある。その一帯が大森山でいちばん高い場所ではあるが、三角点の位置=山の頂上とは限らないはず。
だとした場合、国土地理院の地形図では、大森山の頂上付近に三角点の標高が記されるため、(低い数値を言ったほうのガイドが)それが大森山の標高だと誤解して、案内してしまった可能性。
※地形図で、三角点がない山の頂上の標高は、「・」印に数字を記す「標高点」の地図記号で示される。大森山には標高点は未記載。
※大森山の三角点の名称(基準点名)は「赤山」。大森山をそう呼ぶなど聞いたことがないのだが、理由が知りたい。

・インパクト重視・ウケ狙い。
厳密な数値を用いず、大雑把な値を示し、1、2、3という数字の並びの良さを重視した可能性もある。


山の標高と三角点の標高について、掘り下げる。
翌1987年の5年生での大森山宿泊研修(宿泊訓練。いわゆる林間学校)の「しおり」には、学習資料として大森山のプロフィールが記されていた。
「標高123.49m」、さらに三角点が「123.4m」であるとのこと。
当時は知らないが現在では、三角点の標高は小数第二位まで公表されている。しかし、地形図では小数第一位までしか記載されない。
今のようにネットで三角点のデータを調べられたわけでもなかったので、「123.4m」は地形図を転機した可能性が高いと思う。

ただ、「時系列地形図閲覧サイト 今昔マップ on the web」で、1985年修正の地形図では「123.5」。

近年は後述の通り異なるが、明治から2006年まで123.5で不変。となると、123.4の出どころが謎だが、宿泊研修のしおりの話なので、これ以上追求しない。

バスガイドの説明に戻って、ここからは憶測。
交通局のガイド教本みたいなので、しおりにもあった「標高123.49」もしくは地形図の三角点「123.5」の値を記載していたのかもしれない。
それを見て、あるガイドは小数点以下を切り捨てて「123メートル」と、あるガイドは四捨五入または切り上げて「124メートル」と案内して、齟齬が生じた可能性がある。
バスガイド各自の裁量の範囲内だとは思うが、同じ学校の同じ学年の子どもたちが混乱しないよう、統一することがあってもよかったのでは。


現在の数値も記しておく。
一等三角点の標高(2014年)は「123.17」。地形図では「123.2」。
地理院地図より
ちなみに2011年では123.32だったそうだ。

「大森山の標高」と銘打った値で、出典や根拠が明確なものは、ネット上にはないようだ。
(秋田市役所サイト内の)秋田市大森山動物園のホームページ内、「大森山公園」全体の紹介ページ(ページ番号1003910)の中で、「展望台」が「公園の最高地で、標高は123.49メートル」としている。1987年と変わらない値だが、これは市が定期的な確認や更新をせずに、掲載したまま代々引き継いでしまっている可能性もある。
Wikipediaの「大森山」の項(全国の大森山の一覧)では、「秋田県秋田市にある標高124mの山。大森山公園がある。」。※他の大森山も小数点以下がない数値。
その他のホームページは、市サイトの「123.49」もしくは三角点標高を元にしたか、大雑把に123としたと思われるものばかりだと感じる。

以上、大森山の標高の数値については、結論は出せません。国土地理院に問い合わせれば分かるでしょうけど。


このできごとが、3年か4年かあいまいな理由。
雄物川→秋田運河を通り、大森山が話題になったといえば、上記見学先を踏まえれば3年生のはず。でも、特に大森山の高さについては、そう断言できない事実(であろう記憶)があった。

3・4年生はクラス替えがない、1学年3クラスだった。
3年生の市内めぐりでは、1クラスにつき1台のバスが配車された。遠足と同じで当然。
4年生の社会科見学では、バスは2台。各クラスをそれぞれ半分ずつに分けて、補助席も使って分乗。
児童数が減少傾向であった母校では、我々が4年生になった時には、ギリギリ3クラスが維持できる人数だったはず。半日であることやバス代節約の意味からも、2台に収めたのだろう。

そして、大森山の高さのやり取りをした友だちは、同じクラスの人だったはず。すなわち4年生の時のはず。
でも、ルート的に大森山は通らないと思われる4年コースで、2台のバスガイドがそろって大森山の高さを話題にするものだろうか。やはり3年の時のことで、話した友だちは実は違うクラスの人だったのか、でも僕はそんなに交友関係は広くないし…
やはり記憶とはいい加減なもの。この真実は永久に分からないでしょう。
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泉駐在所廃止・所管変更

2022-02-24 22:17:38 | 秋田の地理
2021年末、泉外旭川駅の(狭義の)泉地区側駅前に、秋田中央警察署 泉交番が開所した。幸町交番を移転させたもので、管轄エリア(所管区)の変更はなし。
一方、線路の反対側(広義の泉地区)には、秋田東警察署 泉警察官駐在所(泉駐在所)が古くから存在する。泉駐在所と泉交番が、隣接した地域にあり、しかも違う警察署管轄というのは、かなりややこしいことで、取り違えなど問題が生じるのではないかと危惧していた。
2021年末の幸町交番跡。この状態で年越し
大町交番移転時と同様、看板・表示も連絡用電話も残された状態で移転し、夜逃げしたかのような姿。
張り紙はあった
年明けには解体工事が始まり、現在はおそらくほぼ終わっていると思われる。【27日追記】27日時点では、地上はほぼ解体され、基礎が残る状態。工期は3月下旬まで。

移転から2か月。
2月24日付 秋田魁新報 秋田市地域面に、小さい記事が出た。「泉地区の一部 中央署管轄に 県警 2月県議会に条例案」

「泉交番が設けられたことに伴い、泉地区の一部が秋田東署管轄から中央署管轄に変わる。」「管轄区域の整理をする。」
「管轄が移るのは、泉字五庵山、泉字三嶽根、泉一ノ坪、泉釜ノ町、泉馬場、泉東町、泉三嶽根。」
「(管轄変更の)条例が可決されれば4月1日付で泉地区全体が中央署の管轄となる。(※後述)」「老朽化した東署泉泉駐在所は廃止となる予定。」

なーんだ。あんなに疑問と不安を呈していたことが、解決してしまうじゃないか!
以前の記事のコメント欄では、泉駐在所と東署エリアで隣接する旭川駐在所とともに再編したら…といった話も出ていたが、警察署を越えた所管替えがされるとは、意外。
でも、2005年2月の東署発足以前は、泉駐在所も秋田警察署(中央署の前身)管轄だったわけだから、17年ぶりに元に戻ることになる。

どうせなら泉交番移転と同時にやれば良かったのではと思ってしまうが、警察署をまたぐことや人事異動も伴いそうだから、年度替わりに合わせて遅れたのかも。



魁の記事では、不正確な点と分からない点がある。
まず「4月1日付で泉地区全体が中央署の管轄となる。」は、厳密には誤り。
泉字登木の一部は、中央署泉交番でも東署泉駐在所でもなく、秋田臨港警察署の将軍野交番または外旭川交番の所管。ここは変わらないのではないか。

そして、現・泉駐在所の所管区で、「泉」でない地名の箇所が、どこの所管になるか記事に出ていない。泉駐在所そのものがなくなるのに。
「秋田県警察の組織に関する規則」によれば、泉駐在所の所管区は、
「旭川清澄町、旭川新藤田西町、旭川新藤田東町、旭川南町、泉(字五庵山、字三嶽根に限る。)、泉一ノ坪、泉釜ノ町、泉馬場、泉東町、泉三嶽根、手形(字扇田、字上川原、字才ノ浜、字中台に限る。)、新藤田」それに「特例区域20」として「秋田市外旭川のうち秋田市平和公園の区域」。
つまり、旭川対岸(左岸)の旭川地区、手形、新藤田、それに(右岸側)平和公園がどうなるか。
移管される泉字五庵山、泉字三嶽根は、平和公園の一部のこと。平和公園を一体的に管轄するという点からすれば、外旭川側の平和公園も中央署泉交番へ移管されるのではないか。
また、そうなることで、現・泉駐在所エリアの旭川右岸はすべて中央署泉交番エリアに代わる。なお、右岸上流の濁川地区以北は東署旭川駐在所。
旭川左岸の旭川、手形の一部、新藤田は、東署手形交番へ移管だろうか。今さら旭川駐在所の負担を増やすわけにもいくまい。

以前も述べたが、この場所が、秋田駅より南に所在する東警察署の管轄というのは、かなり遠い。(これも繰り返しだが、交番・駐在所は不在のことも多く、さほど頼りにならないと考える。頼りになるのは警察署)
上記の通り、以前は秋田署管轄だったのだからなおさら、そんな感情が地域にあったかもしれない。今回の所管替えは、歓迎されるのではないだろうか。
【25日・地域との関わりについて追記】「交通安全協会」は、通常、警察署単位で組織されるが、秋田市の場合は、秋田臨港地区交通安全協会と秋田地区交通安全協会の2つで、中央署・東署発足以前の状態で継続している。したがって、本件では変更はないと思われるが、その「支部」は変わるかもしれない。
一方、「防犯協会」は詳細は不明だが少なくとも「秋田市臨港」と「秋田市東」が存在するようなので、本件で変更がありそう。
また、市立旭川小学校では、新たに学区内で所轄署が分割されることになる。なお、秋田東中学校は以前から2署にまたがる。外旭川小・中は臨港署とごく一部が東署だったのが中央署に変更。

【26日・現時点での泉交番の所管区も掲載しておく】
高陽青柳町、高陽幸町、保戸野千代田町、保戸野鉄砲町、八橋(字イサノに限る。)、八橋イサノ一丁目・二丁目、八橋大沼町、八橋大畑一丁目・二丁目、八橋新川向、八橋田五郎一丁目・二丁目、八橋鯲沼町、八橋三和町、泉(字登木に限る。)、泉北一丁目~四丁目、泉菅野一丁目・二丁目、泉中央一丁目~六丁目、泉南一丁目~三丁目。
「特例区域10」として秋田市寺内字イサノ133番地1先から同市寺内字イサノ137番地1先までの市道臨海秋操線の区域。



以前、疑問を呈した、中央署大町交番との兼ね合いは解消されないようだ。
泉に隣接する保戸野桜町は、泉交番エリアに食い込むように大町交番の所管。今回の移管でそれが顕著になる。距離的には、泉駐在所、泉交番、外旭川交番、手形交番、秋田中央署のほうが近く、ここが大町交番である必要はないと思うし、こここそ泉交番所管に替えるべきだと思う。

最後に、秋田市内3警察署(+鉄道警察隊)が相まみえるポイント。本件でこれが変更となる。
泉外旭川駅外旭川側の歩行者自転車道

たぶんこう分かれる。歩行者道端・水路中央がそのポイント
4月以降は、左前方も中央署泉交番所管になる。

では、新しい三つ巴ポイントは?
「平和公園」の区域の定義がよく分からないので断定はできない。
そして平和公園のふもとでは、途中から、全域が東署旭川駐在所エリアである濁川地区になる。したがって、東署エリアの西端は旭川駐在所になる。
おそらく平和公園の北側(山の中~横金線の南側のどこか)で、中央署泉交番、臨港署外旭川交番、東署旭川駐在所が相まみえることになろう。

【3月18日追記】秋田市の「広報あきた」3月18日号で、東署から中央署へ変更になる地域があり、その地域では各種行政手続は中央署担当となることが告知された。
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泉駐在所の場所と所管区

2021-12-23 23:16:00 | 秋田の地理
幸町交番が移転して泉交番になったが、その近くにはすでに泉駐在所が存在していて、ややこしいことになるのではないかと心配している続き。この後、2022年4月には心配はおおむね解消されることになりました。以下はそれ以前の内容のままです。詳細は末尾の追記参照
※泉駐在所は秋田東警察署、幸町交番→泉交番は秋田中央警察署の管轄だが、署が分割される2005年まではどちらも秋田警察署であった。
 
秋田市長行事予定によれば、今日23日に、泉交番の開所式典が挙行されたはずだが、報道は未確認。秋田県警公式サイトに泉交番の存在は未掲載で、Googleマップも未反映。
しかし、秋田県警察本部のツイッター(@akita_mamoru_ai)では、23日17時09分にアップされた。
23日から、移転先で業務を行っているらしい【直下の24日付追記参照】
それにしてもこの投稿。まず、「秋田中央警察署」を付けなくていいのだろうか。これではなおさら、泉駐在所との区別があいまいになる。
あと、移転によって、交番の担当エリアが変更になるのではと思う人もいる(ここにいます)。その点の言及もほしい。何も書いてないから、変更なしなのでしょうね(所管区については後述)。
さらに、高陽幸町を「高揚幸町」と間違えている。18時20分になって、指摘する投稿をしている人がいるが、(ツイッター担当であろう県警本部の)業務終了後のためかそのまま。
【24日追記】24日10時18分になって「【※訂正】先日ツイートした内容に誤字がございました。訂正して再ツイート致します。」として、高揚幸町の投稿を削除、10時23分に高陽幸町で再投稿している。ツイッターの仕様上、投稿済みの内容を編集できないから、この形にしたのは分からなくもない。
そんなことより、このツイートでは23日から移転先で業務しているように読めた。しかし、24日付秋田魁新報秋田市地域面の報道では「きょう24日の午後1時から8人体制で業務を行う」とある。ほんとに秋田県警は広報が下手。
【28日追記】その後、28日までに中央警察署のホームページも更新。「泉交番が運用になります!」として24日13時運用開始がやっと公式発表(「運用」の語を用いるのね)。交番一覧のページを見て初めて、電話番号は幸町交番と変わらないことが分かった。


