<埴輪資料>
近年注目を浴びている「縄文時代」の中でも、
特に若い女子を中心にブームになっているのが「土偶」です。
一般的に土偶は、女性や妊婦の形象が多いことから、
「多産」「豊饒」「命の再生」等を
祈る目的で制作されたといわれますが、
古墳時代に普及した埴輪に関しては、
古墳の副葬品としての意味合いが強く、
その数を増やすことで権力者の力を
誇示しているなどの話を聞きます。
ただし、埴輪だけでなく土偶に関しても、
「人間の身代わり」として造られた側面がありますし、
どちらも「死」や「葬送儀礼」と切り離せない
焼き物であることは間違いないのでしょう。
もし仮に、野見宿禰が「死と再生の儀式」
に通じた祭祀者であり、大和から出雲へ帰還する途中、
あえてたつの市付近に立ち寄るルートを選んだとすれば、
この地の権力者とつながりがあったか、
この地に縁者が暮らしていた可能性が大です。
もしかすると、それらの人々とは、
たつの市一帯で太陽祭祀や葬祭儀礼を執り行うと同時に、
備前の地に「印部焼」の技術を伝えた
忌部氏(およびその関連氏族)だったのでしょうか……。