たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

普通でない神社

2017-09-18 10:15:30 | 白山信仰・楠と白石

<白山中居神社 はくさんちゅうきょじんじゃ>

 

久方ぶりに訪れた白山中居神社は、

境内のあちこちがきれいに整備され、

参道には白い玉砂利が敷かれていました。

そのせいか以前参拝したときに感じた

「秘境」というイメージは薄くなり、

明るく開放的な印象が先に立ちます。

 

ここ数年の間に、一気に知名度が上がり、

観光パンフレットやガイドマップに

登場する頻度も増えたことから、

個人の参拝者はもちろん、

旅行会社の団体ツアー等にも、

頻繁に組み込まれているとのこと。

 

そんな「俗」の要素ばかりが目に止まり、

一見「普通の神社」になってしまったかと、

少々戸惑いの気持ちを覚えたのですが、

大きな杉木立の間をゆっくりと進み、

川の向こうに見える社殿を眺めたとき、

その先入観が間違っていたことに気づいたのです。


白山中居神社

2017-09-17 10:13:02 | 白山信仰・楠と白石

<白山中居神社 はくさんちゅうきょじんじゃ>

 

東海道新幹線の岐阜羽島駅という、

少々なじみの薄い(失礼…)駅に到着し、

まず向かったのは岐阜の山深い場所にある神社でした。

途中、美濃の道の駅での休憩をはさみながら、

長良川沿いを北上することおよそ2時間30分。

標高740mほどの高所に位置するその神社は、

「石徹白」という意味ありげな地名の土地に鎮座します。

 

この地を訪れるのは、およそ10年ぶりくらいでしょうか。

前回、白山信仰の聖地を巡ったときには、

残念ながら時間が取れなかったため、

後ろ髪を引かれる思いで参拝をあきらめたのですが、

今回白山周辺を巡ることを決めた際、

真っ先に「行かねばならない」と思ったのが、

この地の守り神であり、全国各地に点在する

白山神社の「奥の院」とも呼ばれる白山中居神社でした。


石徹白

2017-09-16 10:09:36 | 白山信仰・楠と白石

<石徹白>

 

2年ほど前のブログでも綴っておりますが、

白山の信仰というのは、あまりにも起原が古すぎて、

その全容をとらえることは容易ではありません。

事あるごとに資料を探してはみたものの、

やはりそのどれもが私の疑問に答えてくれる内容でなく、

白山に関する謎は日を追うごとに深まって行きました。

 

そんな中、ここ2年ほど熊野を旅する機会が続き、

数多くの無社殿神社や自然信仰の聖地を参拝した折に、

あちこちで目にしたのが祭壇に敷かれた「白石」でした。

海に近い熊野の地では、長い間海水にさらされた、

海岸の白い浜石が使われることが多いと聞きます。

 

この白石の習慣は、 「南方の文化」つまり渡来系の人々が

伝えたものではないかと思っていたのですが、

なんせ素人の推測ですからはっきりと断定はできず…。

「白石、白石…」とつぶやきながら頭を巡らせるうちに、

ふと思い浮かんできたのが、熊野から遠く離れた

白山のふもとの「石徹白」という地名だったのです。


命の循環

2017-09-14 10:20:45 | 白山信仰・楠と白石

<内宮 ないくう>

 

伊勢神宮(およびその他の神社)では、

通常、葬儀等で用いる鯨幕という白黒の幕を、

祭事の際に使用しています。

一般的に、「喪」を想像させる白黒の配色ですが、

弔事に黒色が使われるようになったのは、

ごく近代の江戸時代以降と言われており、

それ以前は白色を使う習わしがあったのだとか。

鯨幕も本来、弔事・慶事に関係なく使用され、

皇室の納采の儀や結婚式などには、

現在も黒白の幕が使われていると聞きます。

 

つまり現代人の私たちがイメージする

「黒=陰」「白=陽」という刷り込みは、

ほんの少し前までは180度反転しており、

「黒=陽」「白=陰」だった可能性があるのですね。

もしかすると、聖なる神宮のお白石に関しても、

「陰」を象徴する場所から石を持ち込むことが、

古くからの約束事だったのかもしれません。

内宮そして伊雑宮という、

陽が極まる地に置かれたお白石は、

永遠の命の循環を後押ししたのでしょう。


陰陽の対極図

2017-09-13 10:14:51 | 白山信仰・楠と白石

<伊雑宮 いざわのみや>

 

