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本道キャンパス北側散策

2021-10-12 23:40:04 | 秋田の地理
秋田大学医学部でワクチン接種を終えて、バス時刻まで時間つぶし。
考えてみれば、大学病院前バス停以外で秋田大学医学部の敷地(本道キャンパス)内に入ったのは、今回が初めて。大学病院の中にも入ったことがなかったので。
あと、大学の体育館の中に入ったのも初めてだった。学生時代、体育実技を履修しなかったので。
(再掲)地理院地図に加筆
上の地形図の通り、体育館は敷地の北東寄り。北東角はグラウンドなので、糠塚宿舎以外では、体育館が敷地内のほぼ最北にある主要な建物のようだ。
※糠塚宿舎は、医学部以外の職員でも入居できる大学共通施設なのかと思っていたが、宿舎の駐車禁止看板は医学部長名。

附属病院は敷地南西側で、南が正面。体育館付近は、病院の裏面や医学部本体の施設。そして駐車場が多くて広い。
附属病院来院者向けは、南側に駐車場(一部立体)がやはりたくさんある。北側は全部平面で職員用らしい。職員の多さと福利厚生の手厚さがうかがえる。構内通路(20km/h制限)も充分な広さはあるが、集団接種会場という特異な状況では、前回の通り車列ができるなどちょっと危ない。

体育館と(接種者駐車場への)通路をはさんだ西隣の建物。
明確な表示は見当たらなかったが「本道会館」。大学生協の食堂や購買部が入る。
左前が「DINING HONDO」、右奥が「medicoco(大学の案内図にもメディココと表記あり)」との看板が出ていたが、秋田大学生協のホームページにはそれらの名前はなく、「本道食堂」「本道店」となっている。
なお、附属病院正面隣に2010年にできた、レストランなどが入る「本道40周年記念会館」とは別物。ローソンやスターバックスも附属病院内にあり、生協は学部関係者向けに特化していそう。

店をのぞいて飲み物でも買おうかと考えたが、基本的には組合員=学生・教職員用の施設だし、このご時世、さらに医学部という敷居の高さもあってやめておいた。

店の前には、飲料自動販売機が2台。大学生協オリジナル・地域限定飲料「コーちゃん・ウーちゃん・プーちゃん」があるかと期待したが、生協管理なのになし。ナショナルブランドの飲料ばかりで、若干安い(弘前大学生協の自販機も同じ状況だった)。※自販機は体育館玄関前にもあり。

さらに西、車両出入口方向。

敷地の北西~北は、低い山が迫っている。北東方向は水田が広がる。
山のふもとをたどり水田地帯へ続く道路(一部未舗装)はあるものの、そんな環境なので敷地北辺には門がないようだ。ただ、道路に面した糠塚宿舎と医学部敷地内を、徒歩で行き来できる通路はあるかもしれない。
山は、秋田大学手形キャンパスの裏手の手形山、さらに太平山など出羽山地とつながっているから、ツキノワグマが出没してもおかしくない気もする(目撃情報はあまり聞かない?)。

上の写真のように、車両出入口のすぐ横に、6階建ての集合住宅が建っている。一直線でない形で、スターハウスを想像させられるが、これは一辺1世帯ではないし「へ」の字型。敷地の形に合わせた結果だろう。
糠塚宿舎前バス停付近からでも、この建物の端はかろうじて見える。これまで、これがバス停名の由来の糠塚宿舎(糠塚官舎)だと思っていた。

ところが、これは糠塚宿舎ではなかった。「看護師宿舎本道寮(女子)」とのこと。糠塚宿舎はこの北東の隣接地に、普通の直方体で4棟ある。本道寮は道路・宿舎との間がフェンスで囲われている。バス停は「宿舎前」より「宿舎入口」だ。
【15日追記・本道寮について】「看護師宿舎本道寮(女子)」の表記は、大学ホームページのキャンパスマップにそう記載されており、Googleマップも同じ。しかし、大学ホームページの他のページには、手形寮(女子)、西谷地寮とならぶ「学生寮」として本道寮が紹介されている。実際に、学生向けの案内資料があり、1999年4月開設としている。おそらく、もともと看護師寮だったのを、学生寮に変更したのだと考えられ、キャンパスマップが未修正(かなり経つが)なのだろう。2003年には、3年制だった医療技術短期大学部が、4年制の医学部保健学科に改編されるので、学生数が増えることを見据えての対応だったのだろうか。


体育館前へ戻って、その裏・東側へ。
体育館北東角。対角線上が入口。左にテニスコート、背後にグラウンド
体育館の東にテニスコートがあって、その北にはグラウンドがある。体育館側からグラウンドの南寄りには、マットや鉄板が敷かれており、ここも駐車場に使うのか、工事しているのか。体育館の正面に、ワクチン接種とは関係ない看板があった。
年季が入った看板
「大型タンクローリー走行路につき」駐停車禁止。よく分からない。

グラウンドから南方向。テニスコートと建物群

グラウンドから北西方向
↑左が体育館。向こうが駐車場で、接種者の車がたくさん。その奥の針葉樹の中に四角い建物が少し見えているのが糠塚宿舎。念願の(?)糠塚宿舎の姿を拝めたが、敷地内からでも見づらいのか。