ここから本題。今回は、前からある泉駐在所のことや、各交番・駐在所の担当エリアについて。
地理院地図に加筆
警察署の出先機関である「交番」と「駐在所」の違いについて。ご存知のかたも多いが、混同している人もまた多いと思われる。混同している人にとっては、泉駐在所=泉交番と認識させかねない。
交番は、複数の警察官が配置され、交代で勤務する(それでも警察官が不在で交番相談員がいたり、施錠されて無人だったりすることもある)。
駐在所は、1人の警察官が住み込みで勤務する。秋田県警など一部では「警察官駐在所」が正式な呼称。
警察内部の通称では、警察署はPolice Stationの略で「PS」、交番はPolice Boxで「PB」。では、駐在所はなんと呼ぶのか、調べても分からなかった。英語では「Residential police box」だそうだが。

駐在所に配属される警察官は、最近は独身者のケースもあるそうだ(秋田県は不明)が、基本的には妻帯者を家族ごと住まわせ、警察官ではない妻にも業務の一部をしてもらうという。
自営業者でもないのに職住が同じ場所。誰が何しに来るか分からない警察の窓口に、一般人同然の人を置いておくことにもなる。休日だったり、担当地域から外出したりしても、その間にエリア=自宅で何かあったらと思うと気が休まらないかもしれない。
近年では、警察官どうしで結婚した夫婦を駐在させる場合もあり、たしか秋田県警でも行っている。この場合、警察官2名体制になって心強いが、夫婦同日に休むのが難しいだろうし、ワークライフバランス的に難があるかもしれない。
警察官の仕事はどれも大変だが、その中でも、駐在所勤務は負担が大きいのではないだろうか。ひとりでのんびり仕事できていいという人もいそうだけど。

ドラマで「駐在さん」などとして登場するのは、離島や山村の駐在所だから、いわゆる田舎にしか駐在所がないと思いきや、そうではないところにもある。全国的には、市街地にあえて駐在所を設置することもあるとWikipediaに出ているが、秋田ではそういうのは知らない。
しかし、もともと農村部だった地域の駐在所が、気が付けば宅地化された結果、こんな町なかに交番でなく駐在所があるのかと、驚くところはある。それが泉駐在所。


秋田市の泉地区は、秋田市中央部の北側。
現代の感覚では住宅街。位置は新国道や奥羽本線にはさまれ、寺内、八橋、外旭川、保戸野と接する一帯を泉と認識する市民が多い。町名では、泉北、泉中央、泉南、泉菅野と泉字登木。全域が幸町交番→泉交番の所管区内で、泉小学校と泉中学校が所在し、その学区域。
赤く囲った辺り

一方、奥羽本線の反対側にも泉を名乗る一帯がある。外旭川と旭川(河川としての旭川、その対岸に旭川地区)に接する位置。
泉東町、泉馬場、泉三嶽根(みたけね)、泉一ノ坪、泉釜ノ町。それに平和公園・天徳寺が大部分で人はあまり住んでいないと思われる、泉字五庵山、泉字三嶽根。
ここが、泉駐在所の所在地(泉一ノ坪)であり所管区。所管区はさらに東、旭川対岸をさかのぼった北方向へ広がる。
こちらの通学区は、番地で区分されて(町内会の区切りかもしれない。選択制ではない)旭川小・秋田東中または外旭川小・外旭川中。

秋田市の「○○地区」の呼称や、7つの地域分け(東西南北、中央、雄和、河辺)は、おおむね小学校区が基準になっている。したがって、中央地域の「泉地区」としては、泉交番側、泉小学区のみを指す(上の地形図の赤囲み)のだろう。泉駐在所側は、北部地域の外旭川地区と東部地域の旭川地区に分けられてしまうはず。
線路両側の地名に「泉」が付くところすべてを泉地区とする、広義の解釈もできるが、おそらく秋田市では使っておらず、地元住民にも違和感がありそう。

狭義の泉地区は、戦後しばらくまでは一面の水田。昭和40年代以降宅地化され、今に至る。泉小学校は1979年、泉中学校は1981年開校。
それ以前は、泉駐在所がある付近が、人が住む泉だったようだ。そこがかつての「旭川村」の中心地だったかもしれない。明治時代のうちに泉村→下旭川村(手形、保戸野、泉)→旭川村と変遷し、昭和8年までに全域が秋田市になっている。
【24日補足】秋田市立旭川小学校サイトの沿革によれば、同校の前身の一部として、明治時代の一時期、旭川村に「泉小学校」が存在していた。100年近く経ってから、少し違う場所に同名の学校ができて存続している形。

県道233号で保戸野側から泉踏切を越えると、県道が左、市道が右にV字に分岐する。そのVの一帯が、古くからの集落。
今は、新しく引っ越してきた世帯も多いであろう民家が建ち並ぶ県道沿いに、その民家の1つのようにして、秋田東警察署泉警察官派出所がある。
奥は平和公園の山

奥に泉踏切越しに秋田工業高校が見える
栗を横にした形の「駐在所」看板は、片側だけ色が薄れている。

そんな土地なので、昔から泉村・旭川村の駐在さんとして親しまれているのだろう。歴史は長いはず。でも、ずっと同じ場所にあったのかと言えば、そうではない。
1971年の地形図を見ると、現在地の東、手形へ行く道の旭川橋の通り(後に道路拡張されている)にあった。今、JAの産直がある付近。1985年の地形図では記号がどこにもない。
秋田市が定義する泉地区ではない所に泉駐在所があるのは、地域の歴史をたどれば、当然とも言える。そんな所を差し置いて、別に泉交番を作ってしまうのは、失礼な気もするし、繰り返すがややこしい。


では、この付近の各交番・駐在所の管轄地域(所管区)を地図に示す。
「秋田県警察の組織に関する規則」から作成。平和公園付近など不正確です
ここらでは、奥羽本線にかかる町は、線路の北・外旭川側が町名境界。したがって、線路や泉外旭川駅の駅舎・ホームなどは、外旭川などでなく保戸野~泉中央~泉菅野に属する。したがって、秋田中央警察署の所管となる(鉄道施設内は鉄道警察隊も関わるでしょう)。
泉に接する保戸野桜町は、意外にも大町交番エリア。明らかに泉交番、もしくは泉駐在所のほうが近い。ここに限らず、保戸野地区の大町交番エリアや千秋地区の秋田駅前交番エリアでは、交番よりも中央署本署のほうが近いのだけど。【23日追記・歓楽街川反にある大町交番の所管区の隣が「駐在所」エリアであるというのも、意外というか不思議な気分。】

東署泉駐在所と中央署泉交番のエリアが、直接接する部分(図中赤と緑の線)はわずか。泉外旭川駅の駅前広場(地下道出入口)の端から東方向の歩行者自転車道の泉釜ノ町と泉菅野二丁目が接する部分。500メートルほど。

泉交番は、秋田中央警察署所管区の北端。そして泉駐在所は、秋田東警察署所管区の西端。
これらより北・西側は、秋田臨港警察署エリア。臨港署側の交番は将軍野交番と外旭川交番。

ということは、泉外旭川駅の外旭川側って…
再掲)今はここが外旭川駅前広場

現在。上の写真右側から左方向を撮影。右が線路
線路と並行する自転車歩行者道付近より線路側が、秋田中央警察署(泉交番)所管。
線路と反対側では、階段室(地下道出入口)の向こうでは、秋田東警察署(泉警察官駐在所)所管。
階段室より手前が秋田臨港警察署(外旭川交番)所管。

まさにここが、秋田市内にある3つの警察署が相まみえる、唯一の場所なのだった!!
ここで死体が見つかったら、鉄道警察隊も含めて4組織が関わるのだろうか。


泉交番という名前に苦言を呈したが、それ以前に泉駐在所がこのような環境に存在するのは、時代に合っているだろうかとも考えてしまった。
泉駐在所所管地域は、昔に比べれば人口が激増し、アパートも多い。駐在所の1人の警察官で回って把握しきれるのか。そこへ平和公園にクマが出たとか、交通量も増えた道路での事故のような出動もあるだろう。
もちろん、本署のほか、近隣交番が応援することはあろう。でも、隣であっても中央署や臨港署をからめるのは、警察という組織の都合もあるだろうし大事件でない限り難しいだろう。東署の北隣も旭川駐在所(ここも秋田市旭川の地名とずれていて所在地は濁川)だから、応援は難しそう。本署は上北手で近くない(そもそもここは東署より中央署管轄であるべきでは?)。頼りになるのは手形交番か。
県警察と秋田市に関係はないが、地域や学区の一体感の点でも、警察やその出先機関の所管エリアや体制を見直す必要があるかもしれない。

※その後、2022年4月に、上記の問題がおおむね解消されることになった
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幸町交番 移転改称

2021-12-21 19:40:48 | 秋田の地理
時折触れてきたように、秋田中央警察署の幸町(さいわいちょう)交番が、泉外旭川駅前へ移転することになっていた。
秋田県警察本部の交番は建物の老朽化により、近年、建て替えられるものが多いが、それと同時に移転するケースもある。秋田中央警察署大町交番も2017年12月18日に川反の中で移転しているが、管轄地域内の住民への事前説明もなく、ひっそりと夜逃げのように移転していた。

幸町交番は老朽化のほか、泉外旭川駅開業で人の動きが大きくなった場所への移転という意味合いもあるようだ。
例によって県警からの積極的な告知はなく、移転することは秋田魁新報や秋田建設工業新聞で軽く伝えられた程度。あとは県議会の議事録を検索して、現地へ行ってみないと情報がない。


まずは移転前の幸町交番。
所在地は高陽幸町(こうようさいわいちょう)14番33号。新国道(県道56号)の「高陽幸町」交差点西側の狭い市道に面して建つ。
右が交差点。パトカーは2020年度導入「MAZDA2(旧デミオ)」のようだ
交差点北西角は、いとくなどが入るショッピングモール「新国道モール」。その敷地に交番が食いこむ立地。交番の東隣はメガネ店、裏はモールの通路と駐車場(仕切りがあって行き来できない)、西隣はドラッグストアの側面。

新国道モールは2008年6月オープン。それ以前は、秋田いすゞ自動車があって、幸町交番はその時代からあった。いすゞ時代から、交番はこの建物でこの位置にあったのだと思っていたら、少し違った。
建物は1977年築の鉄骨モルタル造で、アスベストが使われていた(2009年始頃に除去)とのこと。古さは見れば分かるけど、もうちょっと古そうにも見える。正面2階だけ茶色いタイル張りなのがアクセント。ちなみに、移転前の大町交番は1979年11月開所時からの建物だったようで、幸町交番より若干大きかった。
新国道モールを造るに当たり、土地のやり繰りが生じたようで、数メートル建物を曳き家しているのだそうだ。

1977年開所【24日追記・末尾追記の新聞報道によれば1964年開所】なのだと思うが、当初は「秋田警察署幸町派出所」だったはず。1994年以降に全国的に「交番」になり、2005年に秋田中央警察署が発足。
竿燈の絵入りの看板。「秋田警察署」を隠している
ただし、幸町交番の管轄地域は、竿燈まつりの会場に近いものの、会場一帯は管轄外。管轄内に竿燈に出る町内はある。

交差点北の新国道には「幸町交番前」バス停があるわけだが、名称はどうなるか。
【2022年8月31日追記】幸町交番前バス停は、2022年10月から「高陽幸町交差点前」となることになった。変更前後の状況

ここで幸町交番の名前について。※高陽地区について過去の記事
所在地の高陽幸町から「幸町」を取ったことになる。高陽幸町は1966年に成立しているが、それ以前から「幸町」と呼ばれていたようではあるが、交番の名前にしてはピンポイント。
秋田市内のほかの交番の名前と比べると、大町、山王等々、大字レベルの地名を冠するものがほとんど。ここだと「高陽交番」のほうが無難そうなのになぜ幸町にしたのだろう。【24日追記・交番は1964年開所であることが分かった。その時点では高陽幸町がなかったのだから、幸町交番になったのは当然。納得。】

幸町交番の管轄地域は、高陽地区に留まるわけではない。
秋田中央警察署の各交番の管轄地域(所管区)は、ホームページに出ていない(秋田東警察署は載っている)ので困りかけたが、「秋田県警察の組織に関する規則」で明確に定めて公表されていた。秋田県例規集や県警サイトで見ることができる。
それによれば、所管区は、高陽全域、保戸野の一部、八橋の多く、泉(線路向こうは除く)。近いのに、旭北や山王は一切含まない。
秋田中央警察署エリアの最北の一帯で、交番所在地は所管区の南端近くに位置する。



さて、移転先。
泉外旭川駅の線路の西というか南、泉地区側。駅前からバス通り【24日補足・泉いちょう通り】に出る押しボタン信号の向かい側。小さい市道との角地。泉北(いずみきた)三丁目5番10号だと思われる。

以前は2階建ての建物があり、「ジーエス・ユアサ バッテリー」の看板を掲げた、ユアサ電池サービス株式会社 秋田営業所があった。同社が移転後、解体して更地にされ、新たに建築された。
移転距離は、直線で北北東へ1.2キロ、道のり(車では難しい最短経路)では1.6キロ。
ここも幸町交番の管轄地域であり、他の交番、さらには他の警察署のエリアとも隣接するため、その兼ね合いから、所管区の変更はないと思われる。所管区の北西端近くに位置する。

建築現場をしばらく見ないでいたら、
手前左(背後)が泉外旭川駅、左奥が保戸野方向
すっかり出来上がっていた!