伊勢神宮の聖域に置かれた白石の近くには、

その周りを取り囲むようにして、

灰色の石が敷き詰められております。

この石は「清石」と呼ばれる石で、

五十鈴川や宮川で採取されるそうですが、

白石を拾うときほどの細かな決まり事や、

「お白石持ち」に相当するような行事はなく、

あくまでも通常の造営工事の一環として、

しかるべき場所に並べられると聞きます。

 

神社、特に伊勢神宮という場所は、

参拝客が気づかない隅々に至るまで、

徹底して「陰陽の法則」が貫かれており、

白石を際立たせるように並べられた清石も、

恐らく「陰陽」を意識したものなのでしょう。

整然と敷かれた白と黒の石はやがて反転し、

そしてまた反転しながら循環して行くのです。

「外宮」と「内宮」とに分けられた伊勢神宮は、

大きな「陰陽」の対極図なのかもしれません。


陰から陽へ

2017-09-12 10:09:37 | 白山信仰・楠と白石

<朝熊山 あさまやま>

 

神社の神域に白い玉石を置くという古い習わしは、

人間そして神様の寿命の復活のために行われる、

古代からの重要な儀式のひとつだと推測します。

玉石は「陽の地から陰の地へ」ではなく、

「陰の地から陽の地へ」運ばれる必要があり、

「海=あの世」の石を奉納する熊野地方の風習にも、

陰陽の循環が示唆されているのかもしれません。

 

現在、熊野灘で見られる玉石が石英であるのか、

オーソコーツァイトなのか定かではありませんが、

伊勢神宮のお白石持ち行事で採取されるのが、

「石英系の白石」に限られることを考えても、

数億年もの歴史をその身に刻む「石英」が、

魂の再生の儀式に深く関わっていることは、

想像に難くないはずです。

 

伊勢神宮が今のような形になるずっと以前から、

伊勢の地には太陽信仰の原型のようなものがあり、

「陰の地」から白石が運ばれていたのでしょう。

もしかするとその石は、最も古い時代の石英、

オーソコーツァイトだった可能性もあります。

伊勢の地にたどり着いた古代イスラエルの人々は、

聖域に敷かれた石英の白い玉石を見て、

お互いのルーツの元を確信したのかもしれません。


太陽と白石

2017-09-11 10:05:57 | 白山信仰・楠と白石

<丹倉神社 あかぐらじんじゃ>

 

聖地と聖地との間に張り巡らされた

レイラインと呼ばれる見えない道は、

主に春分・夏至・秋分・冬至など、

一年でも特に重要とされる日の

太陽軌道を元に構成されています。

上総と出雲を結ぶ「ご来光の道」や

伊勢と淡路を結ぶ「太陽の道」以外にも、

まったく関連がないような2つの場所が、

別の聖地との間のレイラインを通じて、

影響し合っているケースが多々あるのですね。

 

人々がそれらの「道」を歩いてつなぐことで、

日本全土に太陽の力を行き渡らせたのでしょう。

太陽信仰が盛んだったと思われる地域には、

必ずと言っていいほど大きな石(岩)が残っており、

巨石信仰のメッカである熊野などはその代表格です。

石に宿った太陽神を抱きながら、

太陽の登る方角へと足を進める原始の信仰の形が、

「白石奉納」という土着的な風習となって、

日本のあちこちに残ったのかもしれません。


紀伊の白石

2017-09-10 10:04:10 | 白山信仰・楠と白石

<潮岬海岸>

 

「水晶」と同じ成分を持つ「石英」という石は、

非常に硬い性質であるため、風化に強いと聞きます。

白山の麓や白山山頂付近で見られる白い玉石が、

数億年(数十億年?)の年月に耐え、

今こうして私たちの目の前に現れたのも、

この強固な石質のおかげなのでしょう。

 

