ソメイヨシノが終わり、八重桜が咲き始めました。
我が家の入り口には2本の八重桜があります。
この写真の一本は玄関に枝を伸ばし、今は、桜の花の下を入って我が家へ出入りする状態。
山里の私の生活には、最高の色香を与えてくれています。
毎年、この時期になると被写体として働いてくれています。
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/b4ced4b414151aea37afae675516d0da
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/56047260661cb1c2bc801c1b9e14720e
他の1本は、大きく張り出した楠の枝の下になって、なかなか花をつけてくれませんでした。昨日、その枝を切りましたので、来年からはと期待しています。
もう1本、昨年植えたものがあることはあるのですけど、まだ苗の状態。しかも瀕死の状態です。はたして生きてくれるのやら、親としては心配、おろおろしております。
実は、もう1本大きな八重桜があったのです。これは枝をお風呂場のほうへ伸ばしてくれてまして、今の時期は、もう最高。目の前に咲いている桜を見ながらお風呂に入れたのですけど、それが風の性で枝が折れ、そこから雑菌に侵されて、枯れてしまいました。
この家を決めるときに、こちらに来て、お風呂を覗きましたら、この八重が満開になって窓を叩いていたのです。もう、即決!でした。
私と岬を結んでくれた木だったので、どうしても代わりが欲しいのです。
去年植えたのはその代わりのもの。なんとか生きてくれて、また目を楽しませてくれるといいのにって願っています。
なんて、桜は煩いから嫌だなんてかっこをつけている割には、その実、私も、「絶えて桜のなかりせば」状態ですね。まあ、日本人だから仕方がないか。
あら、この詩、当然もう使っていると思い検索をかけましたが、「世の中に絶えて」と「夢幻泡影」ではこの詩を使っているページはヒットしませんでした。 ので、急遽、以下を追加です。
世の中に絶えて桜のなかりせば
春の心はのどけからまし
古今集の在原業平のあまりにも有名な詩ですね。
花見の酒宴での創作。
詩として、いいものかどうか、私には分かりませんけど、
でも、日本人の桜狂いを見事にあらわしていますよね。
ようやく、カメラ持って外に出ました。
私も絶えて桜のなかりせば、の口ですね。
名残の桜に間に合いました。
そろそろ見ごろではないかと思いますけど、
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/b4ced4b414151aea37afae675516d0da
新しい桜の木が風車さんの愛情に答えてくれると信じています。。
弱弱しく育って、雑菌やら、虫さんの餌食になっています。
生き残れるチャンス、あまりないかも。
心配です。