夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

遠近法

2019年06月30日 10時17分26秒 | 芸術・文化

 

 

ここのところ一日のうちどっかで雨が降っている日が続いています。

梅雨だから仕方ない、逆にそうじゃなきゃ、後で、水不足だ~ 干ばつだ~って、 野菜やいろんなものが不作になったりしてもっと困ってしまうでしょうね。

雨、雨模様、、、諦めて楽しまなきゃ。。ってことで今日は遠近法。

 

僕らは遠近法というと、直線が一転に集中していくような構図をなんとなく想像してしまうけど、そしてそれを知っていれば、周りのものすべてがそうなっているのが分かるんだけど、

意外と明確にそれを見せてくれるようなものってのは、人工的に作られたものでもなければないんですよね。

トップの写真でもそれがはっきりするのは、田んぼの畔や、稲のラインが集約して行っている部分、、、つまり、人の手が入っている部分だけですよね。

 

自然界で一番簡単な遠近法は、近くにあるものは遠くのものを隠してしまうってこと、、

トップの写真でも遠くの山は近くの山にさえぎられていますよね。当たり前のことですけど。

 

そして少し時代が下がると、遠くのものは霞んでいくってことを描いていたりして、、

ついでに、青みがかると余計にその効果が出て素晴らしい、、、なんてね。

 

ただ不思議なことは、祖先の画家たち、遠くにいる美味しそうな鹿の群れを見ながら、絵を描いているとき

当然遠くのものは遠く、小さく見えていたはずなのに、みんな同じ大きさで、すぐそばにいるように描く。

それはいい、、、

でもそれからずっと現代に近くなってきたときにも、山の上にいる神様もお猿さんも、すぐそばにいるような大きさ。

目に映っているはずなのに、それがちゃんとキャンバスの上に反映されるまでに、なんでこんなに時間がかかるんだろうってこと。

これも一種の思い込みのせいかしらね~

まあ、人類の長い歴史は、思い込み(妄想)の歴史だから。

 

なんて、具にもつかないことを妄想しておりますよ。

もっと部屋の片づけや、掃除をしたり、、、家事にいそしむ方がよほど有用なんですけどね~

おいちゃんの非建設的性格はこの歳では矯正しようがないのでしょうね~