田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

容疑者確保の1分後、飼い犬死ぬ

2013年07月30日 | 宗教その他
 山口県の放火殺人事件の容疑者の飼い犬が、容疑者が山中で身柄を確保された時間の1分後に心臓発作で死んだそうだ。何かしらの因縁を感ずる。今日書くのは、あのような山村集落の人の付き合いである。もしかすると容疑者寄りの意見に聞こえるかも知れぬが、決して擁護するのではない。何をおいても、彼には放火殺人の容疑がかかっていることを忘れていない。
 私は小学校6年生まで、あのような山村集落で生活していた。父が長年町議会議員を勤め、生業の材木業も栄え、何一つ不自由の無いわがままな少年であった。早熟だったかも知れぬが、村人の心は決して我が家に対して良い感情を抱いていないことを感じていた。しかし現金収入が無い山村においては、木の切り出し人夫 杣(そま)や運搬の木馬(きんば)などの危険作業は、農閑期の村人が現金を稼ぐ、一つの手段であった。作業は長期間山中に泊り込んで働いた。古く江戸から、そのような仕事はあり、雨露をしのぐだけの山小屋は、山の奥深くまで点在していた。山の地主さえ、何世代も入ったことの無い山の隅々まで、先祖からの出入りの杣(そま)が管理し、炭焼き用の雑木を無償で得たり、棲む獣を狩るには、炭や苔や山菜を、年に二度ほど地主に年貢として差し出さねばならなかった。
 ある年の冬、一つの山小屋に見知らぬ男が生活していた。捕まり、引きずり出され、村へ連れて来られたが、多くは語らなかった。子供心に記憶しているのは、男はシベリアから帰り、遠い親戚を頼って、村々を歩いている途中だったそうだ。父が役場の吏員に、男が言う名を戸籍を頼りに調べさせた結果、遠い親戚が見つかった。親戚は降って湧いた災難のように、男にいくばくかの小銭を握らせ、村を去るように迫ったが、男は村に居ついてしまった。
 男は、隠れるように山小屋を転々としながら、杣(そま)と木馬で生計をたてた。仕事の腕と度胸で、材木の切り出しの多くをその男が請け負うようになった。仕事の腕をけなされたように感じた村人の反発は激しく、山小屋の火事が二度三度起きたが、男の機敏な消火で、山火事になることはなかった。ほどなく男は、一人の女を連れて歩くようになった。女は大陸からの帰還者で、この村の出身は、女のほうだった。男は女と大陸で結婚したが、早々に男が徴兵され、捕虜となったそうだ。男には日本国籍がなかった。
 いじめぬかれた男であったが、寝る間も惜しみ働き、小さな家を作った。ほどなく小さな山を買い、材木商を始め、少しずつ大きくしていった。呼び寄せた子供は多く、十人を超えていた。子供達は父を手伝い、商売は発展した。それでも村人は、その一家を遠巻きに見るだけだった。
 男の長男が、当時の日本のスーパースターの親戚の娘と結婚することに、村人はたいそう驚いた。結婚式はスーパースターがわざわざ村へ来て、駅前でサインをしてくれた。村人全員のみならず、隣村からの大勢が、半紙や障子紙を持って駅前に集まった。
 裕福な家に育ったであろう、長男の妻は次々に子をもうけ、家業を男並みに手伝った。ある時、機械に巻き込まれ、左手の指のほとんどを失った。村人は女のくせに機械を使うからだとあざ笑った。それでも、義指を付けた女は臆せず人前に出た。しばらくして、無理がたたったのか、癌を発病し、若くして世を去った。村人は葬儀に出なかった。
 月日が流れ、二代目が歳をとった頃、我が家と同じ商売は不景気風をまともに受けた。二代目も商いを縮小しなければならなかった。しかし、二代目の子、男の孫がスポーツ界で、名を馳せるようになり、とても活躍した。引退は早かったが、今でも夫婦でテレビ界で活躍している。村人は、その有名人が村の出であることは口にしない。
 片田舎の小さな山村は排他的である。決してよそ者は受け入れない。同郷であっても、同じような境遇で、同じような財産で、決して嫉妬心に火をつけないことが共存の条件である。山村の老人達も、苦労して育てた子達が村を離れ、寂しいのだ。子供らが村へ帰り、自分を看取ってくれるなんて夢のまた夢なのだ。決して叶わぬ、はかない夢なのだ。20年前、それをいとも簡単にやってのけた男がいた。山口の容疑者である。容疑者は村人の嫉妬心に火をつけてしまった。昔を思い、少し同情する。