たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

イメージの転換

2020-11-21 10:41:25 | 神社と災害

 

***** 神社と災害 No.83 *****

神武一行との争いにより

名草戸畔が戦死したとされるのが、

「クモ池」と呼ばれる場所でした。

ここは名草一族の本拠地でもあり、

名草戸畔はその池の名前から

「土蜘蛛」の首長だったという説もあります。

土蜘蛛と言いますと、山中深くの横穴式住居

で暮らす鉱山労働者のイメージが強く、

海辺を拠点とした名草戸畔とは

かけ離れた存在のように感じられますが、

「戸畔=先住土着の女酋長」という見方をすれば、

ある意味彼ら(彼女ら)も

土蜘蛛だったと言えるのかもしれません。

 

ちなみに土蜘蛛という名称は、

大和朝廷側が名付けた「蔑みの意味」

を含む名称でして、神武東征の件においても、

天皇側に反発した八十梟帥や兄磯城、

あるいは天皇側に恭順した井氷鹿や石押分之子

などのいわば「土蜘蛛」と呼ばれる土着民が、

物語の準主役的なポジションを担っております。

仮に、名草戸畔が「土蜘蛛」の一派だったと

想像するなら、名草戸畔の中からますます

「南方の香り」が薄まって行くような気がするのでした。

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