***** 神社と災害 No.81 *****
名草戸畔と「山の民」の関係がどうしても気になり、
あれこれと探ってみたところ、
丹生都姫命というキーワードにぶつかりました。
先日の記事内でも、「丹生都比売神社の
祖先神(神社を創建した人たちの祖先)は
名草彦・名草姫だった」と記したように、
もともと深いつながりを持つ両者ですが、
実は名草戸畔は「丹生都姫命の子孫」、
あるいは名草姫(名草戸畔?)の婿は
「丹生都姫命の御子・名草比古」
だったとも考えられるのだとか……。
まあ、ネタの信憑性や時系列の前後はともかく、
これらの説が唱えられるということは、
少なくとも「鉱山の神」である
丹生都姫命と名草戸畔が、同じ役目を
共有する人物だったようにも感じられます。
ちなみに、丹生都姫命の出自はと言いますと、
江南の呉王国の王女(大日女姫と稚日女姫)
の妹として生を受けたものの、
戦乱により国を追われたため、
新天地を求めて南九州に上陸し、
その後中央構造線に沿って
和歌山にたどりついたとのこと。
それらの話を踏まえれば、名草戸畔も
スンダランド由来の海人族ではなく、
「龍蛇信仰」とともに来日した
呉越系渡来人の可能性もありそうですね。
【参考サイト】
神奈備