「方面及び方向」の案内標識(108系)の続き。
1986年改正前の旧仕様標識として、前回主に取り上げた、県道233号の、保戸野原の町~泉南の1985年開通区間。そのうち、BとCの標識があった、秋田生鮮市場保戸野店の交差点から西へ伸びる市道「泉ななかまど通り」。それを400メートル進んだ、市道「泉いちょう通り」との交差点が今回のメイン。
西側から
この交差点には、4方向とも案内標識が設置されている。周りの同様規模の交差点では、設置されていない方向のほうが多いのに。
しかも、ここの案内標識は若干変わっている。
東進側
東進向きのものだけ、下に「50m」と書かれ、他の3枚にはなし。4つとも交差点との距離は同じくらいだけど、手前に小さいながら交わる道があるからだろうか。間違う人はいないだろうけど。
南進側
案内される地点は4枚とも同じ。北「土崎」、東「仁別」、南「大町」、西「川尻 山王」。一般的な標識に比べると、板に対して文字が大きい。
前回の県道にはあるべきなのになかった、土崎、大町、山王は出てきた。でも、あちらにあった手形や八橋は消えてしまったし、秋田駅や県庁市役所はどちらもない。
そして、土崎には船、仁別には山、大町にはビル(7階建て?)の絵が、それぞれ添えられている。ほかは青色だが、山は緑色で描かれ、とても険しい姿。
駅など施設に対してはピクトグラムが添えられることもあるが、これは施設ではなく地名に対するものだし、ピクトグラムというよりわりとリアルな「絵」。絵は具体的だが、絵が指すものが抽象的というか雰囲気だけで、この絵だけを見せられて、それぞれの地名を連想できる人はいないだろう。
リアルな船で波紋も描かれる
【12月14日追記】1枚だけ新しいものに作り直されており、船の絵が違うものになっていた。
一般的なピクトグラムの例。
土崎の市道の案内標識
この港のマークは、秋田港というピンポイントに対応するものだし、船のほか係船柱(ボラード)も描かれていて、港であることが伝わりやすい。ただ、ピクトグラムとしてJIS規格(末尾参照)に定められた港は、船だけのようだが。
青森県道260号、弘前市「取上」交差点東
岩木山は岩木山っぽいし、天守と桜となれば弘前城しかないが、うまい具合にピクトグラムっぽくしている。このように、ピクトグラム部分を反転表示させる場合もある。
あと、ここは「弘前駅」くらいはあっていいのでは?【12日追記・「弘前城」は、「弘前公園」かせいぜい「弘前城址」とすべきではないだろうか。現役の城ではないし、現代の案内なので。】
泉・保戸野に話を戻して。
この交差点ができたのは、生鮮市場のほうよりは数年遅い、昭和の終わりのはず。1988(昭和63)年時点で、ここを通る千代田町経由神田交通局線が走っていた。
案内標識が現行仕様(ローマ字あり、ナール書体)に改定されたのが、1986年10月。前回最後のような最初期は建設省管轄でもまだ手書きのものがあったが、ここが開通する頃には秋田市管轄でもナールを使うようになっていたことになる。
前回も触れた国交省のサイトによれば、1986年の改定では、標識に「市町村章、都府県章、シンボルマークの表示を可とした」とのこと。それでピクトグラム入りが増えたのだろうか。
ここの交差点の場合、黎明期のため、秋田市が「シンボルマーク」とは何かを理解していなかったか、拡大解釈して地名に対する絵にしてしまったのか。そして、ここまでやったなら「川尻 山王」に絵を入れてやれなかったのか。
地名の選択や文字サイズも、模索の途中だったのだろう。文字の大きさは、大きいほうがいいと思うのだけど、どうして最近のは小さくなったのかな。
開通直後、僕はこの標識の絵を見るのが楽しかった。これからはこんな案内標識が増えていくのだろう。その時はどこがどんな絵になるのかな、と楽しみにしていたのだけど、ここだけに終わってしまった。
その後の設置例をGoogleマップストリートビューより。
横金線を広面から北進した、手形山。秋田高校の坂へ下りる交差点の手前。
仁別に例の絵が!