グラウンドから北東方向
↑高い塔はいずれも敷地外、左は携帯電話用だろうか電波塔で、その他は送電線用。低い建物は敷地内の電気設備。
電気設備・電波塔のある所が、大学敷地の北東角。右の木々が東辺で、その外に道路があるが、ネットと段差があって出入り不可。外は水田ばかりかと思ったが、住宅も迫っている。2016年まで、小型バス駅東線が来ていた境田団地の北端。
送電塔と木の間に見えるのが、太平山の山並み。太平山の本山はこれより右側なので木に隠れていて、グラウンドや駐車場の奥に入らないと見えない。
太平山や田んぼがもっと見えたら、この土地らしい雰囲気がすることだろう。秋田駅東側から見る太平山はぐっと大きく感じられるものだ。
この程度、見学して帰りのバスに乗った。
YouTubeより
YouTubeには、2020年9月3日に大学により「ぐるっとまわろう!秋田大学ドローンツアー「本道キャンパス」」がアップされていて、上記施設の位置関係がよく分かる。
上の画像は正面南側からの撮影で、「VERS」と「A」の間が体育館。「SITY」とその右がグラウンド。



秋田大学の医学部は1970(昭和45)年設置。
当時の医学部周辺は、宅地がなく田んぼが広がっていた。そればかりか、医学部の施設自体も未完成の状態。附属病院は1971年設置だが、その時点では千秋公園東向かい、今の秋田県立循環器・脳脊髄センターの場所にあり(県立中央病院を移管したもの)、現在地移転は1976年。

南木佳士(なぎ けいし)氏は、その2期生だそうで、自身の経験を踏まえた小説「医学生」において、当時の状況が描写されている。本を読んだことはないけれど、高校生の時、進研模試の国語の問題文として読みました。
大学院医学系研究科・医学部のホームページ内、「本道40周年記念会館>秋田大学医学部・附属病院 Photo Archives(https://www.med.akita-u.ac.jp/about/40years_photo_archive.html)」で、当時の写真を見ることができる。
その中に、昭和47(1972)年度の「医学部建物配置図」もあった。敷地の輪郭から今と同じ形なのが分かるが、すっからかん。南側に一部の校舎、そして北側には「職員宿舎」が3棟、機械室、福利厚生施設、体育館。その程度。
つまり、糠塚宿舎のうち3棟、本道会館、体育館は、本道キャンパス最古の建物ということになる。

時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」で見ると、
1971年改測
この時点では宿舎も未完成だったのか描かれていない。
それにしても、附属病院正面の広い市道ができているだけで、今は家がびっしりの、西~南側も一面の田んぼ。広面小学校も移転前(谷内佐渡から1976年に移転)。
1980年代後半には、かなり宅地化が進んでいたと記憶するから、この後10年少しの間で目まぐるしい開発がされたことになる。


ところで、本道キャンパスの「本道」の由来について続く。さらに敷地外東側の風景はこちら

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4 コメント

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南木佳士 (FMEN)
2021-10-13 03:03:03
医大生は秋田市に対するヘイトスピーチ的なアンチ作品で有名です。
松山の坊っちゃんみたいに笑いにもできない陰鬱さ。
でも、当時なら仕方がないかもしれないような。

ただ、医学部が出来たからここが一気に街になりました。
日赤や組合病院の周りが発展しきらなかったとこ見れば、奇跡かも。
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青春群像 (taic02)
2021-10-13 19:29:31
青春群像の物語として、一定の評価があるようです。
ご本人が不本意な入学だったこともあるのでしょう。

日赤や組合病院は移転から20年ほど。医学部は移転20年の時点で、ほぼ今に近い形に開発されていたわけですからね。しかも手形山団地も含めると広範囲。
人が減っていく将来、どんな街になっていくでしょうか。
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嬬恋村 (あんなか)
2021-10-13 21:03:09
中学時代に大学病院4階西病棟に入院したことがあるのでこのシリーズ懐かしく読ませて貰ってます。
入院時、向かいの病室に入院していた皆瀬村の小さい子供に何故か懐かれました。
南木佳士の「医学生」は結構好きで
後に北軽井沢に行った際に南木佳士の実家に見学に行ったことがあります。
嬬恋村中心部(でも役場は大前地区)と言える三原地区北側の坂の上にあって見晴らしが良く浅間山の山頂付近が見えてました。
作品中では太平山を珍しく好意的に描いてますが
彼の地に行って納得。
四阿山が太平山に似ていたのです。
似ているといっても四阿山は標高が鳥海山より高い2354mもあるのですが。
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太平山 (taic02)
2021-10-14 20:50:04
大学病院正面側など、この20年ほどでもだいぶ様変わりしましたが、中のほうは50年前の面影が色濃い箇所も少なくないのでしょうね。
今でも広面辺りから見ると、太平山が大きく感じます。建物がほとんどなかった当時は、もっと存在感があり、心に響いたのかもしれません。雪が多く平らな秋田、雪より寒さで山がちな信州、違う環境の中で、似た山があればいっそう。
南木氏は卒業後も長野へ戻って、佐久のJA系病院に勤務されているとか。
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