<出雲市大社町>
東の果ての鹿島神宮は太平洋に向けて、
そして西の果ての出雲大社は日本海に向けて、
まるで「海からの侵入者」ににらみを利かせるように、
神たちの目線は海の方向を凝視していました。
鹿島神宮と出雲大社という二つの古社が、
本殿・神座の配置をこのような形に決めた理由とは、
もしかすると天津神と国津神の相克、
あるいは古代氏族の間で起きた争い……、
などの理由だけではなかったのかもしれません。
それは恐らく、「のちの世の日本人」を守護するために、
古代のある時期に施された壮大な仕掛けだったのでしょう。
もちろん、記紀神話が示すように、当時の人々の間で
凄惨な争いの歴史があったことは事実ですが、
国津神と呼ばれる神々(およびその御霊を宿した人々)が、
言うなれば人柱となって日本を支えることで、
「海の向こうからの侵略」を防いだのだと思われます。
ここ数年、鹿島神宮の周辺では地震が相次ぎ、
また今春には、出雲の隣の大田市付近を
震源とする震度5強の地震が起こりました。
また、これらの二社だけに限らず、
全国各地の「国津神に縁する土地」で、
立て続けに地震などの天災が発生しています。
長い長い眠りから覚めた国津神という名の神々は、
身を挺して守ろうとした後世の日本人の姿を、
いったいどのような思いで見つめているのでしょうか……。