今は県道41号だが、最初は市道だったはず(手形山大橋・手形トンネル開通前は、直進方向はなかった)。南からこの交差点までが開通したのは、平成初期頃だろうか。文字は現行並みに小さくなっている。
直進の橋~トンネルが開通したのが2000年頃。仁別へは、県道15号との交差点を右折することになるが、そこの案内標識には仁別でなく「仁別国民の森 Nibetsu Kokumin no Mori」で文字のみ。
場所変わって、手形山の下、市道と県道15号が交わる「からみでん」交差点。県道はこの交差点で曲がっていて、北と東。
県道・秋田大学方向から西進する側
ここでも「仁別国民の森」で、こちらはピクトグラム付き。大きい木とその下にベンチっぽいものが描かれているが、伝わりにくいデザイン。
この向こう、天徳寺・旭川橋から東進する側は市道。市道側にも案内標識が設置されている。同時に設置されたかどうかは分からないが、以下のように差異があるので、別々に発注されたようだ。
ピクトグラムたくさん
左折方向に3つのピクトグラム。でも文字は「仁別国民の森」と「太平山リゾート公園」の2つだけ。
仁別国民の森のローマ字は「Nibetsukokumin no Mori」と、県道とは区切りが微妙に違う。どっちみち日本語を知らない人には通じないでしょうけど。ピクトグラムは同じ。
残りのピクトグラムは、泳ぐのとスキーするのと。
仁別でそれとなれば、前回記事の石川市長時代(計画は高田市長時代から)にオープンした、「クアドーム・ザ・ブーン」と「太平山スキー場 オーパス」。太平山リゾート公園の主要施設であり、リゾート公園の名前より市民に浸透しているかもしれない。ただし、リゾート公園にはほかにキャンプ場や植物園もあり、この2つのピクトグラムだけでいいのかとも思う。
リゾート公園への誘導が、県道側になくて市道側にあるのは、単に設置時期の違いかもしれないが、リゾート公園は秋田市が主導したものだからだろう。県としては知ったこっちゃないと。
ところで「仁別国民の森」。物心ついた頃は、秋田市民は仁別に遊びに行く時は、代名詞のように「国民の森」と言っていた気がする。その後、太平山リゾート公園ができると、以前ほどは聞かなくなったような…
仁別国民の森は、林野庁の管轄で、今も存在する。1966年、明治100年記念で全国に6つの国民の森が指定された1つ。その後で「仁別自然休養林」にも指定。林野庁ホームページでは「仁別自然休養林(仁別国民の森)」と紹介している。
ただ、現在でも秋田市民に「仁別国民の森」は充分浸透している。ツイッターで「"国民の森"」で検索すると、仁別ばかり出てくる。ほかの5つの国民の森はどうなったのか。
仁別はその後「家族旅行村(今は国交省管轄)」にも指定。遊園地「仁別レジャーランド」ができて7年でなくなり、リゾート公園ができて今に至るようだ。
以上、案内標識のピクトグラムは、統一されていないのが実情。
国土交通省では「道路標識設置基準」において「表示するピクトグラムは、表示する公共施設等の性質、種類等が容易に識別できるもの(当該公共施設等が日本工業規格 Z8210 に定められているときは、これに適合するもの)でなければならない。」としている。
そのJIS規格自体が、オリンピックパラリンピックなどもあって変遷していることも一因のようだが、ここで紹介したピクトグラムは「駅」以外は適合していないと思われる。まあ、通じればとりあえずいいのだろうけど。
そして、前回と今回で触れているように、文字で示される案内先も、一貫性がないものが多い。もう1回続く。
1986年改正前の旧仕様標識として、前回主に取り上げた、県道233号の、保戸野原の町~泉南の1985年開通区間。そのうち、BとCの標識があった、秋田生鮮市場保戸野店の交差点から西へ伸びる市道「泉ななかまど通り」。それを400メートル進んだ、市道「泉いちょう通り」との交差点が今回のメイン。
