田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

根性ありそうだけどさみしそう

2013年07月26日 | 日記
 本日、病院のはしご、歯科から眼科です。まず、予約してあった歯医者さんへ。花田氏に「すっかり元通り、快適になりました。」Drにも同じように言いましたが、「2週間後にもう一度」ってことで、予約しました。歯医者さんの駐車場で、思わず写真を撮りました。根性ありそうだけど、仲間がいなくてさみしそう・・・・と思いました。

 さて、眼科です。先週コンタクトレンズのリニューアル注文をしました。本日受け取りです。月々千円少しを払っておけば、何度でもリニューアルできるシステムですが、私は、2年も使い続けてしまいました。リニューアルを繰り返したほうが、得なのは分かるのですが、つい交換が面倒です。だから商売になるのですね。Drからは「白内障の恐れは今のところ無いですよ。」との診断。新しいレンズは気持ちが良いですが、院内寒すぎます。おしまい。


 計算尺

2013年07月25日 | 仕事
 近頃ネットで宮崎駿さんの『風立ちぬ』を見かけることが多かった。私は漫画を読むのは好きではありません、いや読めないのです。あのコマが右につながるのか、下へつながるかを考えてしまいます。
 さて映画は、零戦の設計者 堀越二郎さんの半生を描いているそうです。その中で計算尺が登場するらしい。現代の若者にはこの『計算尺』なる言葉は理解できぬと思います。私など、この計算尺なる単語をネットで見たのは、10年ほど前に、「国語辞典から、計算尺の語を削除」なんて記事でしたからね。

 そんな理由で、引き出しを探したらありました。捨てられずに、計算尺3本も残っていました。同梱されていたテキストも色やけしてしまい、紙はパリパリです。だって、私が18才の頃です。大学入学に備えて、一生懸命訓練しましたです。ソロバンと計算尺の時代でしたもん。
 一番上の計算尺は研究室の机の上で使いました。研究室には、とても高価な計算機が一台だけありましたので、皆で順番を決めて、計算尺はできるだけ使わないようにしました。計算機はコンビニのレジくらいの大きさで、熱くて重くて、恐る恐る使いました。
 計算尺は計算の値、すなわち数字のならびは簡単に求められるのですが、単位を暗算しなければなりません。もう10の-(マイナス)ン乗ってのは苦手でした。中央の小さな計算尺は、サラリーマン時代の会社支給品でした。これを良く使いました。一番下の計算尺が、いわゆる練習用、試験用です。ネットで検索したら、驚いたことに、これを作った会社はまだありました。そして計算尺をいまでも作っているそうです。昭和のお話 おしまい


老害 その1

2013年07月24日 | 宗教その他
 忙しくなるとブログを書けなくなりそうだ。ボチボチ書こう。
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 しばらくすれば、私も老人なのに、なぜこのようなタイトルにしたのか、明白にしておかねばならない。私は、そうはなりたくない、絶対にならないために、書くのである。私の決意書みたいな物である。
 以前のブログ、『近頃おもうこと 2013年6月11日』は下手で解り難く、奥歯に物が挟まったようなな書き方をしてしまった。書き直そうと思った。
 私と妻は結婚生活を、戦災を免れた古い借家で始め、二年過ごした。長女を授かり、同潤会(どうじゅんかい)の雰囲気を残して、古いが丈夫そうな県営アパートに移り、長男が生まれた。田舎で一人暮らしだった母を呼び寄せ、少し広い公営アパートで子を育てた、普通の一般的男子である。普通と少しだけ違うのは、早熟だったことであろう。家庭環境は複雑だったが、幼少期はとても裕福であった。中学から親元を離れ、浪人、留年をすることなく、22才で就職、33才でフリーランサーになった。退職しても起業はせず、特殊技術を切り売りする下請と、教育に関わるアルバイトで生計を立ててきた。後悔はなく、負け惜しみかもしれないが、少しの満足感もある。
 当然ながら、良しも悪しも社会との接触が多くなり、接した人はとても多い。もし、サラリーマンを続けたとしたら、特定の職種の似たような人達との接触は多くなったと思うが、社会的地位や年齢も異なる人達と、腹を割っての付き合いはできなかったであろう。しかし、相手の心の裏側をも見ることが少なからずあり、人の恐ろしさ、醜さをも知ってしまった。
 前回のブログ(近頃おもうこと)で書いたように、JW宗教に騙されるように信じてしまった人達が悩み、指導者たる長老や、階級が上の者への苦言を吐き捨てる、いわゆる元信者が書くJWを否定するブログがネットには多い。それを読むにつれ、そのような偏屈な老人や信者は、JW信者のみならず、一般社会にもたくさんいることを、元信者や覚醒信者は知らぬ気がする。また、宗教によって、そうなったと思っている気配を感ずる。多くの老人は、押しなべて好々爺であるが、時にして、酷い老害となっているのである。
 私が哀れに感ずることは、本人がそのことにまったく気づいていないことである。さらに、烏合の衆の例えか、同じような気質を持つ人達が群れ、群れたがることである。あなたの近くで、そのようなことを感じないだろうか?。私が感じていることを書いてみようと思う。<続く>


「虫トラブル」調査

2013年07月23日 | 日記
 マイナビウーマンに掲載された「虫トラブル調査」によれば。首都圏の20歳~69歳の男女563名が、一年間で蚊に遭遇した回数は、一戸建てが13.58回、集合住宅が11.53回だった。その他にゴキブリと蜘蛛が調査されていたし、集合住宅では、階数別の結果も示されていた。
 さてこの調査の数字を見ると、遭遇回数が小数点以下2桁の表示であるが、どのような調査であったのか。調査はインターネットを使っておこなったとあるから、「あなたはこの一年間で、何回蚊に遭遇しましたか?。」であろう。一年間も記憶できないから、回答は0、1、2、5回など、まるでおおまかな数であろう。回答数563から平均値を求めることになるから、小数点以下2桁の数値になることは当然だ。しかし、おおよその数から、このような数値を生み出させることに少々疑問を感じてしまった。これも数字のマジックだ。
 それよりも、私の住むマンションでは、近ごろめっきり蚊が少なくなった。自然環境、衛生環境の変化を、ここ十年気づかないから、おおいに喜ばしいことだと思っていたら『ボウフラも棲めない空間になってしまったら、人にも少なからず被害が及んでいると思え。』と言われたことを思い出した。納得していただけに、少々薄ら寒く感ずる今日この頃だ。


カン違い

2013年07月22日 | 日記
 参議院選挙は予想通りでした。そして低調でした。仕方がありませんね、争点がありませんでしたからね。『この人に願いたい。』ってのが無く『この人では困る。』の消去法に頼らざるを得なかったです。困る人とは、大いなるカン違いをなさる人々です。自称政治家には、多かれ少なかれ、カン違いの要素をタップリ持った面々ですが、『埋蔵金伝説』や『ただちに○○』、『私の責任で』は嘘を言ったのではなく、おそらくカン違いをしてらっしゃったのでしょうね。

 さてオイラも、大いなるカン違いをしてました。カン違いは、我が家の小さな庭で群生しているオシロイバナです。夕方になると、いっせいに花が開き、オシロイのような匂いをまきます。実は黒くて硬く、しなびた豆のようです。集めてお手玉の中に入れるそうです。それらで、なぜか遊郭を連想してしまいました。だからオシロイバナだとカン違いしてました。
 名の由来は、実をつぶし、その中の澱粉質を、おしろい代わりに用いた事が、貝原益軒の書にあるそうです。近年では、女の子がおしろいに見立てて遊んだ事から、オシロイバナの名があるそうですって・・。知らなかったです。