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たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

イソタケル

2019-01-19 09:27:07 | 出雲の神社

<大田市五十猛町>

 

日本書紀に記される「イソタケル」という神様が、

朝鮮半島の新羅を経由して上陸したとされるのが、

大田市の五十猛町の海岸だったと言われています。

「樹木の神」として知られるイソタケルは、

紀伊の国(和歌山県)を守護する神々の一柱ですが、

全国で最もイソタケルをご祭神とする神社が多いのは、

実はここ島根県だという話を聞きました。

 

ちなみに、以前は五十猛町を「磯竹」と表記し、

町内には畑井、畑中、畑谷……など、

渡来系部族である秦氏の「畑(秦)」

を冠した地名が点在しているそうです。

「磯」も「竹」も渡来人との縁が深い言葉ですし、

山陰一帯には徐福の口伝も残りますから、

この地と朝鮮半島とがごく親密な関係を

築いていたことは確かなのでしょう。

 

恐らく、朝鮮半島から移住してきた人々の大半は、

「朝鮮半島に渡った日本人の帰国者」であるか、

「朝鮮半島を通過してきた大陸の人」だったはずです。

「竹」を持ち込んだ「磯の人」である彼らは、

スサノオへの信仰心が強かったため、

「スサノオの子」とも呼ばれていたのかもしれません。


スサノオの出自

2019-01-18 09:23:09 | 出雲の神社

<韓神新羅神社 からかみしらぎじんじゃ>

 

「新羅国のソシモリにいた」という日本書紀異伝の内容を元に、

「スサノオは朝鮮由来の神」と憶測する声は絶えません。

ただ、「この地(新羅)にはいたくない」という言葉を残し、

スサノオが日本にやってきたことを考えれば、

「スサノオは朝鮮とは無関係」という事実を、

逆説的に強調したと考えても不思議ではないでしょう。

恐らく、スサノオたちは朝鮮半島を経由してきただけであり、

それ以前は「グロ」とも関連する別の国にいた可能性が大です。

 

仮に、スサノオ(およびイソタケル)が

朝鮮半島に滞在していた期間があったとしても、

古代の日本が統治していた日本と縁の深い場所にいたか、

または一時的な渡航だったのだと思われます。

日本書紀の編纂者があえて「新羅」という文言を挿入したのは、

スサノオ自体が朝鮮の神だと言いたかったわけではなく、

スサノオを信仰する人々が、朝鮮半島を通過して

上陸した事実を書き残したかったのかもしれません。


韓国伊太●神社

2019-01-17 09:13:02 | 出雲の神社

<揖夜神社 いやじんじゃ>

 

調べたところによりますと、出雲の一帯には、

韓国伊太●神社(からくにいたてじんじゃ)という名の

イソタケルをご祭神とする社が6社ほどあるそうです。

(伊太●の●は「氏」の下に「一」)

「いたて」とはイソタケルの転訛とも、

射楯神を指すとも言われておりますが、

それらの社が創建された経緯や、

正確な名前の語源はわかっておりません。

 

山陰という地理的条件を考慮しても、

このあたり一帯が古代の朝鮮半島と

深いつながりを持っていたのは明らかで、

この地に上陸したスサノオとイソタケルが、

朝鮮半島を経由してやってきたという話も、

あながち史実とはかけ離れていないのでしょう。

 

しかし一説に、韓国伊太●神社と呼ばれる社は、

「新羅の脅威から国を守るために建立された」神社で、

鎌倉時代に元寇の乱が起きた際などは、

出雲付近の海岸にも防砦が築かれたと聞きます。

それらの歴史を元に推測するならば、

韓国伊太●神社に祀られたイソタケルは、

敵対する韓国(からくに)の神ではなく、

朝鮮半島に対抗する形でお祀りされた

日本由来の神だった可能性も出てきますね。


園神・韓神

2019-01-16 09:04:30 | 出雲の神社

<漢國神社 かんごうじんじゃ>

 

大田市五十猛町にある韓神新羅神社の

「韓神」という文字を見たとき、

その昔、宮中で祭祀されていた

「園神」「韓神」を思い出しました。

平安京の内裏にあった「園神社」「韓神社」には、

それぞれ園神、韓神という神様がお祀りされており、

一説に園神は大物主神、韓神は大己貴命と

少彦名命を示すと言われているものの、

はっきりとした由来はわかっておりません。

 

もともと、園神・韓神の二神は、

奈良の漢国神社のご祭神ですが、

宮中へと移されたのちに

平安京の遷都とともに廃絶したため、

現在は皇居においてひっそりと

祭祀されているのだとか。

特に、藤原不比等との関連が囁かれる「韓神」は、

その字面から「朝鮮系の渡来人によって

日本国が造られた」という、

一部の人々の推論を後押しするような存在です。

 

天皇自らが「韓」と名のつく神を祀る

という謎はさておき、「韓神」の起源をたどると

藤原氏に行き着くのであれば、日本書紀があえて

スサノオの出自を匂わせた経緯が気になります。

わざわざ「新羅」という地名を明かした後に、

それを否定するような文章をつなげた背景には、

いったいどのような理由があったのでしょうか……。


新羅から来た神

2019-01-15 14:01:41 | 出雲の神社

<韓神新羅神社 からかみしらぎじんじゃ>

 

***** 出雲の神社1 *****

日本書紀の別伝によりますと、

天上界を追放されたスサノオは、

新羅から出雲の鳥上山へと降り立ったそうです。

スサノオがどのようなルートで日本へ渡って来たか、

日本書紀にははっきりとした記述はないようですが、

「スサノオとその子・イソタケルが上陸した」

との伝承が伝わる大田市の五十猛という地には、

韓神新羅神社という名の神社が鎮座しておりました。

 

この神社には、「グロ」呼ばれる、

円錐形の小屋を使用した珍しいお祭りがあり、

毎年小正月になると、浜辺にグロを建てて、

その年の豊漁や無病息災を祈願すると聞きます。

何でも、新羅から渡って来たスサノオたちが、

「木や草を用いた風通しのよい住居の作り方」を

教えてくれたことへの感謝として始まったのが、

このグロというお祭りの起源なのだとか。

 

孟宗竹を骨組みにして組み立てられたグロが、

古代イスラエル人が神事を行っていた仮屋や、

古代エジプトの船などとよく似ていることからも、

恐らく、この地方一帯に大陸からの渡来人が、

住み着いていたことは間違いないのでしょう。

もしそうだとすれば、国津神と深い縁を持つ

スサノオそしてイソタケルという神々は、

やはり「新羅から来た神」だったのでしょうか……。