周りに店やマンションなど目立つ建物が多い中、2階建てで黒っぽい色、特に保戸野側から来るとインカーブの先に交番側面がちょっと見えるだけなので、存在が埋没してしまう。
保戸野側から。マンションの物置みたいなのにも隠される

交番の建物は、2辺とも道路際ギリギリにが建ち、玄関は角地ならではの角。駐車場は建物裏側で、バス通りから直接出入りできない。
新しい交番裏。右が駐車場。真向かい奥が泉外旭川駅前広場
交番といえば、建物の前、道路に面してパトカーが置かれているのが当然の光景と思いがちだが、ここはそうではない。近年新しくなった秋田臨港警察署将軍野交番も、裏側が駐車場なので、秋田県警ではこだわらないようだけど、迅速かつ安全な緊急出動の点では大丈夫なんでしょうか(例えば狭い道の除雪が後回しにされ、出動に難儀する可能性もある)。


では、新しい交番の名前は?
高陽幸町でない場所に移るのだから、「幸町交番」のままではおかしい。改称はされると思っていた。

20日・月曜日時点では、引っ越し前で中は空っぽだったが、その少し前の時点で名称を含めて交番の表示は出来上がっていた。先週初め頃では、旭日章(警察章)だけ隠されていたようなので、その時点では工事中で引き渡し前だったか。
現状では、稼働中の交番と勘違いして、助けを求めたり自首しに来たりする人がいかねない。「交番」の赤い看板くらいは隠しておいたほうがいいと思うのですが…

その名は…
「秋田中央警察署泉交番」
玄関の上に、ヒラギノ角ゴシック体で、警察署名に続けて同じ文字サイズで表記される。前例がない表示かも。

ということで「泉交番」らしい。当然でしょと思われるかもしれないが、個人的には泉交番はないと思っていた。
「泉外旭川駅前交番」も予想としてはあり得たが、これもないと思っていた。泉外旭川駅は、駅の両側が対等な関係なので、反対の外旭川側と混同されそうだから。
所在地から「泉北交番」はピンポイントだし分かりづらい。「(泉)菅野交番」だと、地名と数十メートルずれてしまう。

所在地の大字レベル「泉」から泉交番と命名されたことになるが、どうしてそれはないと思っていたかと言えば…
秋田市内にはすでに「泉駐在所」が存在するから。【その後、2022年に泉駐在所が廃止されることになった。以下の内容は廃止以前のものです。詳細は末尾リンクの続きと、さらにその続きの記事参照】

秋田東警察署の管轄だが、線路の反対側の泉一ノ坪にある。今は学区なども異なるものの、もともとは同じ1つの「泉」。今回、線路沿いを歩いて移動してみたら、泉交番から泉駐在所まで20分かからなかった。
泉駐在所の表示。秋田県警では「警察官駐在所」が正式名称
「交番」と「駐在所」は同じではないものの、並列される施設。署は違っても、同じ市内の近い位置に同名の交番と駐在所が所在するのって、とてもまぎらわしくないだろうか。
この理由から、僕は「泉交番」はまずないと考え、新交番の名前の予想が、とても難しかったのだが。結果は安易な命名だった。

交番と駐在所を同一の施設ととらえてしまう一般人もいるはず。自分の居住地を担当する交番・駐在所がどこか知らない人もいるだろう。泉駐在所が泉交番に移転・改称したと勘違いする人もいそう。そんな中、ネット地図に間違って登録されたり、違うほうに電話や来訪してしまったりする恐れは充分にあると思う。それらにより、初動が遅れてしまう事態さえ、起きないとは言い切れまい。
※私見だが、特に市街地で生活する時、交番・駐在所はそれほど頼りにならないと思う。不在だったり人員が限られていたりするから。警察へ用がある時は、警察署本署(秋田中央警察署や秋田東警察署)や警察相談ダイヤル#9110、本当に緊急なら110番通報するべきと考える。

県議会の議事録を調べると、2021年2月の秋田県議会の教育公安委員会の段階ですでに、県警から議員へ泉交番の名前が報告されていた。駐在所との重複については、特に話に出ていない。
県警職員も、県議会議員も、あとは公安委員とか警察署協議会員みたいな警察以外の地元住民も誰一人、既存の泉駐在所へ思いを馳せることができなかったのだろうか。


泉交番の名称は、秋田県警やマスコミから発表・報道されていない。
そのため、名称変更や移転の発表があると、せっかちな誰かが早急に登録を変えてしまうGoogleマップも、さすがに未登録。「泉交番」で検索すると、秋田東警察署泉駐在所や、仙台市の泉警察署泉交番を表示する。
でも、現地に堂々と名前を掲げているのだから、本決まりなのだろう。
泉駐在所のほうを、廃止や名称変更する可能性もなくはないけれど、ないだろう。

実は、現地や議事録を見る前に、ネットで泉交番の名前を見つけた。これが議事録以外では唯一のネット掲載だろう。先週末更新の秋田市役所サイトの秋田市長の週間予定。23日・木曜日に「泉交番開所式典」が開かれると出ていた。
大町交番移転時は、12月18日に移転先で業務を開始し、開所式は翌年1月22日だった。
そんなわけで、幸町交番→泉交番の移転日は予想がつかない。大町交番同様、今回もコソコソと移転してしまうのだろうか。交番は地域住民に存在を知ってもらってこその交番。やはり秋田県警(または秋田中央警察署)の広報・周知が足りない。

そしてやはり、泉駐在所と泉交番が共存するのは、まずいと思う。泉駐在所のほうについて、続く

【24日追記】24日付秋田魁新報地域面によれば、開所式は16人が出席、24日13時から8人体制で業務開始。新交番は木造一部2階建て約194平方メートル。総事業費1億4700万円。
ちなみに、大町交番は開所式に22人出席(コロナ流行前)。木造一部2階建て約224平方メートル、土地取得費も含めた総事業費約1億1500万円。所属する職員は所長を含めて11人。

【2022年2月7日追記】幸町交番は、移転後も看板が掲げられたまま空き家で年を越した。2022年2月7日に通ると、仮囲いされ、解体工事が始まっていた。
【2024年1月18日追記】解体後の土地は、(建物の裏表が逆転して)新国道モールの一部となり建物が建ち、2023年12月25日にヘアサロン「Agu hair Leia ITOKU新国道店」がオープン。
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歩行者用道路規制 少し短縮

2021-12-07 18:05:59 | 秋田の地理
高陽青柳町の矛盾した道路標識が解決したのと、関連はないがいっしょに発注されたかもしれない(施工業者は同じ)、交通規制の変化があった。同じ秋田中央警察署館内、隣の保戸野地区。
千秋トンネル通り(一瞬だけ県道233号の区間)に秋田保戸野郵便局がある。この記事の通り、狭い市道をはさんだ隣に2018年11月にセブン-イレブン秋田保戸野原の町店がオープンしたが、2020年8月で閉店・解体し、2021年時点でも更地。また、郵便局は平成初期頃までは、同じ通り・同じ側の今より東側にあった。

今年の春頃か、保戸野郵便局に行くと、ドアやATMコーナーに、車での来局者向けの注意書きが貼られていた。
郵便局に向かって右側には、旧セブンとを隔てていた狭い市道がある。郵便局の駐車スペースは、建物の前から右奥にかけて逆L字型。つまり角地に位置するため、車での出入りは、正面の県道と右の狭い市道のどちらからでも可能な構造。
ところが、その張り紙が言うには、右側の市道は自転車歩行者専用規制区間であるので、お客様が市道側から駐車場へ出入りすることはできない。正面から出入りしろとのこと。
現場を見てみると、市道側から出入りできないよう、コーンが並べられていた。

これまではそんな厳しいこと言ってなかったし、コーンもなかった。
2020年10月のGoogleマップストリートビューより。右のセブンは閉店後・解体前

交通規制されていることを示す道路標識が、市道右側の電話柱に設置されていた。
秋田市街地の通学路や住宅地に多い、古いタイプの標識で、補助標識は手書き。補助標識は元から分かりづらい言い回しであり、それが経年で取れたり、後年更新分と整合性がなかったりしているものも多い(過去の記事)。ここは無傷で、「自転車及び歩行者専用」に「歩行者用道路」「指定車・許可車を除く」「7.30-18」。つまり、昼間は沿道関係車両以外は通行できない。
ここの道路がこの形になったのは、千秋トンネル開通の頃かと思われるので、40年は経っている。
2017年7月。右はセブン以前にあった月ぎめ駐車場
でも、標識の設置位置が微妙。
電話柱は、県道と市道の接続部から10数メートルほど奥まった位置にある。これでは、その手前、つまり郵便局の駐車場(と旧・月ぎめ~セブン)の出入口の所は、ギリギリ規制区間外とも受け取れる。

道路標識の古さから分かるように、これまで何十年もそれでやってきたのに、突然、厳しくなった。どこかから郵便局に対して、苦情が出たのか。たしかに地域住民の生活道路・通学路に、沿道の店の客の車がちょこちょこ入りこむのは、危なくはある。

ところが、今年秋頃だと思う。
標識がなくなった
電話柱の標識も、局内の張り紙も、駐車場と市道を隔てるコーンもなくなった(コーンはポストの後ろに寄せられた)。

この市道に入って50メートル進むと、右(東)方向からさらに狭い市道が交わる。そこに、
新しい標識!(↑上の写真奥にも見えている)
今までは何も付いていなかった電話柱に、2方向向き計3セットの標識が付いた。

「自転車及び歩行者専用」の補助標識は「歩行者用道路/7:30-18」とシンプルに。2方向に指定方向外進行禁止が設置された。
「歩行者用道路」というのは、補助標識に示すことができる「規制理由」として、全国的に見られる。指定車表記がなくなり、規制区間内住民うんぬんも設置されなかったが、沿道には多くの家があり、それらの車は当然通るから戸惑う人がいるかもしれない。同時期に設置された高陽青柳町との一貫性もなく、これではシンプルすぎて説明不足の気もする。
地理院地図に加筆。道幅は実態と一致しない。赤が規制区間、青が今回対象外になった区間
これはつまり、自転車及び歩行者専用の規制開始地点を、従来より道路奥方向に移設した(=規制区間を短縮した)ことになる。
これだと、郵便局の駐車場は市道からも問題なく出入りできることになる。
となると、張り紙して駐車場を厳しく囲っていたのは、「危ないから」ではなくて「交通規制に従わないといけないから」という遵法精神によるものだったのだろうか。

また、これまでは東方向から狭い道に入りこんだ車は、ここが規制区間であることを示す標識を見る機会がなかったが、今回の設置によってはっきりと分かるようになった。
一方で、今回規制から外された区間を通ることにより、旧・セブン&旧・たばこ会館の交差点を避けて西方向~北方向を合法的にショートカットできることになるので、その目的での通行車両が現れてしまうことはあり得るかもしれない。
これほどの変化だと、地元住民の同意も得ているのだろうし、地元の人が問題ないと考えるのなら、これでいいのでしょうけれど。

実は郵便局の駐車場は、市道側よりも、正面の県道からの車の出入りが、少々危ないと感じている。
車の途切れた瞬間を狙って出入りしたり、駐車場と歩道の境目があいまいで駐車区画もあいまいなので、車が不規則な動きをしたりすることがある。保戸野小学校だけでなく秋田大学教育文化学部附属学校の通学路でもあるし。


さて、この規制区間は、上の地形図の赤い線の通り、郵便局側から北方向へ200メートルほど続く。今回50メートル短縮されたから150メートルか。
この道路は江戸時代から存在していたようで、県道233号の旧道の旧道に当たるはず。かつては農家だったであろう広い敷地の民家もあり、微妙にカーブした線形も、外旭川当たりの農村部の道路を連想させる。
北側の規制区間入口
北側入口の標識は今回は未更新。かつて郵便局横にあったのとほぼ同じで、補助標識は規制時間以外薄れて判読不可能で、順番も違う。カーブミラーよりも高い位置に設置されている。

ここは小文字のy字のような交差点で、他の2方向はいくらか広い程度(センターラインはない)で、車の通行量は少なくない。
右が規制区間。左奥=東方向が旭川・千秋公園、解体された商家もあった
これが県道233号の旧道。現・県道「原の町通り」は1985年に開通しているが県道指定時期は不明(案内標識の記事)。
そんなわけで、かつてはここを、路線バス神田線・添川線など(市営バス時代、中型バス)が行き交っていた。知っていても信じられない。
旧道よりも、今回取り上げた旧旧道のほうが、曲がる回数が少なくて距離も少し短いはずで、抜け道にしてしまう運転者がいてもおかしくないが、交通規制の効果か昼間見る限りでは皆無。歩行者・自転車は、旧道よりも安全に通行できるはず。
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ふぞろいの案内標識たち

