自然の力の大きさに、ただただ脅威を感じるしかなかったここ数日です。
やれることといったら、ひたすら亡くなった方のご冥福を祈るだけ。
それでも春はやってきます。
明るい陽射も射してきます。
心躍るような、春が残された方々にも訪れますように。
私としては、残された方々への心配りが十分にできるのか、気を引き締めなければなりませんね。
ご心配をおかけしました。
先日の、「これから」に対して、たくさんの方から、コメントや、メール、電話をいただきました。ありがとうございました。
やっと、25日に仙台から戻りました。
被災地の現状はこちらに
載せました。
風は冷たいとはいえ陽射は暖かく、ガソリンスタンドも開いているし、一部の商品をのぞけばほとんどの商品が並んでいるコンビニやスーパー。電気や水にはちょっと問題ありとはいえ、ガスも使えるこの東京のあたり前の生活が、これほど素晴らしいものだとは思いませんでした。
あちらでは、着いてからまる3日のうちにも、何度も雪を見ています。夜は氷点下。被災し、水も、電気も、ガスや灯油も使えない人々の生活はまだしばらくは続くようです。
それ以上に病院に行こうにも、病院もなくなったり、医薬品もない、その足もない人もまだまだ残されているのです。
14日に腰以上まで水につかりながら、ご両親の遺体を発見された妹さん。
その短い一報を聞いて、でもその後、妹さんも、市役所も、警察も、どこにも連絡がつかなくて打ちのめされていた知人。
電気も水道も、ガスもないだろう、夜は氷点下に下がるあの市内に取り残されて生きていれるのだろうかと、心が張り裂けそうになっているのが傍で見ていても痛いほどよく分かりました。
やっと、16日になって、水が引いて、自宅に行ってみたらご遺体はすでにどこかに運ばれていた、安置所を回ってご遺体を確認したとの連絡。被災を免れた会社に同僚達といて、食料や水は周りの農家から頂いていると知れました。
すぐにでも行きたいけど、鉄道も高速も途絶えている。ガソリンもないということで、じりじりしながら、救援物資をかき集め車に積み込み出かけられる日を待ちました。
高速道路が宇都宮まで開通したとの事で、20日になってやっと出発することにしました。仙台のご親戚の家が無事なのでそこをベースにするということでした。
仙台のお家は海から離れていましたので、水や電気は通じていましたが、ガスは開通までにはこれから4,5日はかかるかも知れません。
買出しに行こうにもガソリンを売るところがない。ほとんどのガソリンスタンドは私が帰るまでは閉まっておりましたし、あいているところは長蛇の列。売り切れになると、翌朝まで車を止めて待っている状態があちらでもこちらでも見受けられました。
行く前にテレビで見ていた仙台の中心部。建物もそれほど損傷を受けていなくて、電気も通っている。人通りもそこそこにある、、、あの風景を見ていてなんとなくイメージをしていた町とは違うものがそこにありました。
軽油がなくバスのサービスもほとんどなく、電車も不通。ガソリンもないために道路も空いている、、、、
見かけとは違い、仙台駅にしろ、その他の建物にしろ、いろいろと不都合が起こっているところがたくさん。
スーパーもやっと、どこそこが開店したとか、、、
コンビにもほとんどが閉店。一部あいていても、棚にはほとんど品物がなく、それでもお一人様5点とか10点とかの張り紙。
被災を受けた町はこんなもんじゃないのですね。
翌21日に石巻に入りました。私の車ではガソリンが心もとないし、この状態では地理も不安ということで、タクシーでの移動。
石巻までの国道は、救援のために瓦礫は排除されています
それでも、道路の端には陥没や、段差の後がたくさん
国道は海から離れているのですけど、そこにも船が
車も折り重なって
横道は車でふさがれていたり
それでも遺体捜索のために瓦礫は片付けられていて
家は倒壊を免れていますけど
中に入ると瓦礫の山
ここは海岸からだいぶ入ったところなのですが、天井まで津波が来て、下はヘドロが一面。
サッシやガラスは割れていないのですが、ここでもお亡くなりになった方が。
連絡がついた妹さんと、ご親戚のおばあさんと、安置所で落ち合い、ご遺体の確認。死体検案書を貰いました。
妹さんが16日に遺体を確認できたことはすごく幸運なことでした。
17日まで身元が不明な遺体は、仮埋葬ということで、土葬にされるところでした。
この安置所は石巻の安置所の一つにしか過ぎませんが、身元が判明して別にされたもの以外にも、何百というご遺体が確認を待っておりました。
でも、これらのご遺体は、仮埋葬にされてしまうのですね。
ところで、死体検案書は受けましたが、これをもって市役所で死亡届を出すのに困りました。死亡届を出すときに火葬場の予約が取れていないと、仮埋葬に回されてしまう。
火葬場、葬儀社を探すのが大変でした。
