たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

封印の型

2020-11-22 10:44:21 | 神社と災害

 

***** 神社と災害 No.84 *****

昨日、名草戸畔が「土蜘蛛」の一派

であるという説をご紹介しましたが、

「土蜘蛛」の本拠地としても知られる、

奈良県の葛城一言主神社には、

土蜘蛛塚という小さな塚があります。

何でもこの塚は、神武天皇が

土蜘蛛を捕え殺害したのち、

彼らの怨念が復活しないように

頭、胴、足と別々に埋めた跡なのだそう。

つまり、一言主神社の土蜘蛛と名草戸畔は、

同じような葬られ方をしていたわけで、

ある意味「土蜘蛛」に対する封印の型として、

このような処置を施した可能性も

否めないわけですね。

 

これまで、名草戸畔の遺体を

3つに分けて埋めた理由として、

主に南方由来の「ハイヌヴァレ型」

の伝承と結び付けて考察してまいりました。

ただし、葛城山の土蜘蛛に「ハイヌヴァレ型」

の伝承は残っていないことなどを考えると、

単に名草の人々が「五穀豊穣」を願うためだけに、

名草戸畔の遺体をバラバラにした

とは考えにくくなるもの。

もしかすると、名草戸畔という存在は、

南方由来の海人族の首長ではなく、

別の目的のために名草に移住した

「土蜘蛛」だったのでしょうか……。

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