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たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

ザ・矢倉神社

2017-03-14 10:22:16 | 無社殿神社1

<峯・矢倉神社 みねやぐらじんじゃ>

 

峯・矢倉神社へと続く参道の入り口は、

とてもわかりにくい場所にありました。

民家に隣接するようにして作られた石段を、

遠慮がちに登って行くと、たどり着いたのは、

「ザ・矢倉神社」とでもいうべき苔むした祭壇の前。

両脇には二基の石灯籠と崩れかけた木の祠が、

大きな磐座を守るようにして置かれています。

 

一説によればこの神社は、

「嶽の森(だけのもり)山」へと続く、

山岳修行のルートの出入り口にあたり、

かつては嶽の森山の遥拝所でもあったそうです。

恐らく熊野の修験道場のひとつとして、

昔からよく知られた場所だったのでしょう。

神社のふもとには、当時の名残と思われる

「薬師堂」が建てたれていました。


気になる道

2017-03-13 10:19:23 | 無社殿神社1

<峯・矢倉神社 みねやぐらじんじゃ>

 

古座川町の山中にある無社殿神社を見つけるべく、

「峯」という集落までたどり着いたものの、

神社の場所を示すような案内板はもちろん、

頼みの綱である地元の人さえ見つかりません。

かろうじて「人の匂い」を嗅ぎ取った民家の前で、

神社の場所を聞くべく声をかけてみても、

留守なのか単に呼びかけの声が聞こえないのか、

家の中から人が出てくる気配は皆無です。

 

そんな八方ふさがりの状況の中で、

私の訪問に対応してくれたのは、

その家で飼われていた大型犬でした。

決して歓迎の意ではないとは思いますが、

ふいにあらわれた来訪者(不審者?)に向かい、

山全体に響き渡るような声で吠え続けます。

無駄だとは知りつつも犬をなだめようと、

犬小屋のある方向へと歩き出したとき、

ふいに民家の裏山を横断する

「気になる道」を発見したのです。


気配のない集落

2017-03-12 10:14:32 | 無社殿神社1

<古座川・峯地区>

 

古座川町の峯という集落には、

以前は6軒ほどの世帯があったようですが、

今では2軒ほどのお宅が残るだけだと聞きます。

そんな隠れ里のような集落へと足を踏み入れ、

まず目に入ったのが主を失った住居の跡でした。

隣には、工場らしき建物が残っているものの、

一見してひと気がないことがわかります。

 

どこにあるかすらわからない神社を目指し、

集落の間を縫うようにして作られた小道を、

さらに山のほうへと歩いていきますと、

たどり着いたのは一軒の民家の前でした。

庭の隅にある犬小屋からは大型犬が顔を出し、

玄関脇の物干し台には「人の営み」を示す

洗濯物がハタハタと風に揺れています。

 

しかし、神社の場所を教えてもらおうと、

庭先から声をかけてみたものの、

誰もいないのか何の返答もありません。

何度か大声で叫んでみたのですが、

人が出てくる気配はないようです。

 

地元の人の案内がなければ、

到底たどり着ける場所ではないため、

「どうしたものか」と途方に暮れていると、

犬小屋にいたはずの大型犬が、

私に向かって激しく吠え始めたのです。


峯地区

2017-03-11 10:11:10 | 無社殿神社1

<古座川・峯地区>

 

今回、熊野の無社殿神社を巡るにあたり、

距離や立地など諸々の条件がかみ合わず、

参拝を見合わせた場所は多々あります。

古座川から山間部へと深く分け入った

「峯」という地区にあるその神社も、

往復と参拝の時間を合わせて、

軽く1時間は取られてしまうため、

泣く泣く候補地から除外していた場所でした。

 

ただ、こうした絶妙なタイミングで、

この神社の資料を提示されてしまった以上、

無視して通り過ぎるのは少々ためらわれます。

幸いその日は朝から天候にも恵まれ、

また時間にも余裕があったことから、

予定にはなかったその場所へと、

急きょ車を走らせることに決めたのです。

 

