<たつの市・龍野公園>
昨今、何かと話題の多い「相撲」の世界ですが、
記録上最古の取り組みとされるのが、
垂仁天皇7年(紀元前23年)7月に、
宮中で催された野見宿禰と当麻蹶速の一番です。
結果は、野見宿禰が当麻蹶速の腋骨と腰を折り、
息の根を止めたため野見宿禰の勝利。当時の相撲とは、
いわゆる生死をかけた文字通りの死闘だったのでしょう。
また、現在の大相撲のしきたりや力士の所作、
土俵上空の「社の屋根」を模した吊るし飾り
などからもわかるように、元々相撲は神事であり、
七夕の行事に付属した余興のひとつとも言われています。
なぜ、七夕に宮中で相撲が行われたのかに関しては、
ここでは詳しい考察は省きますが、
いずれにせよ当麻蹶速との勝負に勝った野見宿禰が、
のちに殉死の風習を禁じるようなルールを作ったことに、
野見宿禰の稀有な才覚を垣間見る次第。
以前記事にした、古代能登人と鬼とのやり取り同様、
そこには「人柱」という悪習から人々を守ろうとする、
縄文人の精神性が見え隠れしているような気がするのです。