「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

【大阪府北部の地震から何を学ぶか(その4)】

2018-08-04 21:00:05 | 大阪府北部の地震
私は、1989年(平成元年)、自衛隊の災害派遣をテーマとする公務員研究者として、
防災の世界に足を踏み入れました。
つまり私は「予防・対応・復旧」という防災の三本柱で言えば、
最初は、災害対応のあり方を考えるという観点で、防災の世界に取り組んでいた訳です。

2000年、現在の常葉大学社会環境学部の前身である富士常葉大学環境防災学部に着任、
片手間防災人から、フルタイムで防災を教え学ぶ大学人となった訳ですが、
直接的には2001年3月と8月のネパール・カトマンズ滞在時、災害対応の限界を思い知らされました。
それを契機に、災害対応から災害予防へと関心が移り、
「予防に勝る防災なし」「予防の基本は立地と構造」という主張をするようになり、今に至っています。
この予防、あるいは立地や構造へのこだわり、まちづくり、人づくりが、
私の主戦場である、と思い定めていますが、それはそれとして。

では、三本柱の残りの一つ、災害からの復旧は?また復興は?
自らの責によらず被災した者への「寄り添い」は、どうなるのでしょう?

被災者への「寄り添い」と言えば、今は亡き黒田裕子さんを思い出します。
その黒田さんと親しく議論する関係であったにもかかわらず、未だに私は、
この「寄り添い」に一義的な重みを置くことが出来ずにいます。
防災の受益者はつまるところ普通の市民である。そのことは十二分にわかっているはず、なのですが……。

そんな私ですが、大阪府北部の地震では、被災者支援に熱心に取り組む防災仲間の活躍を見て、
やはり、被災者支援and/or「寄り添い」の枠組みについて、考えざるを得ませんでした。
キーワードは「グレーゾーン」です。

今回の地震では全壊家屋は極めて少なく(当初数日はゼロで後に4棟に修正)、
建物被害の圧倒的多数は一部損壊でした。

一部損壊にも幅があるとはいえ、
基本的には被災者自身の財力で(=公的支援がなくても)補修可能な程度の被害、というのが、
一部損壊の「裏の定義」となる訳です。
災害救助法に定める住宅の応急修理も、その対象は原則として半壊または大規模半壊の被害を受けた住宅です。
一部損壊では、被災者生活再建支援法の対象にもなりません。
(ただし自治体が独自の考えと独自の財源により支援策を行うことは可。)。

ですから、被災直後から、屋根瓦が落ちた家々への支援をどうするか、
具体的には、ブルーシート貼りで当座はしのぐとして、その先、
独力では屋根瓦の葺き直しが厳しい生活水準の方々への支援をどうするか。
関係者の間では大いに議論になっていました。

日本家屋には、揺れることで屋根土とその上に置かれた瓦が落ち、
そのことでトップヘビー状態を脱して建物の倒壊を防ぐ、という耐震性確保のメカニズムがあります。
(余談ですが、2007年の新潟県中越沖地震の被災地では、
強風で瓦屋根が飛ばないようにと瓦をしっかり固定してしまったがゆえに、
屋根の三角形をそのまま維持した状態で倒壊した日本家屋を数多く見ました。)

今回の地震で屋根瓦が落ちた家屋が相当数発生したことは、
日本家屋の耐震性確保のメカニズムが設計図通りにしっかり機能したことを意味します。
ですので、それはそれで歓迎すべきことではあるのですが、もちろん、
屋根瓦を葺き直さなくてはそこから家屋の痛みが生じてしまいます。
しかし、葺き直し費用の数十万円を出す経済力に欠ける社会層に対して、
少なくても全国一律の資金提供の仕組みは存在しません。
(生活資金貸付等の貸与の仕組みはあります)。

「被災者に寄り添う」という観点からすれば、
これらの方々の苦境を、「自助努力の範疇だろうに」と切って捨てる訳にもいかないでしょう。
ただ、これらの方々、つまりグレーゾーンの方々への支援の仕組み作りは防災・災害対策の範疇なのか、
そこは社会福祉地域福祉の範疇ではないのか。そう思ってしまった訳です。

「災害は貧しい者によりつらく」。

この格言通り、地震での被害は一部損壊レベルとはいえ、
しかるべき支援の手を差し伸べないとその後の風雨で被害のレベルが深刻化してしまう方々は、相当数おられます。
とはいえ、単純に災害救助法の特別基準を申請すれば良い、というようなものではないでしょう。

仮に、「背中を押すための支援」「専門職ボランティアや建築専攻の大学生高校生の実習機会との合わせ技」含みで、
1棟10万円の税金投入の仕組みを作るとしましょう。
今回の地震はさておき、南海トラフ地震で300万棟が一部損壊になればこれだけで3000億円の財源が新たに必要となります。
このようなアイディアは問題解決につながるのか。あるいは根本的な方向性が間違っているのか。

この地震以来、ずっと考えています。