***** 神社と災害 No.80 *****
中央構造線をテーマにした
記事を書いているつもりが、
またまた名草戸畔の深みに
はまっている今日この頃ですが、
今しばらく古代の名草近辺の「妄想」
にお付き合いいただければ幸いです。
一説に、名草の人々のルーツは、
「スンダランド由来の九州縄文人ではないか」
という話があります。何でも、スンダランド
(現在のフィリピン・インドネシア・マレー半島)
のあたりから黒潮に乗って来日した人々が、
鬼界カルデラの大噴火の影響で九州に住めなくなり、
海を渡って和歌山に移住してきたとのこと。
これらの話は、『名草戸畔 古代紀国の女王伝説』
内の「小野田氏の証言」とも一致するため、
個人的にも可能性大の説として支持しておりました。
ただ、先日も書いたように、名草戸畔周辺に漂う、
濃厚な「山の匂い」がどうしても記憶に残っているため、
「名草戸畔=海人族」という結論をひとまず保留して、
他の可能性も探ってみたところ、
たどり着いたのが名草戸畔と丹生都姫命
(丹生都比売命)との深いつながりだったのです。