「峯」へと向かう曲がりくねった山道は、

車一台通るのがやっとの道幅で、

ところどころ小さな落石があったり、

枯れ枝が道を塞いでいたりしたため、

慎重なハンドルさばきが必要でした。

ただ、道路自体はきちんと舗装されており、

午後の陽ざしが差し込む周囲の森が、

車道を照らすように明るく輝いています。

 

細い山道を10分程度走り切り、

四方を取り囲んでいた木立のカーテンが開けると同時に、

突如として集落らしき場所が目の前にあらわれました。


予定外の場所

2017-03-10 16:10:11 | 無社殿神社1

<古座川・峯地区>

 

古座川の中流にある洞尾という地区で、

次の参拝地を確認すべく地図を開いたとき、

今回の旅の予定には入れていなかった、

山奥の無社殿神社に関する資料が、

私の足元にハラリと落ちてきました。

 

その神社は、数ある無社殿神社の中でも、

特に興味を惹かれた場所のひとつだったのですが、

国道から離れていて往復に時間がかかること、

細い山道を登って行かなければならないこと…、

などの理由で、やむを得ず候補から外していたのです。

 

ゆえに、その神社に関する情報は、

すっかり頭から消えていたものの、

やはり先ほどのできごとは気になります。

念のためナビで地図を確認してみたところ、

偶然にもその神社は、次の訪問先への道すがらに位置し、

現在地からさほど離れていない場所にあることがわかりました。


限界集落の神社

2017-03-09 16:04:41 | 無社殿神社1

<古座川・峯地区>

 

空神を祀るといわれる、

洞尾・矢倉神社 への参拝を終え、

次の目的地に向かうべく、

カバンから地図を取り出そうとしたとき、

一枚の紙がヒラヒラと足元に落ちてきました。

 

たくさんの資料の中から、

確認を念押しするかのようにすべり落ちた、

その一枚の用紙にプリントされていたのは、

これまで訪れた神社でもなければ、

これから訪れる予定もない神社の写真です。

 

「いったいどこの神社だったろう…」

と疑問に思いながら、添えられた文章を読むと、

それは今回の旅のリストには入れなかった、

とある神社に関するものでした。

 

限られた日程の中で、効率よく神社を巡るには、

どうしても外さざるを得ない場所が出てくきます。

ましてや、神社の位置さえ不確定なケースとなると、

予定通りに参拝できるかどうかすら難しいものです。

 

そのとき目前に示された一枚の資料に写っていたのは、

山間の集落からさらに細い山道を登ったところにある、

世帯数わずか2軒の限界集落の氏神でした。


くう・そら

2017-03-08 10:53:13 | 無社殿神社1

<洞尾・矢倉神社 うつおやぐらじんじゃ>

 

洞尾・矢倉神社の前の空き地に車を停め、

目の前の小高い山のほうへと視線を送ると、

山の斜面を這い上がるようにして伸びる石段に、

多種多様な苔が覆いかぶさるようにして、

折り重なっているのが見えました。

山の上には昭和の時代に作られた、

簡素な造りの社殿が鎮座しています。

 

きっと、このお社が建てられるまで、

石段の下から見上げる先にあったのは、

深い鎮守の森とその向こうに広がる

「空(そら)」だけだったのでしょう。

この神社に祀られている「空神」が、

何を示しているのかはわかりませんが、

きっとこの地の人々は、豊かな自然の中に、

「空(くう)」を見ていたのかもしれません。


空神

2017-03-07 10:50:35 | 無社殿神社1

<洞尾・矢倉神社 うつおやぐらじんじゃ>

 

熊野の矢倉系神社について調べていますと、

ときおり「空神」という記述に出くわします。

一説には「天狗」あるいは「天から降る神」

を示す言葉だともいわれますが、

私自身が「空神」という言葉を聞いたときに、

真っ先に頭の中に思い浮かんだのが、

「神社は空間をお祀りする場所」という話でした。

 

