<荒神谷遺跡>
出雲の荒神谷遺跡および
加茂岩倉遺跡から出土した青銅器のうち、
出雲製と推定される銅剣のほとんどと、
近畿製と推定される銅鐸の一部に
「×」印がつけられている一方で、
北部九州製と推定される銅矛には、
「×」印が刻印されたものはありませんでした。
これらのデータを踏まえれば、
北部九州産の銅矛には「×」印、
つまり「荒神の証」を付ける必要がなかった、
という意味にも受け取れますね。
同様に、出雲産の銅剣の14本と、
近畿産銅鐸の31個にも、
「荒神の証」が見られないことから、
これらを持ち込んだ(あるいは提供した)一族は、
何らかの理由で「荒神」への信仰を
放棄したとも想像できます(逆もしかり)。
つまり、出雲に危機が迫り、
各地の「イズモの国々」が出雲へと集結する中で、
「相手側」に恭順することを選んだ一族と、
最後まで出雲のために戦った一族とを区別するために、
荒神を意味する「×」印を
刻んだのではないかという妄想が、
個人的には沸き上がってくるのです。