
政治学者やシンガーソングライターと言う視点や京都精華大学の創立理念から、離れて人の命の重さを考えました。
和宗総本山以前四天王寺六時礼拝堂、六時堂の職員に京都のゼネコンの叩き上げで長年を働き定年退職しされて、四天王寺に再就職されたK氏が言われた言葉を思い出しました。
Kは、昭和3年の生まれで、男は米俵1俵を持ち上げる力が、有れば良いと言う時代で、義務教育の小学校を卒業されて家の為に働き続けたゼネコンの生き字引のような人でした。そのK氏が、人間は明日のことは分からないと言うけれども一時間後の事も誰も分からないと言いました
人間の寿命は、この世の中に生まれ落ちた時に決まっていると言われています。
寿命は、現代医学でも予測出来ず人間には分からず神様、仏様だけが、知っておられると言うことです。
大病しても寿命があるうちはこの世に生きてられると言うことです。
人間は一生の内に病気にならない人はいない修験道大峰行者先達の御老人が、高島屋の地下食料品売り場の焼酎コーナーで、私に話しかけられました。
ある看護婦さんが私に以前子供5人産んだけど何処も悪いところはないと自慢しましたが、今や新型コロナウイルスの感染が拡大している今日、絶対感染しないとは言い切れません。
健康で長生きすると誰でも思っていますし、現行法を実践したり、精進してきますが、人間には何時病気になるか分かりません。
老若男女を問わず何時無常の風が、吹くか分からないのが、この世娑婆世界です。
天台宗比叡山阿闍梨の吉田文研師に人の生き死に言うなと言われたのを思い出します。
白骨の章五・十六『されば朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。すでに無常の風きたりぬれば、すなはちふたつのまなこたちまちに閉ぢ、ひとつの息ながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて桃李のよそほひを失ひぬるときは、六親眷属あつまりてなげきかなしめども、さらにその甲斐あるべからず。 』『御文章(浄土真宗八代・蓮如上人)』の一部を掲載します。
https://youtu.be/CvHF7sEtirs