私たちが普段、神社参拝の折に手を合わせているのは、

「拝殿」と呼ばれる建物で、神様が祀られているのは、

そのさらに奥にある「本殿」の中です。

一般人はもちろん神職でさえ、特別な神事以外には、

滅多に立ち入ることのできないこの本殿は、

何も置かれていない空っぽの建物だと聞きます。

 

私たちが日々熱心に祈っている対象は、

「何もない空の空間」だったわけですね。

よい神社である必須条件のひとつが、

この「空っぽの部屋(本殿)」が、

清浄に保たれているかどうかなのです。

昔の人たちは、神様が「空」であることを、

当たり前のように知っていたのでしょう。


宝大神森

2017-03-06 10:50:03 | 無社殿神社1

<洞尾・矢倉神社 うつおやぐらじんじゃ>

 

紀伊続風土記の洞尾村の条には、

『 宝大神森 村中にあり社なし空神を祭るといふ 』

と記されているそうです。

このことから洞尾・矢倉神社は、

もともと宝大神森(たからおおかみのもり)と呼ばれ、

「空神」を祀っていた場所だったことがわかります。

 

古来、「浮宝」とも称された木は、

紀の国を潤す「財宝」でした。

洞尾・矢倉神社の周辺には、

船材に適した クスノキの大木がたくさん植生していたため、

山仕事に従事する人も多かったそうです。

 

宝大神森という古い名称も、「お宝を生み出す森」

への感謝を込めた呼び名なのでしょう。

現在も神社近くには、木の加工場があり、

木とともに暮らす人々の生活を、

宝の山にいる神様が見守っていました。


うつお

2017-03-05 10:43:41 | 無社殿神社1

<洞尾・矢倉神社 うつおやぐらじんじゃ>

 

滝の拝から古座川の本流へと引き返し、

名勝・一枚岩を過ぎると間もなく、

「洞尾(うつお)」という地区に入ります。

この洞尾という一風変わった名前の由来は、

大木をくり抜いて作った「うつお船(空舟)」

という丸木舟を指す言葉が語源となっているそうです。

良質な船材の産地でもあったこの付近は、

その昔筏流しの中継点として栄えていました。

 

また、古代よりうつお船というのは、

神仏の使いや異界のモノが乗る船として、

神話や伝承などに登場する場面も多く、

古事記に書かれている天の鳥船や、

旧約聖書のノアの箱舟を彷彿させる名称でもあります。

また、地滑りや土砂崩れの多い土地を、

「うつ・お」と名づけるケースがあることから、

この地が災害多発地帯だった可能性もあるのでしょう。


神様と人の手

2017-03-04 10:38:12 | 無社殿神社1

<滝の拝・矢倉神社 たきのはいやぐらじんじゃ>

 

山の中に祀られている神社の多くは、

その昔民家や集落が存在していた場所でもあり、

様々な経緯を経て住民がいなくなった結果、

神社や祠だけが残されたケースが多々見られます。

こちらの滝の拝・矢倉神社の周囲の森にも、

以前は民家があり人が住んでいたそうで、

お祭りなども頻繁に行われていたと聞きました。

 

滝の拝・矢倉神社を案内してくれた方の話では、

長年この場所のお世話をしていたおばあさんが、

数年前に亡くなり、いずれはこの神社も

廃れてしまうのではないかということです。

どんなにすばらしい聖域でも、

「人の手」が入らなくなれば神様は宿れません。

たとえ精霊は集うことができても、

神様が降りることはできなくなるのでしょう。


自然信仰の神髄

2017-03-03 10:36:13 | 無社殿神社1

<滝の拝・矢倉神社 たきのはいやぐらじんじゃ>

 

滝の拝・矢倉神社で見たその景色は、

これまで見た神社のそれとは異なるものでした。

「社殿がないだけでこんなに空気が変わるのか」 と驚き、

しばらくその場から足が動かせなかったほど、

長年の固定観念が崩れて行くような感覚を覚えました。

事前に最低限の情報は仕入れていたのものの、

実際にその空間に身を置いてみますと、

「足を運ぶこと」がいかに重要かを実感します。

 