石巻市役所には葬儀社のリストが貼ってありましたが、これは火葬を受けられるところではなくただのリスト。電話をかけることもまだ難しい状況で、一つ一つの葬儀社にあたり、火葬場のスケジュールを含めての依頼をしても、石巻市内どころか、宮城県の火葬場は地震で被害にあってなくとも、燃料がなく、遺体を引き取りに来る霊柩車の軽油もない。そんな状態でした。
思い余って、山形県村山市の市役所に勤めている、かっての仕事仲間を頼りました。彼の大車輪の努力でやっと尾花沢の火葬場で荼毘にしてもらえるということになり、葬儀社も石巻まで霊柩車を2台出してくれるとの事。
22日にそのことを市役所に届けて、死亡届を出し、埋葬許可を受けることが出来ました。
知人と妹さんは、霊柩車に同乗して尾花沢まで。
私は翌23日に、ご親戚を乗せて、尾花沢まで行き、荼毘に立ち会うことができました。
事情を聞いた、葬儀社の社長さんのご厚意で、ガソリンを20リットル分けていただくことも出来ました。
この友人の話では、山形の火葬場では、被災地からの遺体を受け入れると表明しているそうですが、ここではこのケースが初めてとか。
理由は分かります。その情報が、石巻の市役所でも、おそらく他の市役所にも伝わっていないし、たまたまそれを知ったとしても、霊柩車は来てもらえても、遺族がそこへ行く手段がない。ガソリンがない、場合によっては車も被災している。そんな状況なのですね。
とにかく、お寺さんも今やてんてこ舞い。
葬儀、その他は、もう少し落ち着いてからということにしました。
ということで、24日にもう一度石巻に行き、遺品などを捜し、
仙台まで開通した東北道を通ってやっと東京に戻りつけました。
知人にとっては暗く、冷たい思いだったでしょうが、
そのなかにも暖かい人の情けが見えておりました。
感謝の意を表するために、あえてここで個人名を出させていただきますね。
村山市役所の矢口さん、本当に感謝しています。ご両親を無縁仏のような扱いにすることをどうしても受け入れられなかったご遺族の気持ちが分かるだけに、何とかしてあげたいという気持ち、それに答えて下さった彼の努力には返しても返しきれない恩を感じています。
そして、いろいろとご手配、ご厚情をいただいた白菊苑の方々、本当にありがとうございました。
あるいは、出発に当たってチビ太を預かってくれるところがないか途方にくれておりました。被災地に連れて行くことは出来ませんし、帰りがいつになるのかも不明では、ペットホテルに預けることも出来ません。思い余って、散歩の仲間に声をかけましたら、同じ散歩仲間の方が受けてくださるかもしれないと、連絡をし、事情を説明してくださいました。
そしたら、すぐに預かりますとのご返事。
助かりました。
でも、帰ってから困りました。
仕事でやっているわけじゃないからって、お礼を受け取られない。そのことは散歩の仲間に聞いておりましたので、犬や猫のことでいろいろと活動されているので、カンパだと、包みましたが、それすら受け取ろうとされない。
いや、ほんとうに困りました。
そしてまた、、、、
チビ太はすごく大切に預かってもらっていたのですね。
食事も、ささみや、チーズなどを頂いたりしていて、、、、、
ただでさえ「ドッグフード、嫌い」が、昨日、今日、ドッグフードを出しても、匂いも嗅ぎませんわ。
これはまた、嬉しいやら、ありがたいやら、困ったやら。
いすみに行き、最後の積み込みとガソリン給油をして、仙台に向けて出発します。
チビ太はお近くの方が、面倒を見てくださるということで、しばしのお別れ。
こちらの状況を分かってくださって、快く手を差し伸べてくださったシロミパパ、ママに感謝いたします。
14日に胸まで水につかりながらようやく自宅にたどり着いて、ご両親のご遺体を見つけられたけど、どうすることもできなくて、避難しているところに戻った妹さん。
彼女から連絡を受けて、遺体の安置のために警察や市役所に連絡を入れようと躍起になっていたのですけど、どうにも連絡がつかない。
石巻以外にも仙台や、塩釜の親戚の状況も分からない、、、
道路も鉄道も不通になってしまっていましたし、どうにもできないで内心いらいらしている友人、友人は努めて何気ない様子をとっていましたけど、傍で見ていて余計に心配。
16日になって仙台の親戚の生存が確認され、家は被災していないからいつでもいいけどと言っていただいたけど、ガソリンが出回るまで待てとのこと。
そうですよね、国道を走って仙台まで行っても、ガソリンが尽きれば、なにもできない、足手まといになるだけ。
昨夜は、person finderで問い合わせをしていた塩釜の親戚が無事であることが分かりました。連絡もつかず、仕事場が海傍だったので完全にあきらめていたのですけど。、person finderの方へ親戚の友人から連絡があり、生存が確認され、本人からも電話が入りました。
