たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

野見宿禰と相撲

2019-04-24 09:50:18 | 鉄の神々1

<たつの市・龍野公園>

 

昨今、何かと話題の多い「相撲」の世界ですが、

記録上最古の取り組みとされるのが、

垂仁天皇7年(紀元前23年)7月に、

宮中で催された野見宿禰と当麻蹶速の一番です。

結果は、野見宿禰が当麻蹶速の腋骨と腰を折り、

息の根を止めたため野見宿禰の勝利。当時の相撲とは、

いわゆる生死をかけた文字通りの死闘だったのでしょう。

 

また、現在の大相撲のしきたりや力士の所作、

土俵上空の「社の屋根」を模した吊るし飾り

などからもわかるように、元々相撲は神事であり、

七夕の行事に付属した余興のひとつとも言われています。

 

なぜ、七夕に宮中で相撲が行われたのかに関しては、

ここでは詳しい考察は省きますが、

いずれにせよ当麻蹶速との勝負に勝った野見宿禰が、

のちに殉死の風習を禁じるようなルールを作ったことに、

野見宿禰の稀有な才覚を垣間見る次第。

以前記事にした、古代能登人と鬼とのやり取り同様、

そこには「人柱」という悪習から人々を守ろうとする、

縄文人の精神性が見え隠れしているような気がするのです。

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