滝の拝・矢倉神社の特筆すべき点は、

人と神との一線を見極めているところです。

すべての無社殿神社を参拝したわけではないので、

「絶対」とは言い切れませんが、

この神社には他の場所には見られない

絶妙な「人の手」が感じられるのです。

その神業的なバランスを目の前にしたとき、

自然信仰の真髄を垣間見たような気がいたしました。


森の中の祭壇

2017-03-02 10:10:31 | 無社殿神社1

<滝の拝・矢倉神社 たきのはいやぐらじんじゃ>

 

初めて訪れた場所、しかも木の生い茂る森の中で、

あやうく山の奥深くへと迷い込みそうになったとき、

ふいに目の前に現れた地元の人のおかげで、

無事に目的の神社にたどり着くことができました。

その方の先導で、再び山の方へと引き返し、

先ほど通った道とは真逆の方向へ足を進めると、

杉木立の間にちらちらと姿をあらわしたのは、

大小の石が交互に積まれた低い石垣です。

 

石垣の上の一段高いところには

自然石を重ねた小さな祭壇が作られ、

中央には一基の石灯篭が置かれています。

落ち葉と枯れ枝が敷き詰められた

「境内」に入り周囲を見渡せば、

祭壇の周りには、何本かの大きな木が、

灯篭を取り囲むようにしてそびえ立ち、

木々の隙間から差し込む朝の太陽が、

森のあちこちに白い光を落としていました。


あの世の空気

2017-03-01 10:32:35 | 無社殿神社1

<滝の拝・矢倉神社 たきのはいやぐらじんじゃ>

 

古座川町・滝の拝近くの山中で、

自然信仰の痕跡を見つけるべく、

森の中をウロウロと歩き回っていると、

麓の家の庭先を女性が横切るのが見えました。

その人は私が探していた神社の世話人で、

神社の写真を撮りに来た旨を伝えたところ、

快くその場所に案内してくれるといいます。

 

実は探していた神社があったのは、

山と人里との境界のあたりで、

見当をつけていた「山の斜面」とは

まったく逆の方角にあったのです。

考えてみれば氏神というのは、

神様の住処と人間の住処とを分ける位置にあり、

「神の領域」を示す結界の役目を果たします。

 

昼と夜が移り変わる夕暮れどきは、

魔物に遭遇しやすいなどといわれるように、

「境目」には特殊な力が働くのでしょう。

道と道との分かれ目や村と村との間に、

道祖神やお地蔵様が祀られているのも、

「境」に生じる「あの世の空気」を

感じ取っていたからなのかもしれません。


ケモノ道

2017-02-28 10:30:15 | 無社殿神社1

<滝の拝・矢倉神社 たきのはいやぐらじんじゃ>

 

古座川町・滝の拝の山中にある神社を探すべく、

民家の裏手の山へと足を踏み入れたとき、

人里との境界を示す林の向こう側にあったのは、

「山師」が歩き回るようなケモノ道でした。

人の足で踏み固められたその「道らしきもの」は、

山の斜面を四方八方に這うように広がり、

どちらの方向に進めばよいかすら見当がつきません。

 

とりあえず、一番歩きやすそうな道を選び、

手探り状態で坂を登りはじめてはみたものの、

表土は崩れやすく、一歩足を踏み外せば、

たちまち斜面をすべり落ちるような地形です。

神社の痕跡などどこにも見当たらないどころか、

幾度となく枯れ枝や切り株に足を取られ、

すぐに先に進むことが難しくなりました。

 

さらに上へと伸びる道を見上げても、

動物の本能が「これ以上進むのは危険」と訴えます。

とにかくにも出直したほうが得策だと考え、

山の入り口のほうへとふと視線を移すと、

木々の間を横切る人影が目に入りました。

大急ぎで今来た山道を引き返し、

その人影を追いかけて行ったところ、

留守だと思っていた麓の民家の庭先で、

植木に水をやるひとりの女性を発見したのです。