「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

ポーランドとドイツへの旅(その2):ニュルンベルグ裁判記念館

2019-04-06 23:17:57 | 旅の徒然に
3月31日(日)のお昼時、ニュルンベルグ裁判記念館を訪問した。

ドイツへの旅は4回目になるが、ニュルンベルグを訪問するのは今回が初めて。
ミュンヘンからドイツ国鉄版新幹線のICEに乗り1時間余で古都ニュルンベルグ駅に到着。
駅近のホテルに荷物を置き、市内交通の1日乗車券(一行3人分が1枚で済むグループ乗車券)を買い、
まずは地下鉄(Uバーン)経由で現地へ。

ベーレンシャンツシュトラーセ駅から記念館まではものの1、2分。
駅にある周辺地図もわかりやすいし、行先表示の看板もしっかりあるので迷うことはない。
現在も現役の裁判所なのだが、裁判のない時(もちろん週末も)は
ニュルンベルグ裁判が行われた600号法廷の見学も出来る。
残念ながら日本語のものはないが、英語のオーディオガイドは大変充実している。
そして、記念館の展示は、大変考え抜かれたものに思われた。

展示は、あの「ゲティスバーグの戦い」の犠牲者の写真から始まる。
(※リンカーンの「人民の、人民による、人民のための政治」との一節、
つまりは民主主義の理念についても、どこかでイメージさせようとしているのだろう。)

赤十字の創設者、『ソルフェリーノの思い出』のアンリ・デュナンの肖像写真もある。
戦勝国による敗戦国の責任追及、いわゆる「勝者の法廷」とは全く違うレベルで、
つまりは世界史的文脈から、戦争と平和の問題、あるいは戦争と文明の問題を語ろうというのだから、
東京裁判史観批判とか言って悦に入っているどこかの国は、足元にも及ばないスケール感。
(そもそも、東京裁判について、日本また東京には、まともな記念館一つないんだよね。)

被告、判事団、検事団、弁護団、さらには証拠集めや証人喚問、等々についての説明は当然のこと、
翻訳に通訳という国際裁判には不可欠な膨大な事務作業についても、
相当の分量で説明をしている。良く練られた展示だなぁ、と思うのみ。

東京裁判についても触れられているが、それは当然のこととして。

ニュルンベルグ裁判で形づくられたいわゆるニュルンベルグ原則が、
その後の、ルワンダや旧ユーゴでの虐殺の責任を問う国際司法裁判所へと引き継がれたこと、
というよりも、このニュルンベルグ裁判が国際の正義に向けた一つの過程であったことと整理し、
加害者としての自国と自国民を否定することなく、
歴史の流れの中で、前向きな貢献につながる一つの大きな節目であったとであったとして、
一つの前向きな意味があったのだ、と整理していることに、大きな感銘を受けた。

3時間くらいはいたと思うが、どうにも時間は足らない。
しっかりと事前勉強をした上で、オーディオガイドを何度も聞き返しつつ、
ニュルンベルグ裁判って何だったのかをしっかり見つめるような、
そんな旅をもう一度したい、と、強く思った次第であった。

もちろん、このように、冷静な議論が可能になるのは、相当の時間を要している。
それでも、あったことをなかったことにするような、そんな情けないことは全くしていない。
同じ敗戦国でありながら、ここまでの差がついてしまったこと、
どう考えても追いつきようのないほどの差がついてしまった理由は、一体何なのだろう。

(4月8日、さかのぼってアップ)