<備前市・忌部神社 いんべじんじゃ>
葬儀を行う際、亡くなった方の御遺体を
荼毘にふすための火葬場を、
「斎場(さいじょう)」と呼びますが、
もともと斎場とは祭祀を行う場を指し、
神聖な場所を意味する言葉でした。
忌部氏がのちに「斎部」と改姓したのも、
「斎」という文字を使うことにより、
自らの氏族の属性を強調したとも想像できます。
中臣氏(藤原氏)との主導権争いにおいて、
「忌部氏こそが斎場を取り仕切る氏族だ」という自負が、
「斎」の文字から浮かび上がってくるのですね。
考えてみますと、忌部氏の「忌」という文字も、
人間の死や葬儀と関わる言葉ですし、
天皇の「死と再生の儀式」、
つまり葬送の儀を執り行うことこそが、
祭祀氏族の主たる役目だったのでしょう。
そこで思い出すのが、先日記事にした野見宿禰、
そして野見宿禰が考案したとされる
「埴輪」を使った埋葬法です。
恐らく野見宿禰という人物は、相撲という
「大地を鎮める神事」を執り行うだけでなく、
埴輪を依り代とした「死と再生の儀式」
に通じた祭祀者だったのかもしれません。