祝賀会で万歳しない人、手締めをしない人、結婚披露宴で乾杯拒否の人、葬式には行けないと言う人、正月の祝辞を言わない人、墓参りには行かないと言い張る人、『わがままな頑固者』と決めつけて良いのだが、本人は「宗教の教え」と他者を切り捨てる。でもねぇ、世間も親戚との付き合いも、昔からの宗教じみた習わしと思える。しても損は無い。所詮日本では一神教は水と油、別の容器に分離しなければなるまい。
とは言うものの、親戚のお葬式では、私が兄と兄嫁の不義理を釈明するが、宗教上の理由などとは決して言えない。言ったところで理解されるはずもない。親戚は知った上で私に語らせたいのだ。兄嫁は実母の骸さえ、斎場の軒下に放置する筋金入りの信者なのだ。鉄板では埒が明かない。
ところが、結婚式に招待があれば参列する。良いか悪いかは別だが、通過儀礼の御祝儀料は驚くほど少ない。世の常識を教えれば「信者の結婚式は祝儀のしきたりは無く、あってもこの程度の金額」と事も無げに言う。身内は恥ずかしい限りである。せめて『揃って乾杯』と願うが、乾杯の間は瞑想なのか目を閉じうつむく。目立ってしまうし、皆の乾杯の声も遠慮がちで沈む。
異端の宗教の虜になった肉親を持ったことを不幸と思うが、信教の自由の日本、一神教の他国とは違うとあきらめるしかない。
今から考えれば、兄は教義の狭間で悩んでいたのかもしれない。私が強く説けば、葬儀も参列し焼香もした。私が望むから嫌々だったかもしれないが、親類はそれでもありがたがってくれた。
そんなことが度重なり、息子の結婚式は兄だけの招待。これが逆鱗に触れたのか、兄は結婚式に姿を見せなかった。それから7年、母の見舞いも葬儀にも来ず、心配で訪問した実の妹と話そうともせず、目前の窓のカーテンを、拒絶の意味合いを込め、強く閉じたそうだ。
息子の結婚式に、義姉を招待しなかったことが、それほどまでに兄夫婦の心を傷つけてしまったのか悩んだ。また、没交渉の7年は、兄から母を永遠に奪ってしまったのかと、自責の念にかられ続けた。
ところが、最近この宗教を脱した人のブログを読み、奇妙なマニュアルがあることを知った。マニュアルは「結婚式では、その宗教から破門(排斥)された人と同席するな」と教えている。
この社会には、信者、元信者(排斥された者)無関係者、宗教否定者がいる。どちらかと言えば、私は最後の宗教否定者に当たりそうだ。なぜなら、無神論者だし、『一人でも乾杯や万歳しない人がいると目立つよなぁ。迷惑だな。大人だから遠慮しなよ。そもそも間違ってるから』と心から思う。
その結婚式マニュアルによれば
”聖書の原則とは大いに反する恥ずべき生活を送っている人々を含めるのはふさわしくないでしょう”と諭している。
だとすれば、私らだって”世の常識に大いに反する人々を含めるのはふさわしくないでしょう”と言い換えることができるはずだ。こんなマニュアルがあることを知っていたら、今まで悩むことは無かった。こんなことで、臍をまげられるなんて、絶対に筋が通らない!!と、常識人の六兎は思ったのであった。おしまい。
とは言うものの、親戚のお葬式では、私が兄と兄嫁の不義理を釈明するが、宗教上の理由などとは決して言えない。言ったところで理解されるはずもない。親戚は知った上で私に語らせたいのだ。兄嫁は実母の骸さえ、斎場の軒下に放置する筋金入りの信者なのだ。鉄板では埒が明かない。
ところが、結婚式に招待があれば参列する。良いか悪いかは別だが、通過儀礼の御祝儀料は驚くほど少ない。世の常識を教えれば「信者の結婚式は祝儀のしきたりは無く、あってもこの程度の金額」と事も無げに言う。身内は恥ずかしい限りである。せめて『揃って乾杯』と願うが、乾杯の間は瞑想なのか目を閉じうつむく。目立ってしまうし、皆の乾杯の声も遠慮がちで沈む。
異端の宗教の虜になった肉親を持ったことを不幸と思うが、信教の自由の日本、一神教の他国とは違うとあきらめるしかない。
今から考えれば、兄は教義の狭間で悩んでいたのかもしれない。私が強く説けば、葬儀も参列し焼香もした。私が望むから嫌々だったかもしれないが、親類はそれでもありがたがってくれた。
そんなことが度重なり、息子の結婚式は兄だけの招待。これが逆鱗に触れたのか、兄は結婚式に姿を見せなかった。それから7年、母の見舞いも葬儀にも来ず、心配で訪問した実の妹と話そうともせず、目前の窓のカーテンを、拒絶の意味合いを込め、強く閉じたそうだ。
息子の結婚式に、義姉を招待しなかったことが、それほどまでに兄夫婦の心を傷つけてしまったのか悩んだ。また、没交渉の7年は、兄から母を永遠に奪ってしまったのかと、自責の念にかられ続けた。
ところが、最近この宗教を脱した人のブログを読み、奇妙なマニュアルがあることを知った。マニュアルは「結婚式では、その宗教から破門(排斥)された人と同席するな」と教えている。
この社会には、信者、元信者(排斥された者)無関係者、宗教否定者がいる。どちらかと言えば、私は最後の宗教否定者に当たりそうだ。なぜなら、無神論者だし、『一人でも乾杯や万歳しない人がいると目立つよなぁ。迷惑だな。大人だから遠慮しなよ。そもそも間違ってるから』と心から思う。
その結婚式マニュアルによれば
”聖書の原則とは大いに反する恥ずべき生活を送っている人々を含めるのはふさわしくないでしょう”と諭している。
だとすれば、私らだって”世の常識に大いに反する人々を含めるのはふさわしくないでしょう”と言い換えることができるはずだ。こんなマニュアルがあることを知っていたら、今まで悩むことは無かった。こんなことで、臍をまげられるなんて、絶対に筋が通らない!!と、常識人の六兎は思ったのであった。おしまい。