<青森県立美術館>
「思考」「思索」などという言葉を聞きますと、
たいていの人はひとつの問題について、
あれこれと「悩む姿」を思い浮かべるかもしれません。
かくいう私なども、興味のあるテーマについて
考えているだけで、「そんなに深く悩まなくても」
「気にしても仕方がないじゃない」などと
周囲からダメ出しされることも多いのですが、
基本的に「考えること」と「悩むこと」は別物でして、
自分で自分の心を傷つけるような妄想でない限り、
それは人間にとって必要不可欠な
「生存本能」だと個人的には感じております。
昨日も書きましたように、縄文の人たちは
決して「情熱」や「直感」のみに
頼って生きていたわけではなく、
その場その場で持っている「思考力」を
フル回転させながら、最も適切な選択肢を
選び取っていたのような気がするのです。
周囲の状況や相手の思い、
天候の異変や動物の動き……等々、
視線を向けた対象に深くコミットし、
正確に現状を把握できていたからこそ、
現代人をもうならせる造形へのセンスや、
過酷な環境にも対応し得るサバイバル力を
身につけられたのでしょう。