夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

結局、まだまだいすみ市の地デジ難民

2011年01月14日 11時39分55秒 |  岬な日々

先日来お伝えしていますように、いすみ市では去年、地デジの中継局が3局開通しました。しかし、地形の関係で、それでも地デジを取れない場所がたくさんある。私の地域もその一つ。
難視聴地帯には暫定的に衛星放送を利用した地デジのサービスがあるのですが、これには難視聴地帯にあるというお墨付きが必要なんです。
これがホワイトリストというもの。
私の地域では中継局の設計段階で3局ともサービスエリア外というのは分かっているのですが、町の一部はとっくにホワイトリストに記載されているのに、私の地帯は本放送が始まってから調査するということで、エリア外になっています。

結局、中継局の電波も届かず、まだその電界調査も終わっていないので、いつリストに載るのか全く不明。アナログ電波も届かないので、テレビとは無縁の生活を強いられています。

ところが、最近、私の地域でも光テレビが開通し、地デジが見られるようになるという案内を近くの電気屋さんで張り出してありましたので、フレッツテレビに問い合わせをしました。

私はフレッツテレビが見られるのかと思っておりましたら、光ネクストが開通するので光テレビが見られるようになるということ。フレッツテレビの開通は未定なのだそうです。

なぜフレッツテレビに固執するかというと、光テレビは一家に最大2台までのテレビしか受けられませんし、間に特殊なチュナーを入れますので留守録などもできない。
今、ネットのためにフレッツ光が入っていますので、料金的にもフレッツテレビの方がわずかな追加料金で可能なので、フレッツテレビにしたいのですけどね。

こちらは川の氾濫や、崖崩れなどもあったりするところで、緊急時の情報を得る手段が欲しいのですけど、さてそれができるのはいつになるでしょうね。



死んでいる美術館。学芸を殺す組織。

2011年01月14日 09時20分36秒 | 芸術・文化

昨日、岬に移動をかけました。
今日は晴れ、明日は曇りの予報。
なので、目覚ましをセットし、コハクチョウを撮りに行こうと予定を組みました。

知人やいすみの方々のブログで、コハクチョウさんたちが元気にされているのは承知しておりましたが、私は、なんせ11月中旬に2回撮っただけですので、ご挨拶をしておかなければ、また国へお帰りになるかもしれませんしね。

多摩川でも、トモエガモさんにやはり2回だけご挨拶をして、しばらく間があいておりましたら、何度かお訪ねしてもお目にかかれない。もしかしてもう引っ越しをされたのかって心配をしています。

こんなことにならないように、コハクチョウさんたちとはきちんと友好を深めておかなければと思うのですよ。
それに、私が最初に見たときには6羽しかおりませんでしたが、今は10羽になっているそうなので、、、、お初の方もいらっしゃるようですし。

なんて、思いながら目覚ましで目が覚めましたが、なんだか起きだすのが億劫。なんで、今日の予定は取りやめ。。。
コハクチョウさん御免なさいね。


ところで、不思議なのは、いすみの里山などを紹介するセンターが近くにあります。そこでコハクチョウの飛来を確認したのが、私が確認した一月後。
センターでは、コハクチョウの飛来地のそばの方に情報をお願いしていたんだけどって言っていましたけど、
情報をお願いされた方。家の前にコハクチョウが飛び交っているのに、まだ見ていないってどういうことなのかな~

それにこのセンターの方、時間はちょっと早いけど仕事に出る前に、ちょっとだけ回り道をすれば確認できたのにって思います。

上にも書いていますけど、私は最初に見てから、ほとんど東京に戻ってしまっていますので、こちらで見ることはできませんでしたが、それでも知人やこちらの方々のブログやHPにはコハクチョウの写真や記事がアップされているのだから、ちょっと検索をかければ分かることなのにね~

ある市と仕事をするときに、市長から「どんな人を担当にしたらいいか」って聞かれて、「遊びで仕事をする人」って答えて、市長をびっくりさせました。「仕事で仕方なくやっていれば、すぐそばに関連のイベントや、参考になることがあっても、率先して行こうとは思わないでしょうし、ちょっとオーバータイムになっても大騒ぎするでしょう。仕事が遊びなら、言われなくても自分で役に立つようなことをどんどん調べたりしますよね」って付け加えましたら、分かってもらえましたけど。

逆なことを言っているときもありましたね。学生さんたちを前にして、企画の仕事のむずかしさなんてことをうんざりするほどまくしたててね。確かに、やりたいことをやろうとするといろいろと障害がある。でも、彼らは、ある程度それが分かっていながらこの授業に来ているので、熱意はありすぎるほどあるんですよ。だから、年寄りとしては水を差して正気に戻さなきゃってね。
熱意に悶えているのはアーティストだけで十分。マネージをやる立場の人間は、最初にそれは必要だけど、動き出したら、後は冷静な判断、計算しかないんですよ。
水を差されて、それでしゅんとなって萎えてしまうようでは、最初からやらないほうがいいのだし。それでも我に返って、なんとかならないでしょうかって質問には喜んでお答えしましたけどね。

死んでいる美術館とか、熱意のない人のことをよく「美術館のスリッパペタペタの学芸員みたいな人」って言いましたけど、彼らに聞くと、自分たちがいかに難しい環境に置かれていて、日々の仕事に忙殺されているかってまくしたてます。
東京のとある美術館でも、知り合いの学芸たちが随分と辞めて行きました。
確かに東京都という組織は、国の組織以上にわけがわからない組織だし、官僚的。ちょっとしたことで電話を一本入れてみればすぐにわかります。用件を話して、担当者につながるまでに10回、20回は転送されるのが当たり前みたいなところ。勤めている人たちでも自分の横の人が何をしているのか分からないような組織ね。もはや組織としては巨大化して自分の重みで崩れて行っているところ。
だから彼らの言うことも分かります。

でも、日本のほとんどの学芸員が多かれ少なかれそうなんです。それでも何かやろうとする努力をしている人もいれば、スリッパペタペタもいる。
東京でできなければ、地方へ行っても難しいよね。
それは東京の問題もあるけど、彼ら自身の資質の問題が大きいのかななんて思って見ておりました。


おまけに、そんな努力をしている人の方がいろんな意味でリスクをしょっている、失敗して、一生を棒に振る可能性が大きいのですよね。
熱意や努力を買う仕組み、そのような人を守る配慮。
別に、アートマネージメントの世界に限らないけど、上に立つ人にとって組織が大きくなると、余計に必要ですね。