ちなみに、オーソコーツァイトと呼ばれるこれらの石は、

白山周辺だけでなく京都や大阪、さらには遠く離れた

和歌山県の串本付近でも発見されているのだとか。

大陸で作られた白石が、どのような経緯をたどって、

これらの地に運ばれたのかはわかりませんが、

古代の紀伊半島沿岸の砂浜が、今より多くの

白石で埋め尽くされていた可能性も否定できません。

 

一説によりますと、白石を聖地に奉納する風習は、

太陽崇拝と深いつながりがあるのだそうです。

太陽崇拝の一大拠点があった串本付近に、

太古の白石が残っているという事実は、

白山・伊勢そして熊野という3つの地域を、

「太陽への信仰」というキーワードで

結びつける重要なカギとなりそうです。


お白石の謎

2017-09-09 10:01:46 | 白山信仰・楠と白石

<宮川>

 

神宮の御敷地に敷き詰められているお白石は、

伊勢市の近くを流れる宮川の流域で、

地元の人々(神領民)の手により、

拾い集められる習わしがあります。

ただし、宮川の河原の石なら

どれでもよいというわけではなく、

晴れてお白石として選ばれるのは、

キラキラとした透明感のある

石肌が特徴の「石英系」の白石のみ。

それも、直径5~7cm程度の

こぶし大のものと定められているそうです。

 

ちなみに、お白石に適した石が見つかるのは、

宮川の流域内でもごく限られた範囲であり、

それ以外では四国の吉野川だけなのだとか。

そのため、不足分の白石や補修用の白石は、

吉野川近辺の業者から奉納されるとも聞きます。

近年は特に、お白石に適した玉石が少なくなり、

地元の人々も収集に苦労されているようですが、

そこまでして「石英の白石」にこだわるのは、

いったいどんな理由があるのでしょうか?

白石の採取地である度会町(および宮川一帯)が、

外宮神官だった度会氏の関連地であることも、

「白石の謎」を解く上でヒントになるかもしれません。


お白石持ち

2017-09-08 10:00:57 | 白山信仰・楠と白石

<伊勢のお白石>

 

日本国内において白石(玉石)への信仰を、

最もわかりやすい形で伝えているのが、

20年に一度の式年遷宮に伴って行われる

「お白石持行事」かもしれません。

「神域の清浄性の保持」を目的とする

この神宮ならではのお祭りは、

地元住民が主体となって行う行事で、

伊勢の人々(神領民)だけでなく、

全国から集まった特別神領民と呼ばれる人々も、

新しくなったご正殿を間近に見ることができる、

またとない機会でもあります。

 

お白石持行事がいつ頃始まったのか、

はっきりしたことはわかりませんが、

個人的には、数ある遷宮関連の行事の中でも、

神宮創建のはるか以前から残る、

古い祭祀の形なのではないかと思うのです。

同じく大衆参加型のお木曳行事が、

遷宮で用いられる檜の用材への奉祝の宴

(つまり「樹」への信仰)であるように、

その根底に流れているのは、

自然への素朴な崇敬心なのでしょう。


同じルーツ

2017-09-07 10:12:09 | 白山信仰・楠と白石

<手取川 てどりがわ>

 

日本三名山のひとつに数えられる白山周辺では、

日本最古の石のひとつ・オーソコーツァイト

という丸みを帯びた白い玉石が、

麓を流れる手取川の一帯だけでなく、

山頂近くの登山道でも見られるそうです。

通常、河原や海辺で採取された石には、

様々な成分が混在していると聞きますが、

オーソコーツァイトは「石英の粒」のみで構成され、

それ以外の鉱物はほとんど混入していないのだとか。

 

主に砂漠地帯を源とし、日本のような島国には

存在しない石英の粒が見つかるということは、

白山あたりの地層と東アジアの地層とが、

非常に深いつながりを持つ証拠とも言えます。

もしかすると、白石崇拝の伝統を受け継ぐ

チベットの少数民族・チャン族が、

祭祀などで使用する石英の石と、

手取川や白山の登山道で見られる玉石とは、

同じルーツに属しているのかもしれません。


手取の玉石

2017-09-06 10:08:57 | 白山信仰・楠と白石

<手取川 てどりがわ>

 

