70年前の今日、広島に原爆が投下された。この日の記憶は8歳、小学2、3年生頃からしかない。TVは無く、新聞で見る原水爆実験の写真を記憶している。キノコ雲がいかほどの大きさなのか見当がつかず、恐怖を感ずることはなかった。
16歳の修学旅行で広島を訪れた。四国にも渡ったはずだが、記憶は広島が殆どを占めている。それほどに原爆資料館は強烈であった。薄暗い館内で感じた異様な寒さと、止まらぬ体の震えをだけを鮮明に記憶している。
朝刊は原爆を省みる記事が多かった。原爆投下を犯罪という人もいれば、アメリカ人の半数は原爆投下を認めているそうだ。考えれば考える程、分からなくなる。侵略の定義を云々する総理、一方的に侵略の被害者と叫ぶ人達、考えれば考える程、解らなくなる。いっそ誰かに追従しようかとさえ想う時さえもある。
愛する肉親を暴漢に奪われ、悲しみと憎しみから、暴漢に死刑を求めることがそれほど残酷なことであろうか。たった一人の命を奪った男の手に握られていた包丁と、14万人の命を奪った爆弾とそれ程の違いは無いと思う私だ。
大量殺戮兵器だから、人道に対する兵器だからとかの理屈はもう聞きたくない。意に逆らって、命を終わらされることだけが嫌なのだ。寿命であろうが、病であろうが、私は私の体の中に起因する原因で死にたい。今日は私の67回めの誕生日、あと何回この日を迎えられるのだろう。
16歳の修学旅行で広島を訪れた。四国にも渡ったはずだが、記憶は広島が殆どを占めている。それほどに原爆資料館は強烈であった。薄暗い館内で感じた異様な寒さと、止まらぬ体の震えをだけを鮮明に記憶している。
朝刊は原爆を省みる記事が多かった。原爆投下を犯罪という人もいれば、アメリカ人の半数は原爆投下を認めているそうだ。考えれば考える程、分からなくなる。侵略の定義を云々する総理、一方的に侵略の被害者と叫ぶ人達、考えれば考える程、解らなくなる。いっそ誰かに追従しようかとさえ想う時さえもある。
愛する肉親を暴漢に奪われ、悲しみと憎しみから、暴漢に死刑を求めることがそれほど残酷なことであろうか。たった一人の命を奪った男の手に握られていた包丁と、14万人の命を奪った爆弾とそれ程の違いは無いと思う私だ。
大量殺戮兵器だから、人道に対する兵器だからとかの理屈はもう聞きたくない。意に逆らって、命を終わらされることだけが嫌なのだ。寿命であろうが、病であろうが、私は私の体の中に起因する原因で死にたい。今日は私の67回めの誕生日、あと何回この日を迎えられるのだろう。