2021-11-15 23:16:23 | 秋田の地理
「方面及び方向」の案内標識(108系)について、1986年以前の旧仕様と、ピクトグラムについて取り上げてきた。今回は、文字での案内。
まずは前回の記事で、港のピクトグラム紹介に使った、土崎の秋田市道のものを再掲。
(再掲)

旧仕様の卸町の秋田市道も。
(再掲)

表示された箇所の地理を知る人は、違和感がないでしょうか。一部の地名の順番に。土崎の右折側「能代 飯島」、卸町の右折側「湯沢(改行)大曲」。
反対に地理を知らない人がこれを見たら、それぞれの地名の位置関係をどう感じるか。能代、湯沢のほうが、それぞれの設置地点から近いように受け取るかもしれない。

実際の表示地点からの距離(近さ)は、飯島→能代、大曲→湯沢の順。これは、「遠い地名のほうが左/上」に表示するという決まりがあるとのこと。


次に、市外の自治体名(他の市町村)ではない、市内の地域名の表示について。前々回から触れているように、選択基準が謎だし、一貫性もない。
現実としては、カーナビや地図などもあり、案内標識だけを頼りに移動する人はとても少ないはずだが、そうする人がいたとすれば、この標識たちでは頼りにならない。例えば、県道233号・泉踏切方面から西へ進み、秋田市八橋地区を目指すとしたら…
(再掲)生鮮市場の交差点(前々回のC地点)
2つの交差点をまとめたイレギュラーな表示だが、八橋へは2ルートあることが分かる。

左折したとしたら、
(再掲)附属中角のY字路(前々回のA地点)
ここで右折、秋田市道「保戸野学園通り」に入る。

学園通り最初の十字路。保戸野みその通り~泉いちょう通りとの交差点には、案内標識がある。現行仕様でやや大型のものなのだが、その柱の、通常は「秋田市」など管理者名が表示された部分が変わっている。
「秋田市」の下に
標識の諸元というべきか、情報が記載されている。管理上便利そうだけど、どうしてここだけ?
それによれば「型式 F-2型」。Fというのは見たままの柱の形を意味するようだ。標識板は2400×2500、設置年月は平成17年3月=2005年。

表示内容は、
2400×2500の通り、正方形に近い不思議な比率
八橋が消えた! 標識のみを頼りにすれば、ここでゲームオーバー。
これまでなかった地名や道路ばかりが記載されている。大町、土崎、泉、県道56号(新国道)は、いずれも妥当。前々回の繰り返しだが、県道233号の標識になかったのがおかしい。
あと、やはり山王や県庁市役所はあってもいいと思う。土崎へは、ここを直進して新国道ではなく、右折して泉地区を市道で抜けて新国道へ出るように誘導している。
だけど、直進の「高陽」。これは意表を突かれた。

高陽は、秋田市の大字レベルの地名の中では、マイナーかつ狭いエリア。それでも、高陽幸町、高陽青柳町と言われれば認識できる秋田市民は多いはずだが、「高陽」だけ抜き書きされるとピンとこないかも。
ここの次、400メートル先の新国道に出る所が「高陽幸町」交差点で、越えれば高陽地区ではある。こんな近くになってから書かれても、今さらなのでは。

その高陽幸町交差点にも案内標識。
こちらは横長サイズ
ここにも「高陽」。ここでも土崎を案内し、左折方向にはやっと山王、そして茨島。いずれにしても八橋はなし。


生鮮市場の交差点に戻って、今度は直進したとする。次が前回の絵入り標識の交差点。
【12月14日画像追加。この標識は作り直されていたが、表示地名は以前と変わらず。】
写真がないが、大町、川尻/山王、土崎の記載なので、早くもゲームオーバー。

大町と書いてあるほうへ左折すると、泉いちょう通りで、上記の学園通りの交差点だが、こちら側には案内標識がなく、その先を直進し続けても、標識なしに竿燈大通りへ出てしまう。

川尻/山王へ直進すると、次が新国道へ出る「新川向」交差点。ここは標識あり。
小さめだけど文字が多い
ここは地名が充実している。「八橋」も復活!
直進は、川尻、山王、寺内、八橋の4つ。高陽幸町交差点では左折方向にあった山王が、ここでは直進。この点は後述。
左折は茨島に秋田駅も。県庁市役所はない。高陽は、この交差点の左前という位置関係で微妙なためか、なし。

という具合に、道路管理者の違い、設置時期の違いはあるにせよ、記載する地名が統一されていない。道案内をするのならば、突然、地名が消えるような一貫性のない標識では意味がない。
新川向交差点の向こう側は、市道「八橋大通り」。そちら側にも案内標識がある。
文字やや少なめ
右折もしくは直進にあってもいい「秋田駅」はなし。
向こう側では、ここから見て背後方向に案内されていた「山王」が右折側に。高陽幸町交差点と同じ方向。どちらも間違いではない。山王十字路とか山王地区東側へは右折だが、市役所など山王の中央~西なら背後方向とも言える。
そんなことを考えれば、「能代」など市外の自治体名、秋田市中央地区での「土崎」など同じ市内の遠方のエリア名は問題ないが、近いエリア名を表示する時は難しい場合がある。地名に対応するエリアが広範囲な場合は、ドライバーの認識する地点と一致しないこともあろう。
それを思えば、あまり近すぎる地名は表示せず、施設名などピンポイントなものにするべきかもしれない。ここらでは、山王、八橋よりも「県庁市役所」「八橋運動公園」などと。

もう1つ、上の標識の右折の順番が「茨島 山王」なのは、冒頭で示したルールにより、遠いほうから表示しているのだろう。では、直進の「保戸野 泉」は。
交差点向かい側が、もうそれらの境界。左(北)が泉南一丁目、右が保戸野千代田町。したがって、泉と保戸野の距離は同一。保戸野のほうが主要な地名との判断かもしれないが、市民の認識と一致するだろうか。ここは地理に合わせて「泉 保戸野」が適切かもしれないが、上記の通り、こんな近くを記載する必要があるのか。
旧国道の八橋一里塚付近では「通町」と、公式には現存しなくなった地名(現行では保戸野通町として存在)を表示してしまっているが、それとか、大町、手形、天徳寺などがいいのかも。やはりその先の標識との連携が必要ですが。

以前、通学路など生活道路において、住民以外の車の通行を禁ずる補助標識の言い回しが統一されていないことを取り上げた。案内標識でも似たようなことになっていて、統一される日は当分来ない予感がする。


ここまで紹介した、現行仕様の案内標識の文字は、写研「ナール」。秋田県や秋田市では、正式に規定されてナールなのか、国にならえのデファクトスタンダードでナールなのかは分からない。
その一方、非統一なのが標識板のサイズ。その場所にそのサイズ・形の必要があるのか。
さらにナールの文字サイズもまちまち(文字の太さ=ウエイトは同じと思われる)。前回の初期のものはデカかったが、近年のは板や余白を踏まえてももう少し大きいほうが見やすい気がするが…
1990年代中頃設置だろうか、秋田市立体育館の裏側、八橋パブリ付近の市道では、
文字が横長。ワープロ専用機の横倍角みたいな
↑右が「八橋」とされているが、直進も八橋(八橋大通り)だし、ここらがすでに(左手前を除いて)全部八橋だ。左側はすでに「寺内」だし。
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秋田市道の案内標識

2021-11-04 00:07:18 | 秋田の地理
秋田市道に設置された、青い「方面及び方向」の案内標識から2題。
前回の大学病院からまっすぐのモミジバフウの道。大学病院から南進して「秋田大学付属病院」交差点で県道28号を越えると、すぐに「大学病院入口」交差点。その手前に設置されているもの。
前回の記事の写真とほぼ同じです

標識を拡大
直進は狭い道だから細線で何も書いていないのはそれでいいでしょう。
右が東口でも西口でもない「秋田駅」なのも、この地点ではそのほうが適切だと思う。

大きな問題は左折の「大平」って何?
「太平」でしょ!

一般人はそのように誤変換・誤記することがたまにあるが、秋田市の主要な地域名を、秋田市役所が間違えるのはいただけない。
ただし、点の部分だけカッティングシートがはがれてしまった可能性もなくはない。Googleストリートビューでは2012年時点でこうなっていたけど。
対処としては、白いペンキかテープを貼り付ければ、ごまかせそう。


さらにもう1点。交わる左右の道が県道28号になっている。
上記の通り、現在の県道は1本手前の交差点で交わっている。その道ができる前は、こちらが県道だったので、古い内容のままということだろう。

旧道が県道でなくなったのがいつかは分からない。今の県道の新しい道は、1994年頃に開通したのではないかと思う(広面小南交差点の信号機の製造年から推測)。とすれば25年も放置されているのだろうか。


また、左折して、さらに右折したところに、2015年に秋田市東部市民サービスセンター「いーぱる」が開所している。
現状では、手前の電柱に広告の形で誘導案内が出ている(こういうのって広告費がかかるの?)。どうせなら、いーぱるを案内標識内に記載しても構わないだろう。

そして、この進行方向で手前の現・県道と交わる秋田大学付属病院交差点のところには、案内標識は未設置。病院に来た不慣れな運転者もいるだろうに、広い道を通り過ぎて旧道まで来てから案内したのでは遅い(リカバーは可能な道路形状だが)。
やはり、手前の県道交差点に新たに案内標識を設置するのがベターではないだろうか。



もう1つは、楢山の太平川近く牛島寄り。一方通行の「牛島橋」バス停先の交差点の案内標識が、2012年時点でこんなものだった。
(再掲)読めない
国道13号、楢山、登町と、なんとか解読できなくもない。でも、設置場所がすでに楢山本町と楢山南中町の境界で、1つ隣が楢山登町なので、あんまり意味がない案内かも。

その後、Googleストリートビューによれば2015年8月から2019年9月の間に、ついに標識が柱ごと新しくなった。小さめの板だけど、この場所にはふさわしい。
【5日訂正】ストリートビューを見直したところ、先(2013年12月=独自に確認 から2015年8月の間)に柱はそのまま標識だけ新しくされ、その後(2019年9月までの間)で柱を新しくしていた。標識は同じものと考えられるが、旧柱では見慣れぬ金具を介して吊り下げていた。
バス停表示板と信号機も新しくなった


13号のほか、仁井田、卸団地、大町と妥当か。でも考えてみれば、13号に出るのは、卸団地方向からでも可能だ。以前の標識は、太平大橋(1978年3月完成)・古川添交差点がつながる以前、右から卸団地へ行かれない頃に設置された可能性があるので、左しかなかったのだが。

そして、卸団地の英語(ローマ字)が「Oroshidanchi」なのはいかがなものか。
(再掲)国道の案内標識で卸団地は…
国道や県道、さらに古川添の南の市道でも、英語で「Wholesale Area」となっているのですが。

ここも、今となっては裏通りに成り下がってしまい、案内標識の必要性は疑問。撤去だけで良かったかもしれない。
古い案内標識について続く
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本道の東 境田と推子

2021-10-30 20:26:07 | 秋田の地理
1回目から3週間経って、新型コロナウイルスワクチン2回目接種を受けた。
重くなるかもしれない副反応に備えて、選挙の期日前投票を先にしておいたが、幸い、おおむね1回目同様に経過。1回目では肩こりと混同したけれど、やはり、翌日にそれとは違う重い感じやこめかみ辺りの軽い頭痛があった。

秋田市の集団接種会場・秋田大学医学部体育館会場での流れもほぼ変わらなかったが、若干の違いも。
・最初に入って待機する体育館前の仮設テントは、西向きに開いているのでこれからの季節は寒い。
・接種してくれる医師(入口に所属氏名が表示されており、今回は5室とも附属病院の人)はお忙しいかたが多かったようで、最初2人しかいなくて若干流れが悪かった。前回あった「ただいまから開始します」宣言はなし。
・今回もチクッとしただけだったが、前回よりやや強いチクッだったような。
・前回は、接種直後の次のカウンターで渡されたタイマーが、今回は接種室で看護師から渡された。前は実際には15分+1分程度かかっていたのが、今回はほぼジャスト15分に短縮されたことになる。
・前回AAB「相棒(再)」がかかっていた経過観察場所のテレビは、今回はABS「ミヤネ屋」だった。なお、その時のAABは「その男、副署長(再)」。
・誘導方法が若干変更されていたり、あるいは黄色い服のスタッフのやりかたの個人差もあるようで、前回と違って立って待つ場面があったり、椅子に詰めて座らされたり(間違ってやってしまった感じ)、前回ほどこまめに椅子を消毒していなかったり(問題ないでしょう)。


帰りのバスまで時間つぶし。前回は医学部敷地内北側を見た。それと本道キャンパスの由来や周辺について
前回、体育館(仮設テント)前に、切り株から生えたひこばえが、盛大に枝葉が繁茂した木を見つけた(1回目接種の記事に画像)。ケヤキかと思っていたが、近くで見たら違った。
まだ紅葉していない柔らかな葉

