田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

老害 その1

2013年07月24日 | 宗教その他
 忙しくなるとブログを書けなくなりそうだ。ボチボチ書こう。
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 しばらくすれば、私も老人なのに、なぜこのようなタイトルにしたのか、明白にしておかねばならない。私は、そうはなりたくない、絶対にならないために、書くのである。私の決意書みたいな物である。
 以前のブログ、『近頃おもうこと 2013年6月11日』は下手で解り難く、奥歯に物が挟まったようなな書き方をしてしまった。書き直そうと思った。
 私と妻は結婚生活を、戦災を免れた古い借家で始め、二年過ごした。長女を授かり、同潤会(どうじゅんかい)の雰囲気を残して、古いが丈夫そうな県営アパートに移り、長男が生まれた。田舎で一人暮らしだった母を呼び寄せ、少し広い公営アパートで子を育てた、普通の一般的男子である。普通と少しだけ違うのは、早熟だったことであろう。家庭環境は複雑だったが、幼少期はとても裕福であった。中学から親元を離れ、浪人、留年をすることなく、22才で就職、33才でフリーランサーになった。退職しても起業はせず、特殊技術を切り売りする下請と、教育に関わるアルバイトで生計を立ててきた。後悔はなく、負け惜しみかもしれないが、少しの満足感もある。
 当然ながら、良しも悪しも社会との接触が多くなり、接した人はとても多い。もし、サラリーマンを続けたとしたら、特定の職種の似たような人達との接触は多くなったと思うが、社会的地位や年齢も異なる人達と、腹を割っての付き合いはできなかったであろう。しかし、相手の心の裏側をも見ることが少なからずあり、人の恐ろしさ、醜さをも知ってしまった。
 前回のブログ(近頃おもうこと)で書いたように、JW宗教に騙されるように信じてしまった人達が悩み、指導者たる長老や、階級が上の者への苦言を吐き捨てる、いわゆる元信者が書くJWを否定するブログがネットには多い。それを読むにつれ、そのような偏屈な老人や信者は、JW信者のみならず、一般社会にもたくさんいることを、元信者や覚醒信者は知らぬ気がする。また、宗教によって、そうなったと思っている気配を感ずる。多くの老人は、押しなべて好々爺であるが、時にして、酷い老害となっているのである。
 私が哀れに感ずることは、本人がそのことにまったく気づいていないことである。さらに、烏合の衆の例えか、同じような気質を持つ人達が群れ、群れたがることである。あなたの近くで、そのようなことを感じないだろうか?。私が感じていることを書いてみようと思う。<続く>