たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

交錯する文化圏

2020-09-23 09:27:50 | 古代の出雲

<荒神谷遺跡>

 

荒神谷遺跡が発見されるまで、

考古学者の間では「銅鐸と銅矛は

一緒に出土しない」という説が一般的でした。

何でも、青銅器の出土量が少なかった時代は、

銅矛は主に北九州周辺、

銅鐸は近畿から東海地方の地域……と、

それぞれ単独で出土する傾向が見られたため、

銅矛・銅剣文化圏と銅鐸文化圏という二つの文化圏は、

決して重ならないと考えられていたのだとか……。

しかし、荒神谷遺跡の一件などにより、

これらの説は否定され、銅矛・銅剣祭祀と

銅鐸祭祀の両方を行う地域の存在が

明らかになったと聞きます。

 

そんな、考古学界の常識に一石を

投じた出雲の荒神谷遺跡ですが、

出土した青銅器はそれぞれ、銅剣が出雲製、

銅矛が北部九州製、銅鐸のほとんどが

近畿製(加茂岩倉遺跡も同様)でした。

このことから、出雲国が西日本の各地と

強い結びつきを持っていたことはもちろん、

西日本の各地から青銅器を管理する

「一族の長」レベルの人々が、

この地に集まって来た可能性が伺えるのです。

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