ケヤキの樹皮ではない
複葉で枝にはトゲがある。ハリエンジュ(ニセアカシア)だ。
根本から幹が2本に分かれていたのが切られたようだが、ニセアカシアとしては大木だったことだろう。
この木を端として、体育館(=仮設テント)の南辺に沿って、サクラとともにニセアカシアが数本生えている。ここが整備された50年前に植えたのだろうか。秋田市内のニセアカシアは勝手に生えたものばかりで、植栽されたのは珍しいが、やせた土地でも生長が速いので選ばれたのだろう。花はきれいだし。

以前の通り、体育館の東隣がテニスコート、その南が駐車場。駐車場のテニスコート寄りを東へ進むと、外に出る門があった。
門の名前はなく、車が通行する部分は閉まっていた。
門右の木もハリエンジュ
例によって、門の前(=厳密には大学敷地内)で喫煙する大学関係者らしき人物がいた。秋田大学に限ったことではなく、弘前大学等でも同様だが、敷地内全面禁煙の結果、近隣住民・通行人に受動喫煙させている。

南方向。この道路沿いが大学敷地の東辺
以前の通り、秋田大学医学部=本道キャンパスの敷地は、2つ(実はもう1つあるので後述)の所在地にまたがっている。西側が広面字蓮沼、こちら東側が柳田字糠塚(ぬかづか)。
医学部東辺と柳田字糠塚の東辺は一致しているので、この道路が境界。
上の写真左、東側は柳田字境田(さかいだ)。学生向けアパートもなくはないが、戸建て住宅のほうが多い。昔、小型バスが来ていた境田団地。

反対の北側を見ると、
左はテニスコート、グラウンド
家がまったくない。
少し進んでテニスコートとグラウンドの境付近
舗装された道路は、門のすぐ先で右・東方向へ曲がり、その道の南側(上写真手前)は引き続き家が並ぶ(新しめ)が、北側はほぼない。東へ曲がった舗装路も小字の境界で、つまり境田団地はその名の通り、字境田地内のみに建っている。
道路より右が字境田
直進してグラウンド方向(門などはなし)へは狭い砂利道。30キロ制限の道路標識が立ってるけど、砂利道用?
舗装路より北、家がない砂利道側は、柳田字推子。初めて聞く小字だが「すいこ」と読む。
柳田字推子は実は医学部敷地内にもかかっていて、ちょうどグラウンド部分。南のテニスコート、西の糠塚宿舎は、字糠塚。

推子は、中国語では「バリカン」の意味だそうだが、ここの由来は何だろう。
また、秋田市内には、広面字推子という場所もあるのだった。遠くはないが、隣接はしていない。
場所は手形山団地の南。秋田大学手形キャンパス裏の鉱業博物館~太平山三吉神社・市立広面小学校の間は、手形山の南端。その山の中。多少人家はあり、以前「徐行SLOWSTOP【31日訂正】」の道路標識を見つけた所。
住居表示実施前の手形山西町、手形山南町も広面字推子だったが、そうだとしても柳田字推子とは接しない。間は住居表示未実施なので、昔と変わっていないと思う。微妙に離れた2つの「推子」が不思議。


さて、医学部北東=柳田字推子は、地形図では一面の水田と記されていた。それとグラウンド内から見た時は、太平山の本山が木に隠れて見えなかったが、外からは確実に見えると思われた。実際は、
こんな景色
太平山はよく見えるが、見通しは悪い。手前はススキやセイタカアワダチソウ。休耕田か耕作放棄地か。
この日は雨が降り出しそうで空一面雲だけど、太平山がくっきり見えた。写真では分かりづらいが、紅葉で山が赤く色づいている。晴天なら美しいことだろう。

舗装路を少し東へ進むと、
ようやく田んぼがあった


ここでも「ひこばえ」。ただ、稲の場合は、「稲孫、穭(ひつじ・ひつち・ひづち)」「再生イネ」と呼ぶらしい。知らなかった。
稲刈りから1か月以上経っているわけで、その間にこんなに生長している。しかも、穂まで再度出した株も。実が入っているかは分からないけれど。
もっと進めば、田んぼが開けるはずだけど、接種直後の体とバスの時刻があるので、門内へ戻った。地域の人だろうか、車や散歩でちらほら人は通るが、見通しが利かない場所もあって山も近く、クマが出そうでちょっと怖くもあった。

全希望者を対象に3回目のワクチン接種が行われることが確実になった。8か月の間隔を空けるとのことだから、3回目もここで受けられて来たとすれば、その時は五月雨に若苗が青々とした光景が広がっていることだろう。
※3回目も医学部会場は設けられたが、僕は西武秋田店で受けました再訪は2022年11月の4回目接種
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秋田市「本道」

2021-10-14 23:00:48 | 秋田の地理
前回の続き。秋田大学医学部(附属病院含む)のある敷地は「本道(ほんどう)キャンパス」と称される。その名前について。

秋田大学の他のキャンパスは、本部や医学部以外の「手形キャンパス」、附属学校・園のある「保戸野キャンパス」。
部外者の秋田市民には、手形キャンパスは充分通じるが、保戸野キャンパスは大学というより「附属学校の場所」という固定観念により通じづらいと思うが、「保戸野にある秋大の施設」と考えれば連想できるだろう。
そして本道キャンパス。市民は「医学部」や「大学病院」と呼ぶことが多く、やはり通じづらいが、「本道にある秋大の施設だから」という理由では納得しないことだろう。今回の秋田市によるワクチン集団接種会場も「秋田大学医学部体育館」の名称が使われており、本道は出てこない。
なぜなら、秋田市に「本道」という地名は存在せず、大学が自分で命名した名前だから。

2017年と2018年の春に、秋田魁新報で「秋田市裏ガイド」という連載(新国道について関連記事)があった。その2018年第5回で取り上げられて、はっとさせられた。
Wikipediaの秋田大学の項でも、それを出典として説明がある。医学部設立時に、初代学部長になった人が論語からの引用、あるいは漢方医学で内科を意味する「本道」を由来として、命名したとのこと。

国公立ばかりか私立も含めて、このような命名法のキャンパスは、珍しいのではないだろうか。ほかに例があれば、教えてください。
でも、考えてみれば、公立小中学校では、漢文から引用するなどして地名と関係ない学校名を持つものが、全国的にわりとあるようだ。「明倫」とか秋田市立小学校にもある「日新」など。
ならば、国立大学のキャンパス名が地名でなくても、おかしくないし責めることはできまい。分かりづらく覚えづらくはあるけれど。


ただ、本道はそれだけではない。
キャンパス名のみならず、大学側が、医学部の所在地名として「秋田市本道」を名乗っているのだ。しかも「本道1丁目1の1」とかいう丁目と住居表示もどきの番地まで付けて。
「キャンパス名を命名した」だけでなく「地名も命名した」ことになり、それも正式な地名ではない。
秋田大学ホームページより
地図から読み取れば、正式な所在地は、附属病院部分(看護師寮【15日訂正・今は学生寮になったようだ。大学ホームページの一部が未修正】は除く)が広面字蓮沼、それ以外の医学部敷地が柳田字糠塚。糠塚宿舎は柳田字糠塚なので、正しい命名(どうせなら本道宿舎にすれば良かったのでは)。【30日追記・一部は柳田字推子という地名にもかかっている。この記事参照
医学部敷地内に2つの大字があるのだった。広面(ひろおもて)は著名だが、柳田はマイナーな大字。医学部を南西端とし、東と北側に広がっている。東は柳田字柳田の集落があって、バス停名にもなっているが、北は裏手の山や、さらに向こう秋田自動車道太平山パーキングエリアのさらに北まで続いている。

秋田建設工業新聞社「住まいの情報誌 かだん vol.31(2012年新春号)」の「秋田市 街並み探訪 シリーズ4 本道地区」では、キャンパス名は論語由来としているが、「「医学部と附属病院の住所を統一することで、新生医学部のイメージづくりを考えたい」という大学の想いから生まれたもの。」ともしている。
広面キャンパスとか柳田キャンパスとすることに、ためらいもあったのかもしれない。


大学ホームページでは、秋田大学全体(上画像)、大学院医学系研究科・医学部、どちらも「〒010-8543 秋田市本道1丁目1の1」とするとともに、手形キャンパスの所在地は「秋田市手形学園町1番1号」でと番地の書き方を変えている。附属学校・園も「保戸野原の町○番○号」。
本道だけ、正式な番地ではないから、さすがに「1番1号」にはできないということだろうか。

附属病院の所在地は、大学全体や医学部のホームページでは、医学部と並べて本道1丁目1の1にある書きかた。
一方、附属病院自身のホームページでは「〒010-8543 秋田市広面字蓮沼44-2」としている。また、病院隣接地に2010年に建った「本道40周年記念会館」内の「レストランはすの実」は、蓮沼からの連想とのこと。附属病院は、正式な所在地名も意識しているみたいだ。※レストランは2024年で閉店


郵便番号はいずれも010-8543。大口事業所が使うことができる、専用の個別郵便番号をもらっている。日本郵便ホームページで検索すると「秋田大学医学部附属病院」「広面字蓮沼44番2」に割り当てている。
個別郵便番号は、住所を書かなくても届くので、実在しない地名でもあまり問題ではない。けど、本来附属病院に割り当てている郵便番号を、隣とはいえ学部も使ってしまっているのは、どうなんだろう。郵便局にその分の仕分けをさせているのでは。
個別郵便番号制度ができる前は、郵便局は半ば善意で本道1丁目1-1の郵便物を配達してくれていたのかもしれない。昔は、「世田谷区 フグ田サザエ様」だけで、長谷川町子先生にファンレターが届いたそうだけど。

Google検索でも、医学部は本道、附属病院は蓮沼として表示される。Googleマップで地名を検索すると、そのエリアが赤枠で表示されるが、本道一丁目などで検索するとさすがに迷うようで、医学部周辺をなんとなく表示する。
秋田市役所のサイトでは、防災関連の緊急連絡先の1つの附属病院を「本道一丁目1-1」とするなど使用例がある。今回の秋田市ワクチンポータルサイトの接種会場は「秋田大学医学部体育館 〒010-8543 秋田市広面字蓮沼44-2」と、附属病院の所在地を書いているが、上記の通り体育館は柳田に所在する。住居表示や地名を管轄するのも秋田市(防災や保健所と部署は違うけど)だから、厳格かと思ったらこんなありさま。


秋田県立図書館ホームページで、秋田魁新報の過去の見出しを検索した。
医学部開設2年目の1971年12月31日付朝刊に「郊外だが「本道一丁目」/秋大医学部の新住所名/医に由緒ある名称/立派過ぎ、市から注文も」。
20年目の1990年5月30日付朝刊には「名実ともに本道になりたい/秋田市が認めず既に市民権獲得/秋大医学部の居住表示」。
これらから判断すれば、命名時も、その20年後も秋田市としては、本道をあまり快く思っていなそう。21世紀に入った今はどうだろう。


本道だけならまだしも、なぜ一丁目1番にしたのか。
政治家を中心に、重要な政策を「一丁目一番地」と呼ぶことを2012年に取り上げた。最近はあまり言わなくなったかな。
その時調べたら1980年代には使われていた言葉。医学部設立時はまだ早そうで関連はないのか。まあ、1の1の1だと印象は悪くはない。
何よりもおかしいと思うのが、一丁目1-1があるのなら、一丁目2以降や二丁目以降がないと、付番した意味がないのでは。

時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」で、2006年の本道キャンパスを見たら…
「本道二丁目」???
「手形山東町」と同じ書きかたなので、地名として扱っているのだと思う。現在の地理院地図では、丁目は「中通(一)」とカッコ書きだが、当時はこの表記。また、この時点ではすべての町名が表示されるわけではない。
位置的には自称・本道一丁目だが、大学側でも命名していないはずの二丁目。国土地理院であっても間違うことはあるけれど、二重に間違っている。どういう経緯で間違えたのか不思議。


冒頭の通り、秋田市民にはほとんど浸透していない「本道」だが、大学以外の第三者が借用した使用例が、少しだけある。
「大学病院前アカデミータウン本道の街」。
秋田市の不動産会社・山王土地による宅地開発分譲地。同社サイトによれば、1973年に「大学病院前アカデミータウン」として分譲を始めたようだが、2002年には「大学病院前アカデミータウン本道の街」になっている。
地名は柳田字川崎(と広面字谷内佐渡?)。場所としては、医学部グラウンドから見えた、医学部敷地東隣の境田団地のさらに東側、県道との間。「大学病院前」というより「医学部隣の隣」。