西側から
この交差点には、4方向とも案内標識が設置されている。周りの同様規模の交差点では、設置されていない方向のほうが多いのに。
しかも、ここの案内標識は若干変わっている。
東進側
東進向きのものだけ、下に「50m」と書かれ、他の3枚にはなし。4つとも交差点との距離は同じくらいだけど、手前に小さいながら交わる道があるからだろうか。間違う人はいないだろうけど。
南進側
案内される地点は4枚とも同じ。北「土崎」、東「仁別」、南「大町」、西「川尻 山王」。一般的な標識に比べると、板に対して文字が大きい。
前回の県道にはあるべきなのになかった、土崎、大町、山王は出てきた。でも、あちらにあった手形や八橋は消えてしまったし、秋田駅や県庁市役所はどちらもない。
そして、土崎には船、仁別には山、大町にはビル(7階建て?)の絵が、それぞれ添えられている。ほかは青色だが、山は緑色で描かれ、とても険しい姿。
駅など施設に対してはピクトグラムが添えられることもあるが、これは施設ではなく地名に対するものだし、ピクトグラムというよりわりとリアルな「絵」。絵は具体的だが、絵が指すものが抽象的というか雰囲気だけで、この絵だけを見せられて、それぞれの地名を連想できる人はいないだろう。
リアルな船で波紋も描かれる
【12月14日追記】1枚だけ新しいものに作り直されており、船の絵が違うものになっていた。
一般的なピクトグラムの例。
土崎の市道の案内標識
この港のマークは、秋田港というピンポイントに対応するものだし、船のほか係船柱(ボラード)も描かれていて、港であることが伝わりやすい。ただ、ピクトグラムとしてJIS規格(末尾参照)に定められた港は、船だけのようだが。
青森県道260号、弘前市「取上」交差点東
岩木山は岩木山っぽいし、天守と桜となれば弘前城しかないが、うまい具合にピクトグラムっぽくしている。このように、ピクトグラム部分を反転表示させる場合もある。
あと、ここは「弘前駅」くらいはあっていいのでは?【12日追記・「弘前城」は、「弘前公園」かせいぜい「弘前城址」とすべきではないだろうか。現役の城ではないし、現代の案内なので。】
泉・保戸野に話を戻して。
この交差点ができたのは、生鮮市場のほうよりは数年遅い、昭和の終わりのはず。1988(昭和63)年時点で、ここを通る千代田町経由神田交通局線が走っていた。
案内標識が現行仕様(ローマ字あり、ナール書体)に改定されたのが、1986年10月。前回最後のような最初期は建設省管轄でもまだ手書きのものがあったが、ここが開通する頃には秋田市管轄でもナールを使うようになっていたことになる。
前回も触れた国交省のサイトによれば、1986年の改定では、標識に「市町村章、都府県章、シンボルマークの表示を可とした」とのこと。それでピクトグラム入りが増えたのだろうか。
ここの交差点の場合、黎明期のため、秋田市が「シンボルマーク」とは何かを理解していなかったか、拡大解釈して地名に対する絵にしてしまったのか。そして、ここまでやったなら「川尻 山王」に絵を入れてやれなかったのか。
地名の選択や文字サイズも、模索の途中だったのだろう。文字の大きさは、大きいほうがいいと思うのだけど、どうして最近のは小さくなったのかな。
開通直後、僕はこの標識の絵を見るのが楽しかった。これからはこんな案内標識が増えていくのだろう。その時はどこがどんな絵になるのかな、と楽しみにしていたのだけど、ここだけに終わってしまった。
その後の設置例をGoogleマップストリートビューより。
横金線を広面から北進した、手形山。秋田高校の坂へ下りる交差点の手前。
仁別に例の絵が!