今朝早く、息子さんが石巻に行き、妹さんと会えたそうです。
一緒に実家に行ったけど、遺体は収容されていたとのこと。
その後、遺体安置所を回って、遺体を捜していると連絡があったそうです。
もう地震が起きてそろそろ10日になる。
何も出来ないでいる友人の忍耐も限度でしょう。
昨日、とにかく出発準備だけでもと、お店を回り必要そうなものを買い揃えました。
でも、どこも棚には何もない状態、それすら大変な作業でしたが、不足分を集めるために岬にも行きました。
途中、完売、入荷未定のスタンドの中にも、まだあいているガソリンスタンドもいくつかはありました。
ここで、満タンにすれば、宇都宮あたりまでは高速も延びたようですので、仙台までは行けそう。
夕方くらいから、仙台に向かいます。
良識ある大人の行動としては、この時期被災地に入るというのは非常識なのかもしれません、それは重々理解しておりますけど、、、、、、
しばらく、日記はお留守になりますが、よろしくお願いいたします。
陽射はありましたが、冷たい北風の強い寒い一日でした。
東北では、着の身着のままで、食事も水もなく、薬もミルクもなく、医者もいない、暖房もない、、そんな日々を送っておられる方も多々あるのでしょうね。
それを思うと気温以上に、寒さを感じてしまいます。
大阪の4万食は出せるというおにぎりが、運送手段が無くて宙に浮いているそうです。自衛隊も載せてくれないらしい。
被災地向けのガソリンや灯油を運ぶタンクローリーの許可が今日、やっと簡便化されたようです。
被災地の方々が避難されるように、上りの高速道路が開放されるといいのですけど。
知人のご両親が、この地震でなくなった。
家までは途中まだ水があるとのことで、ご遺体はまだ手つかずで家にあるのかもしれない。
警察にも、市役所にも連絡が取れない。
悲嘆にくれながらも、現地に行こうにも交通手段がないので胸のふさがる思いで過ごされている知人を見ながら、こちらもなんと慰めていいのか、、、、
その知人を一番勇気付けていた方が、富士宮の方。
その富士宮で震度6強の地震。
怖い場所ですよね。
後ろは噴火を噂されている富士山。
前は相模トラフ。。。
原発も、関係者の、「大丈夫、アンダーコントロール」的な発言とは裏腹に、どんどん深刻度を増して行き、1,3,2,4号と拡大して行っている。
まさか、メルトダウン、、、核爆発なんてことはないでしょうけど、、、、
こんなときには、何を書いて良いのかわからない。
お蔵の中から、古きよき時代の、ほんわか写真でも、、、、、
能天気にこんな写真を撮っていた時代もありました、、、、
なんて、つい数日前までのことですけどね、、、、、
少しでも、お気持ちを和らげることが出来ましたら幸いです。
とても近しい知人のご両親が石巻に住まわれている。
同居している妹さんは北上川の河口近くの事務所にお勤め。
ご両親とも、妹さんとも連絡が取れない。
地震の直後に、お父さんと電話が通じ、
「家は大丈夫だけど、なかはめちゃめちゃ」って話を聞いたのが最後の連絡だった。
津波がどの辺まで来たのが、地図で出してくれるとありがたいけど、その情報はなく、テレビで見ている限り、実家のあたりまで津波の被害が出ているみたいということで、必死になって情報を得ようとされていた。
テレビの前に釘付けになったまま、吐き気がする、、、、、
精神的に相当参っているのでしょうね。
道路が開通したら、石巻に行かれると思うけど、運転手兼お手伝いで同行しなきゃ。
仙台に実家がある知人。
仕事を変わられていて、以前のメルアドが使えないけど、こちらは大丈夫だろうか。
以前の仕事先、山田町や、村山市、郡山市や、鏡石、、、、
みんなどうしているのだろう。。。。
ただただ、無事を祈るだけ。
13日の日曜日にアップした日記ですが、14日の朝、妹さんから連絡が入りました。以下は追加。
いつもは木曜日が移動日で岬に行くのだが、今週は予定が入って、移動を金曜日に予定した。
そしたら、お昼過ぎに大きな地震。
慌ててテレビを見たら、震源は三陸沖。
仙台の震度が7ということで、知人にメールを入れるが、なかなか通じなかった。
月曜日の朝、妹さんから連絡が入った。
北上川の河口の近くに仕事場があるということで一番心配されていた妹さんは無事だった。
妹さんは、あの津波を目の前にして、連絡のつかない御両親を探しに、まだ水の引かない道を自宅まで行って、そこで、亡くなっている御両親を発見されてた。
石巻はまだ混乱の真っ最中。妹さんに代わって、警察や、市役所へご両親の死を届けようにも、電話も通じない。
もちろん、そこへ行こうとしても道路も、鉄道も不通。
ご両親のこと、残された妹さんのこと、そして家のこと、、、
どうやったら、手が付けられるのか、、、、、
遠く離れた東京で、悲嘆にくれている人がいる。