「本道の街ショートステイセンター」。
アカデミータウン本道の街の中にある高齢者施設。1978年に太平地区で創立した社会福祉法人が、2011年にオープン。

「本道プロムナード」。
キャンパス南辺の、大学病院正面の交差点より東側(立体駐車場~学部側)の市道の向かい側に沿って、遊歩道(以前は医学部関係者の“喫煙所”にされてしまっていたが、今はどうでしょう)、水路、自転車歩行者道(2011年に道路標識のことを取り上げた)が続いている。その遊歩道の名前らしい。現地で看板など見た記憶はない。
(再掲)西端。草木の茂る部分が遊歩道。左方向が本道キャンパス
水路までが医学部と同じ柳田字糠塚、自転車歩行者道から南側は広面字糠塚と、大字は違うが小字は同じ。
この水路は、地域の人たちが手入れしていて、ホタルが生育する。
2003年度には秋田市から整備資金が出たようで、「広報あきた」No.1551には「秋田大学医学部前の本道プロムナードの小川の整備」とある。「秋田市の環境 平成18年度 調査結果報告書」には、2006年に小学生が水生生物調査を「本道プロムナード脇水路」で行ったとある。
2011年撮影。2004年付の看板
問い合わせ先は秋田市環境部で、名義は「大学病院前の水辺環境を守る会(愛称:ホータル会)」。遊歩道と水路は別物ということもあるかもしれないが、本道プロムナードは出てこない。
その他ネット上にも、本道プロムナードの名はほぼない。広報にも載ったのだから以前は秋田市も関知していたのだろうが、2010年代以降は使われなくなったのだろうか。
そもそも遊歩道の管理者も分からない。そんな意味では、仁井田・大住、秋田南高校裏の「ぽかぽかオレンジロード」と似た感じか。

そんなわけで、実態としては秋田大学がほぼ独占的に使っている「本道」。
しかし、上記1990年の新聞見出しでは、本道が地域に定着し、さらにそれを正式な地名にしようという動きがあったものの、秋田市が認めなかったように読める。今よりも、市民に本道が浸透していたのだろうか。
医学部設立から50年、1990年から30年経ち、学部設立から街ができていった過程を知らない住民が多くなったことだろう。憶測だけど、本道への思い入れが消えつつあるのではないだろうか。
そしてそれは、秋田大学側でも同じかもしれない。
本道がもっと広く認知されて使われれば、地域のイメージ確立とか、大学と地域の一体感を醸成できるという効果がありそうだが、その機会は逃してしまったのか。

前回触れた通り、医学部周辺は設立後短期間で目覚ましく宅地化された。
それに追いつかなかったのか、一帯の地名、広面や柳田は住居表示未実施のまま。※かつて広面だったエリアでは、北の手形山や南の東通など、改称・住居表示化された箇所もある。
同じ頃に宅地化が進んだ泉地区では、1998年に実施済み。広面が取り残されているのはおかしいかも。
1990年から30年も経って秋田市の考えも変わっているかもしれない。改めて大学や地元町内会が、住居表示未実施で不便なことと合わせて秋田市に陳情すれば、「本道」が正式な地名になるのも夢ではなさそうな気もする。
各方面への根回しが必要かもしれないし、実現しても、医学部が一丁目1番1号になるとは限らないけれど。

ワクチンを受けに行って、3回も記事にしてしまいました。
市の集団接種のほか職域接種も秋田大学医学部で行われ、合わせれば秋田市内で最大の接種会場となったはず(県による大規模接種会場を設けずに済んだのは、このおかげなのかも)。それは秋田大学が提供してくれたからにほかならない。感謝します。
※さらに続いて2回目接種、敷地外東側の光景はこちら

【16日追記】弘前大学の場合。
弘大も、医学部と附属病院だけで1つのキャンパス(弘大では正式には「地区」と呼称)を使っている。地名の本町(ほんちょう)から「本町地区/本町キャンパス」だが、専有であるため秋田同様「医学部」「大学病院」のほうが市民にも他学部関係者にも通りがいいと思う。
一方で、学内の一部では「医地区(いちく)」とか「本町医地区」と呼ぶこともある。
医学部以外がある「文京町地区」については、略なのか間違いなのか町を抜いた「文京地区/文京キャンパス」としている例もネット上(大学生協関連が多い感じで、大学公式サイト内にも散見)で見られる。【2022年3月5日補足・東奥日報と陸奥新報のサイトで、それぞれの記事中での表記を検索すると、両紙とも「文京町キャンパス」と「文京キャンパス」がおおむね半々程度の割合で混在していた。地元紙がそろってこれではいただけない。】
また、以前も触れたように、文京町地区は市道で南北に分けられていて、それぞれの所在地から「文京町1番地地区」「文京町3番地地区」と呼称することが、少なくとも25年ほど前の大学事務局では行われていた。
【22日追記】忘れていた。弘大医学部も、複数の町名にまたがっていた。
本町に所在するのは、医学部附属病院と保健学科など学部の一部の施設。学部の多くの施設は在府町に所在。また、弘大では附属病院看護師寮(研修医も使うようだ)が現役で敷地内にあるようで、そこは相良町(さがらちょう)。なお、弘前本町郵便局は相良町にある。
本町キャンパスは、大きい道路に附属病院(と保健学科)が面しており、その背後=在府町に医学部がある立地。市民に分かりやすいよう、敷地の正面の町名を採ったのだろう。
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本道キャンパス北側散策

2021-10-12 23:40:04 | 秋田の地理
秋田大学医学部でワクチン接種を終えて、バス時刻まで時間つぶし。
考えてみれば、大学病院前バス停以外で秋田大学医学部の敷地(本道キャンパス)内に入ったのは、今回が初めて。大学病院の中にも入ったことがなかったので。
あと、大学の体育館の中に入ったのも初めてだった。学生時代、体育実技を履修しなかったので。
(再掲)地理院地図に加筆
上の地形図の通り、体育館は敷地の北東寄り。北東角はグラウンドなので、糠塚宿舎以外では、体育館が敷地内のほぼ最北にある主要な建物のようだ。
※糠塚宿舎は、医学部以外の職員でも入居できる大学共通施設なのかと思っていたが、宿舎の駐車禁止看板は医学部長名。

附属病院は敷地南西側で、南が正面。体育館付近は、病院の裏面や医学部本体の施設。そして駐車場が多くて広い。
附属病院来院者向けは、南側に駐車場(一部立体)がやはりたくさんある。北側は全部平面で職員用らしい。職員の多さと福利厚生の手厚さがうかがえる。構内通路(20km/h制限)も充分な広さはあるが、集団接種会場という特異な状況では、前回の通り車列ができるなどちょっと危ない。

体育館と(接種者駐車場への)通路をはさんだ西隣の建物。
明確な表示は見当たらなかったが「本道会館」。大学生協の食堂や購買部が入る。
左前が「DINING HONDO」、右奥が「medicoco(大学の案内図にもメディココと表記あり)」との看板が出ていたが、秋田大学生協のホームページにはそれらの名前はなく、「本道食堂」「本道店」となっている。
なお、附属病院正面隣に2010年にできた、レストランなどが入る「本道40周年記念会館」とは別物。ローソンやスターバックスも附属病院内にあり、生協は学部関係者向けに特化していそう。

店をのぞいて飲み物でも買おうかと考えたが、基本的には組合員=学生・教職員用の施設だし、このご時世、さらに医学部という敷居の高さもあってやめておいた。

店の前には、飲料自動販売機が2台。大学生協オリジナル・地域限定飲料「コーちゃん・ウーちゃん・プーちゃん」があるかと期待したが、生協管理なのになし。ナショナルブランドの飲料ばかりで、若干安い(弘前大学生協の自販機も同じ状況だった)。※自販機は体育館玄関前にもあり。

さらに西、車両出入口方向。

敷地の北西~北は、低い山が迫っている。北東方向は水田が広がる。
山のふもとをたどり水田地帯へ続く道路(一部未舗装)はあるものの、そんな環境なので敷地北辺には門がないようだ。ただ、道路に面した糠塚宿舎と医学部敷地内を、徒歩で行き来できる通路はあるかもしれない。
山は、秋田大学手形キャンパスの裏手の手形山、さらに太平山など出羽山地とつながっているから、ツキノワグマが出没してもおかしくない気もする(目撃情報はあまり聞かない?)。

上の写真のように、車両出入口のすぐ横に、6階建ての集合住宅が建っている。一直線でない形で、スターハウスを想像させられるが、これは一辺1世帯ではないし「へ」の字型。敷地の形に合わせた結果だろう。
糠塚宿舎前バス停付近からでも、この建物の端はかろうじて見える。これまで、これがバス停名の由来の糠塚宿舎(糠塚官舎)だと思っていた。

ところが、これは糠塚宿舎ではなかった。「看護師宿舎本道寮(女子)」とのこと。糠塚宿舎はこの北東の隣接地に、普通の直方体で4棟ある。本道寮は道路・宿舎との間がフェンスで囲われている。バス停は「宿舎前」より「宿舎入口」だ。
【15日追記・本道寮について】「看護師宿舎本道寮(女子)」の表記は、大学ホームページのキャンパスマップにそう記載されており、Googleマップも同じ。しかし、大学ホームページの他のページには、手形寮(女子)、西谷地寮とならぶ「学生寮」として本道寮が紹介されている。実際に、学生向けの案内資料があり、1999年4月開設としている。おそらく、もともと看護師寮だったのを、学生寮に変更したのだと考えられ、キャンパスマップが未修正(かなり経つが)なのだろう。2003年には、3年制だった医療技術短期大学部が、4年制の医学部保健学科に改編されるので、学生数が増えることを見据えての対応だったのだろうか。


体育館前へ戻って、その裏・東側へ。
体育館北東角。対角線上が入口。左にテニスコート、背後にグラウンド
体育館の東にテニスコートがあって、その北にはグラウンドがある。体育館側からグラウンドの南寄りには、マットや鉄板が敷かれており、ここも駐車場に使うのか、工事しているのか。体育館の正面に、ワクチン接種とは関係ない看板があった。
年季が入った看板
「大型タンクローリー走行路につき」駐停車禁止。よく分からない。

グラウンドから南方向。テニスコートと建物群

グラウンドから北西方向
↑左が体育館。向こうが駐車場で、接種者の車がたくさん。その奥の針葉樹の中に四角い建物が少し見えているのが糠塚宿舎。念願の(?)糠塚宿舎の姿を拝めたが、敷地内からでも見づらいのか。

グラウンドから北東方向
↑高い塔はいずれも敷地外、左は携帯電話用だろうか電波塔で、その他は送電線用。低い建物は敷地内の電気設備。
電気設備・電波塔のある所が、大学敷地の北東角。右の木々が東辺で、その外に道路があるが、ネットと段差があって出入り不可。外は水田ばかりかと思ったが、住宅も迫っている。2016年まで、小型バス駅東線が来ていた境田団地の北端。
送電塔と木の間に見えるのが、太平山の山並み。太平山の本山はこれより右側なので木に隠れていて、グラウンドや駐車場の奥に入らないと見えない。
太平山や田んぼがもっと見えたら、この土地らしい雰囲気がすることだろう。秋田駅東側から見る太平山はぐっと大きく感じられるものだ。
この程度、見学して帰りのバスに乗った。
YouTubeより
YouTubeには、2020年9月3日に大学により「ぐるっとまわろう!秋田大学ドローンツアー「本道キャンパス」」がアップされていて、上記施設の位置関係がよく分かる。
上の画像は正面南側からの撮影で、「VERS」と「A」の間が体育館。「SITY」とその右がグラウンド。



秋田大学の医学部は1970(昭和45)年設置。
当時の医学部周辺は、宅地がなく田んぼが広がっていた。そればかりか、医学部の施設自体も未完成の状態。附属病院は1971年設置だが、その時点では千秋公園東向かい、今の秋田県立循環器・脳脊髄センターの場所にあり(県立中央病院を移管したもの)、現在地移転は1976年。

南木佳士(なぎ けいし)氏は、その2期生だそうで、自身の経験を踏まえた小説「医学生」において、当時の状況が描写されている。本を読んだことはないけれど、高校生の時、進研模試の国語の問題文として読みました。
大学院医学系研究科・医学部のホームページ内、「本道40周年記念会館>秋田大学医学部・附属病院 Photo Archives(https://www.med.akita-u.ac.jp/about/40years_photo_archive.html)」で、当時の写真を見ることができる。
その中に、昭和47(1972)年度の「医学部建物配置図」もあった。敷地の輪郭から今と同じ形なのが分かるが、すっからかん。南側に一部の校舎、そして北側には「職員宿舎」が3棟、機械室、福利厚生施設、体育館。その程度。
つまり、糠塚宿舎のうち3棟、本道会館、体育館は、本道キャンパス最古の建物ということになる。

時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」で見ると、
1971年改測
この時点では宿舎も未完成だったのか描かれていない。
それにしても、附属病院正面の広い市道ができているだけで、今は家がびっしりの、西~南側も一面の田んぼ。広面小学校も移転前(谷内佐渡から1976年に移転)。
1980年代後半には、かなり宅地化が進んでいたと記憶するから、この後10年少しの間で目まぐるしい開発がされたことになる。


ところで、本道キャンパスの「本道」の由来について続く。さらに敷地外東側の風景はこちら
コメント (4)
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古地図に成和中

2021-10-02 23:26:36 | 秋田の地理
10月1日の秋田市広報「広報あきた No.1994」に「あきたおさんぽマップ」なるものが紹介されていた。ネット上で観光に関した地図を見られるもので、公益財団法人 秋田観光コンベンション協会所管。

アクセスしてみると、既存のサイト「秋田市観光・イベント情報総合サイト アキタッチ+」の中にあった。https://www.akita-yulala.jp/pickup/5000023535
観光・飲食や文化財のマップ、そして古地図が見られる。前2つは、紙やPDFでも見られるだろうが、ブラウザの画面上でズームやドラッグ(スワイプ)してあちこち移動できるのがいい。