今は県道41号だが、最初は市道だったはず(手形山大橋・手形トンネル開通前は、直進方向はなかった)。南からこの交差点までが開通したのは、平成初期頃だろうか。文字は現行並みに小さくなっている。
直進の橋~トンネルが開通したのが2000年頃。仁別へは、県道15号との交差点を右折することになるが、そこの案内標識には仁別でなく「仁別国民の森 Nibetsu Kokumin no Mori」で文字のみ。
場所変わって、手形山の下、市道と県道15号が交わる「からみでん」交差点。県道はこの交差点で曲がっていて、北と東。
県道・秋田大学方向から西進する側
ここでも「仁別国民の森」で、こちらはピクトグラム付き。大きい木とその下にベンチっぽいものが描かれているが、伝わりにくいデザイン。
この向こう、天徳寺・旭川橋から東進する側は市道。市道側にも案内標識が設置されている。同時に設置されたかどうかは分からないが、以下のように差異があるので、別々に発注されたようだ。
ピクトグラムたくさん
左折方向に3つのピクトグラム。でも文字は「仁別国民の森」と「太平山リゾート公園」の2つだけ。
仁別国民の森のローマ字は「Nibetsukokumin no Mori」と、県道とは区切りが微妙に違う。どっちみち日本語を知らない人には通じないでしょうけど。ピクトグラムは同じ。
残りのピクトグラムは、泳ぐのとスキーするのと。
仁別でそれとなれば、前回記事の石川市長時代(計画は高田市長時代から)にオープンした、「クアドーム・ザ・ブーン」と「太平山スキー場 オーパス」。太平山リゾート公園の主要施設であり、リゾート公園の名前より市民に浸透しているかもしれない。ただし、リゾート公園にはほかにキャンプ場や植物園もあり、この2つのピクトグラムだけでいいのかとも思う。
リゾート公園への誘導が、県道側になくて市道側にあるのは、単に設置時期の違いかもしれないが、リゾート公園は秋田市が主導したものだからだろう。県としては知ったこっちゃないと。
ところで「仁別国民の森」。物心ついた頃は、秋田市民は仁別に遊びに行く時は、代名詞のように「国民の森」と言っていた気がする。その後、太平山リゾート公園ができると、以前ほどは聞かなくなったような…
仁別国民の森は、林野庁の管轄で、今も存在する。1966年、明治100年記念で全国に6つの国民の森が指定された1つ。その後で「仁別自然休養林」にも指定。林野庁ホームページでは「仁別自然休養林(仁別国民の森)」と紹介している。
ただ、現在でも秋田市民に「仁別国民の森」は充分浸透している。ツイッターで「"国民の森"」で検索すると、仁別ばかり出てくる。ほかの5つの国民の森はどうなったのか。
仁別はその後「家族旅行村(今は国交省管轄)」にも指定。遊園地「仁別レジャーランド」ができて7年でなくなり、リゾート公園ができて今に至るようだ。
以上、案内標識のピクトグラムは、統一されていないのが実情。
国土交通省では「道路標識設置基準」において「表示するピクトグラムは、表示する公共施設等の性質、種類等が容易に識別できるもの(当該公共施設等が日本工業規格 Z8210 に定められているときは、これに適合するもの)でなければならない。」としている。
そのJIS規格自体が、オリンピックパラリンピックなどもあって変遷していることも一因のようだが、ここで紹介したピクトグラムは「駅」以外は適合していないと思われる。まあ、通じればとりあえずいいのだろうけど。
そして、前回と今回で触れているように、文字で示される案内先も、一貫性がないものが多い。もう1回続く。
国民の森はあと5つもあったんですか!
他県は市民の森や県民の森があり秋田はずいぶんスケールあるなと思っておりましたら。
水泳のピクトグラムはやや東京に似てる気がしますね。
表示内容も設置位置も、一貫性がなく無駄が多いかもしれません。
林野庁のサイトに国民の森を全国6か所指定とあるのでそうなのでしょう。でも、今、ネットで探しても仁別以外は不明。その意味では仁別国民の森は成功事例かもしれません。
案内標識の水泳は、水面の波が激しい。スキーは傾斜角度が違うようで、どちらも微妙な違いで通用はするでしょう。