田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

虹の橋を知って

2015年08月08日 | 日記
 虹の橋は、原作者不詳、世界中の沢山の動物のサイトに伝わっている詩。原文は英語で、古いインディアンの伝承にもとづいてもいるらしく、欧米のサイトを通じて広まった。詩の内容は愛する動物達と別れても、天国の手前に有ると言う「虹の橋」で再会し、一緒に虹の橋を渡り、共に天国に行くという内容。そして「虹の橋のたもと」では、愛された事が無い動物達が、やはり愛を知らなかった人と共に「虹の橋」を一緒に渡る話。この「虹の橋」の詩に共感を持った世界中の動物を愛する多くの人達によって、様々な国の言語に翻訳されインターネットを通じて世界に伝えられている。
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 この虹の橋の物語を、ある人のブログで知った。私は五男坊の末っ子で姉が一人、三男四男は幼くして世を去った。私が育った家では、物心がついた頃に子犬がもらえた。当然犬のほうが短命だから、十二歳前後で、可愛がった犬を、自身の力で送らねばならなかった。雑貨屋でリンゴ箱をもらい、犬を布でくるみ、犬が好きだった食べ物を箱に入れ、許された土地の片隅に墓を掘るのだが、大人はあまり手を貸してくれなかった。
 
 愛した犬であろうが、死を迎えた獣であろうが、別れを惜しんで手元に置けば肉は腐り、耐え難い悪臭を放ち、目を背けていれば寄生虫が這い出し、二度と動物など飼おうとしなくなる。それを知っている大人達は「早く綺麗にしてやれ。早く葬れ。埋めてやれ」と言うのだった。
 
 子供は小さな手で棺を運んだ。それを見る婆が手を合わせてくれた。リンゴ箱に土をかける頃、日暮れが早い田舎の空気が冷たくなった。ほんとうに死んだのだろうか、寝てるだけでは無いだろうかと箱に耳を当てた。流れる涙が恥ずかしかった。
 
 翌日、両親が「供えてやれ」と、つい先日まで使っていた犬の餌鉢に、残り飯に味噌汁をかけた餌が差し出された。両手で抱え墓に向かい、しばらく供えて持ち帰った。家の元気な犬に食べさせるのが悔しく、隣家裏の犬小屋へ行った。暗い檻の中で警戒し、身をすくめる真っ黒な猟犬に鉢の中身を手ですくって投げ入れた。一瞬臭いを嗅ぐが、飲み込むように食べ、次の餌を待つ獰猛精悍な熊追いの猟犬だった。
 
 一週間もすれば、死んだ犬の餌やりが嫌になるのが子供だった。父が聞いた「次の犬が欲しいか?欲しければ言え」私はただ黙っていた。
 
 葬ってから何ヶ月後、父が聞いた「次の犬が欲しいか?欲しければ言え」私は「シロの子供が欲しい」と言った。「シロはダメだ。子供の手にはおえん。間違ったら、お前が食い殺される」と言った。しばらくして、真っ白なスピッツの子犬が来た。私の犬になった。以前の犬を思い出さなくなった。
 
 ある日、熊追いの猟犬が逃げる事件が起こった。誰かが檻の扉を開けたらしい。スピッツが遊ぶ我が家に、子牛のような猟犬が現れた。母は身も凍りついたそうだ。熊追い犬の怖さを知っているからである。猟犬は餌の小鉢の匂いを嗅ぎ、舐めまわし、恐れを知らずに近づくスピッツの匂いも嗅いだ。
 
 裏の猟師が首を落とした鶏をぶら下げ駆け込んできた。猟犬はうなだれ、猟師の足元へ座り込んだ。母がポツリと言った「犬畜生だと思っていたが、そうでもない犬もいるもんだ」
 
 我が家のしきたりが子に教えたかったことは、『弱いものを慈しめ。最後まで見届けよ。その物にいつまでも心を奪われたままではならぬ』と理解できたのはずいぶん後のことだった。
 
 父とは最後まで和解できなかった私だが、母には我が家の教えを遂げられたと思う。人に虹の橋があれば、母が父に伝えてくれているはずだ。もしかしたら、二人は百匹以上の犬を連れいるかもしれないと想う、今日は暑い暑い夏の午後だ。