そして古地図は、操作性も同じだが、よそでは容易には見られない貴重なものだと思う。
2つあって文政4(1821)年のものと、昭和26(1951)年のもの。個人的には後者がおもしろい。
当時の秋田市役所が発行し、秋田市立中央図書館明徳館が所蔵する「秋田市街全図」とのこと。

「時系列地形図閲覧サイト 今昔マップ」では、秋田市は明治(1912年)の次は1970年代まで飛んでしまっているので、抜けた終戦直後の時期を見られる。
今昔マップのように、新旧の地図を左右に並べての比較はできないし、そもそも縮尺が地形図のように厳密ではない。【4日補足・奥羽本線北側~羽越本線が、実際より急カーブで描かれているので、南北方向が圧縮されているようだが、東西方向も正確ではないと思う。】
ただし、画面下の「SWITCH」ボタンを押すと、現在のマップの大まかに同じ位置に切り替えることはできる。全面的に信用しないほうがいいでしょう。
その現在の地図は「mapbox」という地図サイトのもののようで、見慣れない地図サイトではあるが、総合的には見やすい。しかし、なぜか神社の表示が控えめな傾向があって、例えば太平山三吉神社の位置には何も文字が表示されない。

秋田市街全図は、秋田駅を地図の上部中央に配置(つまり東が上)し、北は添川、港北小学校、秋田港、南は二ツ屋潟(今の秋田南高校の場所)、新屋駅(他の駅は漢字なのに「あらや駅」と表記)、日吉神社が範囲。
ざっと見て、
・誤記と思われるものもいくつか。外旭川村(当時)の「梶ノ目」を「梶ノ月」、「雄物新橋」が「雄物川新橋」、牛島西の「三皇熊野神社(本宮)」が「三吉神社」。

・雄物川放水路河口の両岸(南のももさだ海岸のほか、北の割山側も)に「海水浴場」がある。→現在は遊泳禁止。離岸流などで危険。
・割山の海水浴場のすぐそばと、現・勝平小学校付近に「入植住宅」。→海水浴場は後の(初代)秋田空港、現・空港跡地付近。冬は厳しかったことだろう。
・工場や学校などがある「茨島」の地名表記がない。当時もあったはず。
・国道7号、13号がなく、牛島~茨島~新国道が「国道第五号線」とされている。→現在の国道番号になったのは、発行翌年1952年だった。当時は東京~福島~山形~秋田~青森が5号だったらしい。一方、今は7号である酒田街道は10号(東京~秋田)だったそうだが、記載はない。
・千秋公園の東向かいに「国立秋田病院」がある。→後の時代に秋田県立の病院ができ、秋田大学医学部附属病院創設時に代役を務めたりいろいろあって、県立脳血管研究センター等、今は県立循環器・脳脊髄センターになったわけだが、その前には国立病院があったってことか? 国立病院は厚生労働省管轄で、由利本荘市道川には古くからあり、今は「国立病院機構あきた病院」。
・その国立病院の隣、今「秋田県総合保健センター」の場所に「進駐軍宿舎」。→当時はまだ占領下か! 占領は翌1952年4月28日まで。隣の「コスモポリタン」ってのも関連施設?
・その他、今はなくなったり名前や場所が変わったりした施設が多数。

さて、今はオフィス街・官庁街の山王。
秋田県庁が移転した1959年時点で、周りは田んぼだったそうだから、この当時も当然。エリア名としての山王さえまだなかった。
今の山王十字路付近
山王十字路は西側がなく丁字路(昔は「八十刈(やそがり)」と呼ばれていたと聞いた)。赤い線は秋田市電。
田んぼの中に高陽(こうよう)中学校と旭北小学校が隣り合う。

位置は今の市立山王中学校、市立旭北小学校の場所。道は異なり、細かい市道がなく、国道(現・県道)から一直線だったのか。
以前記事にしたように、戦後・1947年に新制中学校ができた時、秋田市中央部(と東部の一部)には5つの中学校ができた。しかし、それらは短期間に終わり、1953年に秋田東、秋田南、山王の3校に再編されて現在に至る。

山王中は、高陽中と成和(せいわ)中の2校が統合して創立されたことは、山王中の沿革でも明示されている。
しかし、前身2校についての情報は、ネット上には極めて少なく、正確な創立日や所在地も分からなかった。
身内に高陽→山王の移行期に在学していた者がおり、高陽中の土地と建物がそのまま山王中になったことは聞いていた。成和中については何も知らないとのことだった。いつか図書館ででも調べようと漠然と思っていたが、この地図に高陽中が載ってるということは…

「成和中学校」発見!
国道5号を南へ進んで、旭川を渡って(表記はないが旭橋)、今の茨島交差点の南側(「旭橋通」とある)、書いてないが国道10号に入ってすぐ。国道に面している。
今、ハローワーク秋田に入っていく交差点角のパチンコ屋の辺りだ。
【3日画像追加】地理院地図を東が上に回転。赤い★が成和中跡と思われる位置。道路の線形はあまり変わっていない

(再掲)左が秋田大橋方向・右が山王方向。このもうちょっと左辺り?

(再掲)奥が秋田大橋方向。この枠外・右か?
成和中の裏手には「商業学校」もある。
秋田市立秋田商業高等学校の前身の「秋田市商業学校」らしく、同校沿革に1946年から1957年まで「茨島校舎」だったとある。その後、八橋校舎(現・サンライフ秋田等)を経て、1978年から現在地。

ここは1983年まで秋田経済大学(下北手へ移転し、秋田経済法科大→現・ノースアジア大)があったことは、知っていた。前身の秋田短期大学が1953年に開校した時から、この場所だと思われる。
ということは、元々は秋田市の土地で、成和中廃止&(短大と数年重なるが)秋商移転後、秋田短大へ譲渡されたのだろうか。また、ここの北側、国道(臨海バイパス)沿いには、今も市立茨島体育館と秋田市教育研究所があり、それも名残りなのかもしれない【3日追記・体育館と教育研究所は「県工業指導所」の跡にあるようにも見える】。

臨海バイパスといえば、この地図当時は、それも未開通。旭川の秋田運河合流点手前に架かる、新旭橋もない。工場は建ち並んでいたが、道は川で終わり。
今は住宅も多く、山王中学区である茨島~卸町も、多くが未開発。
となると、成和中の学区は、今で言う旭南、川元、川尻が中心で、みんな旭橋を渡って通学していたのだろう。


長年の疑問が解決した。
ついでに、他の3中学校も探してみた。手形中、久保田中、泰平中。
泰平中は、今の南通亀の町付近、これは秋田南中の創立地(1978年に現在地へ)である、楢山南中町(みなみなかちょう)の現・楢山緑地と秋田市楢山地区コミュニティセンターの場所だ。
ちなみにここは、上記秋田市商業学校の創立地でもあり、茨島移転前まで所在したことになっているが、戦時中~終戦直後は募集停止していたとのこと。

久保田中は、話には聞いてた。秋田駅の真ん前。今の中央通りに面しており、公営駐車場~いろんなビルがある辺りか。
その向かい、現・秋田市民市場付近までは「秋田南高校」。と言っても現・秋田南高校ではなく、現在の県立秋田高等学校のこと。1948年~1953年の間だけ、秋田北高に対して南と称し、1962年に現在地へ移転。
久保田中と手形中が統合して発足した、秋田東中には同窓会のホームページがあって、合併前の両中学校のことも紹介してくれている。
駅前の久保田中校舎は、帝国陸軍歩兵第17連隊の兵舎を改造したもので、1948年4月完成。1947年4月の開校から1年間は校舎がなかったようで、明徳小学校を本校、保戸野小学校を分校としていた(借りていたということ?)。

手形中は、現・秋田東中の場所かと予想したが、地図に載っていない。
これも同窓会ホームページに詳しい。
やはり1947年4月の開校時点で校舎がなく、旭川、広面、添川、藤倉の各小学校校舎を借用していた。添川小、藤倉小は後に閉校。現存する旭川小、広面小は、この地図にも載っているが、どちらも場所は今と違う。
1950年に「現在地に校舎落成」となっている。現在地とは秋田東中の現在地のことでしょうから、やはり予想通り。地図発行の前年だから、掲載が間に合わなかったのか。


終戦まもなく、まだ占領下。土崎以外は空襲の被害がなかったとは言え、この程度は町並みが形成されていて、その地図も作られていたのは、当然なのかもしれないがどこか不思議な感じもしてしまう。
また、国土地理院が作った厳密な地図よりも、緩さというか地元目線というか、生活感があるようにも感じ、楽しく眺められた。
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泉横切歩道橋 工事

2021-08-11 00:14:12 | 秋田の地理
前回の幸町交番前バス停(新国道モール)付近の新国道こと県道56号・土崎方向行き向きに、今、こんな看板が立っている。
「注意 高さ制限4M」
この先、泉・八橋(やばせ)にある歩道橋の工事をやっていて、高さが制限されていることの予告。
歩道橋をはさんで反対側、「操車場入口」交差点手前の山王方向行き向きにも、同じ看板がある。

だけど、この看板、どこか変じゃありません?
恒例の揚げ足取りで恐縮ですが。
右から声に出して読んでみましょう。

「泉横切歩道橋」、「いずみ おうだん」じゃない「よこぎり ほどうきょう」?

「横切歩道橋」という言葉は知らない。
工事中なのは「泉横断歩道橋」が正式名なので、「断」を「切」と間違えたと思われる。

なぜこう間違えたのか。原稿が手書きでうっかりか。
パソコンで漢字変換したとすれば、「横断」を変換できないわけがない。
何かの事情で「断」を単独で変換する必要があって、「せつだん(切断)」で確定後、「切」を消さなければならないのを、誤って「断」を削除してしまった、とかだろうか。
とすれば、自分もよく行っている方法なので、間違いを見つけて喜んでばかりではいられない。身に覚えがなくはなく(当ブログ内にもあるかも…)、ひとごとじゃない。気を付けないと。

何度も言っているが、担当者が間違えてしまったとしても、それをチェックする立場の人はいる。看板屋、工事業者の上司、発注した県庁側等々、担当者個人ではなく、そうした人の間違いでもあるのです。

これで伝わらないことはないだろうし、これっぽっちを修正して無駄遣いさせるのも忍びないので、ここにアップするだけにしておきます。
「歩道橋が道路を横切っている」のだから、「横切歩道橋」でも間違いではないと言えなくもない。「新しい言葉」にはなってしまうが。
【9月10日追記】この後、9月10日に通ると、「切」の上に「断」を貼って修正されていた。



以下、今回の歩道橋工事について。老朽化補修ということのようだ。
工事看板「横断歩道橋を直しております」
ここは「横断」。今年12月24日までの工期。

これも繰り返しになるが、秋田県庁の工事看板への苦言。
この看板では、「秋田県が発注した工事」であることが分からない。「秋田地域振興局」というものが、どこの役所なのか伝わらないし、ましてここは「新国道」という通称なので、そうした予備知識のない人は、国発注の工事と誤解するかもしれない。
そして、工事看板の「発注者」欄には「秋田県」の名を入れなければならないのだが、それがされていない。このことは、秋田県庁に対して確認済みであり、「(いつの間にか入れないのが慣例化していたが)今後は『県』を入れるようにする」との回答もいただいているのに、まだこのありさまである。県庁の回答は口先だけで、そうする気がないとしか思えない。
また、重要なお仕事をされて偉い立場なのだろうが、地方出先機関の一般職公務員に過ぎない地域振興局長の氏名まで看板に記載することにも、疑問を感じる。どうしても名前を出したければ「秋田県知事 佐竹敬久」だろう【この辺りについては下の補足参照】。知事名の看板もあるにはある(県警発注工事に多いかも)が、地域振興局長名の看板のほうが多い。そもそも統一されていないのがおかしい。※例えば秋田市の工事看板は、市長か上下水道事業管理者名義であり、(担当者連絡先以外で)一般職員の名が記載されたものは見たことがない。
非常に勝手な勘ぐりだが、工事関係者にとっては、知事などより現場の長のほうが大切で、そんな本心が現れたのか、あるいは忖度して大事なほうの名前を載せているのでは、とも考えてしまう。今春、北秋田地域振興局では、道路建設工事に関わる業者と県職員による官製談合が発覚(発生は前年)した。※本工事の発注者・施工者とは何ら関係はありません。
【11日補足】コメントで教えていただいたが、今回のような工事は、県本庁でなく地域振興局が発注しているので、知事名にはならないということのようだ。青森など他県や、国土交通省の工事でも、地域出先機関(国だと地方整備局)発注の工事は普通に行われている。
しかし、看板では、その組織名までの記載が一般的で、秋田県のように組織の長の氏名まで載せるのは異例だと思う。さらに、受注した企業側が社名だけ(社長等の氏名がない)というのも、釣り合いが取れていない。
また、「秋田県地域振興局設置条例」第二条において、地域振興局の名称は「秋田県秋田地域振興局」のように、頭に「秋田県」が付くものとされている。工事看板の表記は正式でなく略していることになる。
したがって、工事看板では、頭に「秋田県」を付ける、発注者の氏名はいらない(でなけれは、受注者の氏名を入れる)の2点は改善するべきだと考える。(以上追記)