霊峰白山を源流とする手取川では、

「手取の玉石」と呼ばれる

固くて丸い円礫(えんれき)が、

あちらこちらで見られるそうです。

学名・オーソコーツァイト

(正珪岩・珪質砂岩)という名のその石は、

ジュラ紀や白亜紀の地層から発見される

数億年以上前に形成された太古の鉱物で、

一見普通の石ころのように見えますが、

その主成分がほぼ「石英」のみという、

非常に珍しい種類の鉱物なのだとか。

 

まだ、日本列島がユーラシア大陸の一部だった時代、

川の流れに乗って奥地から運ばれてきた花崗岩が、

長い長い時間をかけて研磨された結果、

固い性質の石英だけが石ころとなって残り、

次世代の礫岩(れきがん)に取り込まれるなどして、

今も手取川一帯に散らばっていると聞きます。

恐竜の化石や古い鉱物が、このあたりから

次々に発見されているということから考えても、

白山周辺が「太古の日本」を

語る場所であることは確かなのでしょう。


山の石

2017-09-05 10:04:19 | 白山信仰・楠と白石

<柴山潟 しばやまがた>

 

神社の聖域に敷き詰めたり、

社殿の周囲に奉納したりする白い石には、

主に「川の石」と「海の石」が用いられます。

水によって浄化され、極限まで研磨された石は、

「祓いの力」をたっぷりと宿しているのでしょう。

一方で古代の日本には、「山の石」を採取して

神域に並べる習わしもあったそうですが、

海から離れた山中で、丸くて形のよい白い玉石が

大量に採取できるとは、少々考えにくいものです。

 

そんな中、チャン族の信仰の対象である

「石英」という石について調べていくうちに、

とある日本の霊山の斜面や登山道の一部には、

まるで神社の参道を思わせるかのような、

白い石で埋め尽くされた玉砂利の道が

存在していることがわかりました。

もしかすると、同じ白石崇拝の伝統を受け継ぐ、

チベットのチャン族が儀式に使う白石と、

これらの「山の石」や「峡谷の石」には、

何らかのつながりがあるのかもしれません。


チャン族

2017-09-03 10:14:15 | 白山信仰・楠と白石

<国立民族学博物館>

 

楠・船霊・そして南方からの渡来人とが、

にわかに結びついてきたところで、

次は白石(玉石)についてさらに調査すべく、

目線を北方へと向けてみることにしましょう。

実は、白石を崇拝する風習というのは、

南方エリアや海沿いに限った話ではなく、

チベット高原東端の少数民族・チャン族の間に、

古くから伝わる儀式の中にも存在すると聞きます。

 

日本人と同様、自然崇拝、太陽信仰、多神教など、

最も原始的な宗教形態を維持するチャン族は、

日本語や日本文化との共通点も多い民族ですが、

彼らには石英(白い石)を「神」に見立て、

信仰の対象とする習わしがあるのだとか。

白石は主に家の屋根の上に祀られ、

白石をお祀りする林(森)は、

村の祭祀場となっているそうです。


白浜

2017-09-02 10:10:19 | 白山信仰・楠と白石

<熊野三所神社 くまのさんしょじんじゃ>

 

「白浜」と呼ばれる場所は、

全国各地に点在しておりますが、

噂によりますと「白浜」という名の海岸は、

他の名称の海岸よりも色々な意味で

「注意が必要な場所」だと聞きます。

それは恐らく、白い砂石に覆われた浜が、

古代の祭祀場であったのと同時に、

死者を送り出す場でもあったからなのでしょう。

 

ちなみに、リゾートスポットして知られる

伊豆下田・白浜海水浴場近くの白浜神社が、

縄文時代の祭祀場の上に建てられている一方で、

石英砂で覆われた南紀白浜の海岸そばにあったのは、

6世紀後半に築造されたと推定される

火雨塚(ひさめづか)古墳という横穴式石室でした。

 

現世と常世との境にある「浜」は、神と人間、

そして人間と死者とが邂逅する特殊な場所であり、

特に「白」い浜にはこの世とあの世とをつなぐ、

不思議な経路が開きやすかったのだと思われます。

古くから綿々と積み重なった生と死の記憶が、

今も白い浜の砂石に宿っているのかもしれません。