<朝熊山 あさまやま>
神社の神域に白い玉石を置くという古い習わしは、
人間そして神様の寿命の復活のために行われる、
古代からの重要な儀式のひとつだと推測します。
玉石は「陽の地から陰の地へ」ではなく、
「陰の地から陽の地へ」運ばれる必要があり、
「海=あの世」の石を奉納する熊野地方の風習にも、
陰陽の循環が示唆されているのかもしれません。
現在、熊野灘で見られる玉石が石英であるのか、
オーソコーツァイトなのか定かではありませんが、
伊勢神宮のお白石持ち行事で採取されるのが、
「石英系の白石」に限られることを考えても、
数億年もの歴史をその身に刻む「石英」が、
魂の再生の儀式に深く関わっていることは、
想像に難くないはずです。
伊勢神宮が今のような形になるずっと以前から、
伊勢の地には太陽信仰の原型のようなものがあり、
「陰の地」から白石が運ばれていたのでしょう。
もしかするとその石は、最も古い時代の石英、
オーソコーツァイトだった可能性もあります。
伊勢の地にたどり着いた古代イスラエルの人々は、
聖域に敷かれた石英の白い玉石を見て、
お互いのルーツの元を確信したのかもしれません。