北側から。奥が山王方向、左が泉・右が八橋
泉横断歩道橋は1973年に造られた。1974年まではここが国道7号だったそうなので、国(建設省)が造ったのか。
長さ23メートル、幅2.3メートル。幅は市街地でない歩道橋にしては広い。

現在は、八橋側から泉中学校への通学によく使われている。
設置当時は、泉中学校も泉小学校もなかったが、八橋小学校は歩道橋と同じ1973年開校。
1973年9月4日の秋田魁新報に「国道に待望の歩道橋/秋田市八橋小の通学児童/泉地区民の運動実る」があった(開校と同時でなく、少し遅れてできたようだ)。当時は八橋小学区であった泉地区から八橋小学校への通学のために造られたのだった。
おそらく、1979年の泉小開校でいったん役目がなくなって、1981年の泉中開校で逆方向の役目を担うようになったという経歴なのだろう。

一般に歩道橋は、道路上の本体部分と直角向きに階段が付く形状が多いと思う。
泉歩道橋は、両側とも、本体から続いてまっすぐな階段が続くのが特徴的(分岐して折れ曲がった狭い階段もある)。市道側にスペースがあったことと、新国道歩道からの横断よりも、両側の住宅地や学校方向の行き来に特化したのだろう。階段と八橋小の間も一直線。
【11日追記】さらに、横断する道路(新国道)に対して直角ではなく、交わる狭い道の角度に合わせて斜めになっているのも珍しい。
2019年末。歩道橋上からまっすぐな階段、泉地区と太平山を見渡す

現在は、上の写真のように八橋側の上部が箱で覆われ、両側の階段には足場が組まれているが、お休み中の模様。じゃあ、横断できるのか。
新国道の歩道を歩いて来て階段を渡ろうとすると、工事看板以外に歩行者向け看板などは目に入らない。
泉側の新国道向き階段
足場のすき間を抜けて、上がれそうにも見えるけど…

裏側の泉の市道側の一直線の階段は、
「立入禁止」
渡れないんじゃないか! 危うく渡りかけたよ。
「まわり道」矢印は左(山王)方向で、別の看板も。
「お知らせ」
8月1日から10月31日に渡れないので、泉小入口「八橋鯲沼町」交差点へ誘導している。100メートル強。
右(土崎)方向には、泉中入口の「八橋大畑」交差点があるが、250メートルほど。

通学と地元住民の利用がほとんどなので、通行止めは周知の事実で、これで大きな問題はないかもしれない。でも、突発的に渡る人もいなくはないだろうから、新国道向き階段にも通行止め表示するとか、両隣の交差点に「この先歩道橋渡れません」と予告があれば親切。

なお、車道(土崎→山王側のみ?)のほうは8月1日~17日の21時~翌5時、車線減少になるとの看板も出ている。

※横切歩道橋看板のその後と、工事看板の別の例について続きます

【2022年6月19日追記・翌年度の別工事について】この工事は予定通り終了。翌2022年には塗装工事が行われ、再び封鎖された。5月16日から10月31日までとなっている。今度は歩道橋全体を板ですっぽり覆っている。
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土崎セブンの店名

2021-07-06 23:02:13 | 秋田の地理
コメントで教えていただいて知ったのだが、秋田市北部・土崎に新しくセブン-イレブンが1店舗できた。2021年6月24日オープン。

4月21日に秋田駅前のホテルメトロポリタン秋田(別館・ノースウイングができたので、以前からある建物「本館」の)1階にオープンした、「セブン-イレブン ホテルメトロポリタン秋田店」が、秋田市内36店舗目、秋田県内108店舗目のセブンだそうなので、その次か。
メトロポリタンのセブンも少々触れておく。
駅舎を背に
歩道は、店の前だけブロック敷きでなくカラー舗装。以前、ここは裏側の駐車場への出入口が通じていて、部外者も徒歩で通り抜けられた。そこを埋めて店が造られた。だから、ここだけブロックでなく、セブンへの改装時にカラー舗装された。人通りが多い歩道を横切って車が出入りしていたのがなくなって、安全になった。

看板が控えめで、【7日追記・ひさしが深くて店のドアが奥まった位置にあり、】間口が狭くて奥行きがある店舗なので、目立たない。初めて来た人だと、ここを見落として三宅ビルのローソンを先に見つけそう。


本題の北のセブン。
国道7号の「相染(そうぜん)こ線橋北」交差点を、東に曲がると狭いながら県道231号。すぐに旧国道(市道)との交差点があり、その東はすぐに飯田街道の虎毛山踏切で、港北(こうほく)、秋田高専方向へつながる。
道が狭く、交差点が続き、踏切手前は急な坂で、交通量もそこそこあって、注意すべき区間。

セブンができたのは、旧国道との交差点の、北西角。国道から見ると左手前、踏切から見ると右奥。
以前は、角ギリギリに古びた家屋などいくつかの民家、あとは空き地というか荒れ地があった、そんな場所。
旧国道交差点から。左右が旧国道、奥が国道、背後が踏切
店の敷地は、県道に沿って細長い。店舗は県道向きが正面で、旧国道からは離れた国道寄りに建つ。こんな狭い道路に面して、道路幅よりも広いコンビニができるのは珍しいと思うが、角地ならではか。
旧国道側角地は駐車場。赤信号のショートカットに使われるおそれがあるが、店舗をこっち側に建てると見通しが悪くてさらに危険だったかもしれない。旧国道も県道も歩道がない道なので、駐車場内を歩けば、いくらかは安全になりそう。

国道側から来る視点だと、
踏切まで一直線ではなく、逆「く」の字の道路だ
こちら側にも駐車場があるし、やはり建物は側面しか見えず、高い看板が目に入る程度。店舗は目立たない。
国道の交差点に看板はないし、わざわざ曲がって来店する客も少なそう。知る人ぞ知るセブン-イレブンのような雰囲気。
この時はけっこう来店客がいたようだ

そんな新しいセブン-イレブン。ホームページで店舗名を知って、愕然とした。
「秋田土崎港店」
実地の表示やレシートでは未確認なので、サイトの誤記(もしくは仮称のまま)かと思った。だといいのだけど、現実なのだろう。
だって「土崎港」というのは、いわゆる「土崎」とおおむね同義。
地名の「土崎港~」だけに絞っても、中央と東西南北それぞれに丁目が付くし、住居表示未実施の相染町などもあり、広範囲。
「泉店」「牛島店」とするようなもので、「セブン-イレブン秋田土崎港店」では場所を特定しにくい。

といっても、土崎にセブン-イレブンは少ない。営業中なのはこの店で3店舗目。
新店舗から北へ600メートル、飯島郵便局の裏の国道に「秋田土崎港北7丁目店」。その名の通り、土崎港北(つちざきみなと きた)七丁目に所在。
土崎港西一丁目には「秋田セリオンタワー前店」。ポートタワーセリオンが正しいのに、略して入れ替えた「セリオンタワー」を店舗名にしたことに苦言を呈した店。
ほかに、土崎港相染町にあった「秋田浜ナシ山店」は閉店済み。秋田市進出1号店の1つだった「秋田土崎港東1丁目店」は道路向かいに移転して「秋田将軍野南3丁目店」に変わっている。

新店舗・秋田土崎港店の所在地も、既存店と同じ土崎港北七丁目。北七丁目はここが南限で、県道向かいは土崎港中央七丁目。
同じ町内に2店舗できることになってしまい、店舗名で悩んだのは想像できるし、同情できる。
だけど、よりによって結論が「土崎港店」はないでしょう。
北が秋田土崎港北7丁目店、南が土崎港店
ファミリーマートのような、他チェーンとの統合歴があるコンビニでは、店舗名の重複や矛盾が出てしまうのはやむを得ない。「ファミリーマート秋田手形店(元サンクス)」と「ファミリーマート秋田手形山崎店」があるように。
しかし、セブンはそうでないし、そもそも新しい店なのだから、自由に分かりやすいネーミングにできるのに。
旧町名になるが「相染町」とか、「虎毛山踏切」「飯田街道」を用いた店舗名にしたほうが、少なくとも地元住民には覚えてもらいやすいはず。

この後、土崎港○○を所在地とするセブン-イレブンが新規オープンした時は、どういう店舗名にするつもりなんだろうか。土崎港店が浮いた存在になるか、まさかこれ以上土崎にセブンを出店しないわけでもないでしょうに。その点を考えれば「土崎港店」なんて壮大な店名にはできないと思う。
あと、既存の秋田土崎港北7丁目店のほうだって、混同や取り違えられて困るかもしれない。

セブン-イレブンの店舗名は、地名を基本にして、そんなにおかしいのはないと思っていた。
実はそうでなく、セブン-イレブンでは、都市名+所在地名というルールは厳密だが、それを外れた店舗名では何もルールがなくて、このような後先を考えない、その場しのぎの場当たり的店名になってしまいがちなのか。でなければ、画数占いの結果にでも従ったのか。
セリオンタワーに続いて土崎港。本部担当者かオーナーか、ネーミングセンスを疑う。
コンビニの店の名前など気にしない客もいるだろうけど、名前は大切でもあるはずです。

【2024年5月22日追記・類似の命名について】秋田市内では、「セブン-イレブン秋田広面店」もあった。
2013年3月に秋田市に初めてできたセブン-イレブン5店舗のうちの1つで、広面字谷地沖に所在。同時オープンの他店では「中通6丁目店」「土崎港東1丁目店」もあったのに、広面だけおおざっぱ。その後、「広面屋敷田店」と「広面谷内佐渡店」ができた。
土崎港店とは、店ができた順番が逆(大字のみの店舗のほうが先)ではあるが、広大で需要が多いであろう広面地区に、1店だけで済むはずがないのは予想できただろう。やはりセブンの命名センスを疑う。
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ひょうたん沼

2021-06-27 23:35:08 | 秋田の地理
その存在を知ったのは、昨年の今ごろだった。
秋田市北部の道ばたで、アヤメが咲いている一角に出くわした。そしてその奥には「池」のような「沼」のような水で満たされたものがあった。

昨年はアヤメが終わりかけだったので、今年改めて行ってみると。
今年もちょっと遅かったか…
草ぼうぼうだけど、紐で囲われた中にアヤメがあるので、植えられたもの。
水辺では、
黄色いアヤメ ※外来種キショウブではない
これも園芸品種だから植えられたものでしょう。

岸辺にはサクラが数本あり、その下にはベンチやテーブル。公的な公園のものとは違う感じだけど、立入禁止などでもない。地域の人たちによるものか。
上の写真左側の岸には、木道もあったが、入口からして草が生い茂り、入っていったら何か(少なくとも蚊)に出逢いそうなので遠慮。
道路と反対側の岸から
水辺にはメインの道路と分かれた道路もあるが、そこは住宅地ですぐ行き止まり。
水面の一部にはスイレンが茂り、白い花を咲かせていた。スイレンで唯一の在来種・ヒツジグサとは葉や花が違うので、やはり外来・園芸品種か。
【28日追記】「モネの庭」ってこんな感じなような。水とスイレンだけで、あとは違うか?

メインの道路側から。向こう側はうっそうと木が茂る丘
所在地は秋田市寺内。将軍野と土崎港と3地域の境界。
丘は高清水公園で、その北西端に当たる(出入口があるわけではない【末尾追記参照】)。
道路は、新国道・自衛隊入口交差点~県立秋田中央高等学校~旧国道・秋田城跡歴史資料館。
新国道から行くと、右手の中央高校の敷地を過ぎ、上り坂にさしかかる直前の左側。住宅地と高清水公園が切り替わる境界。
地名は左手前が将軍野、右が土崎港

秋田市内には、沼や池はほとんどないが、高清水公園周辺には散在する。この1本東の道の「空素沼(からすぬま)」が大きくて有名。
じゃあ、ここは?
Googleマップには、名前が登録されていた。※全面的に信用もできないGoogleマップではありますが…
「ひょうたん沼公園」だって
所在地が「将軍野南一丁目」とされてしまっているし、「公園」は不適切と思われるが、「ひょうたん沼」か。
たしかに上空から見ると、ヒョウタンっぽい形。
航空写真は草が茂っていないタイミングで撮影されていて分かりやすいが、今回入らなかった木道は、ヒョウタンの「くびれ」の部分のようだ。今回見たのは沼の北半分で、南半分が茂みに隠れていたことになる。

毎度定番ながら、まだまだ秋田市内にも知らないことが多い。
それにしても、ひょうたん沼の知名度ってどんなもんなんだろう。
この辺の通学区である「秋田市立高清水小学校 通学路安全マップ」には、空素沼や歴史公園内のものには「沼で遊ばないでね」と記載があるが、ひょうたん沼はその存在すら載っていない。

【7月1日コメントをいただき追記】
かつては「めがね沼」と呼んでいたとのこと。Googleマップの名前はアテにならないから、実は今でもそうだったりするのかも。
また、昔は木道の先は高清水公園内、護国神社の裏へ通じていたが、今は木が生い茂って通れないとのこと。
コメント (6)
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